2010年11月14日日曜日

戦国飛騨国人名辞典

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【あ】

阿尻兵部介【あじりひょうぶのすけ(15??~15??)】

鍋山安室家臣。参考文献:「飛騨の歴史再発見!」byひだっちブログ。

麻生野直盛【あそうのなおもり(1508~1564)】

吉城郡洞館主。江馬時経の次男。兄の江馬時盛とともに三木頼綱にと争った。

麻生野慶盛【あそうのよりもり(1539~1573)】

麻生野直盛の男。室は河上富信の娘。1564年、父麻生野直盛が病没したため、麻生野家の家督を相続した。1559年、「洞館の戦い」で武田晴信の家臣山県昌景勢の攻撃を受け、江馬時経とともに降伏して所領を安堵された。1573年、武田晴信が病没すると、長尾景虎に従う江馬輝盛勢の攻撃を受け討死した。参考文献:『戦国人名事典』by新人物往来社。

阿多野蔵人【あたのくろうど(15??~15??)】

甲経氏家臣。青屋館主。参考文献:「金森戦記」byRYO(りょう)。

姉小路基綱【あねこうじもとつな(1441~1504)】

吉城郡小鷹利館主。飛騨国司家惣領職。姉小路昌家の男。官途は中納言。能書家。1465年、勅撰集が編纂されると、和歌所寄人に任じられた。1495年、新撰菟玖波集を清書した。1504年、「王滝館の戦い」で木曾義元を討取る戦功を挙げた。参考文献:フリー百科事典「ウィキペディア(Wikipedia)」。

姉小路済継【あねのこうじなりつぐ(1470~1518)】

姉小路基綱の男。官途は参議。父姉小路基綱とともに和歌を得意とした。参考文献:フリー百科事典「ウィキペディア(Wikipedia)」。

古河姉小路済俊【あねがこうじなりとし(14??~1527)】

姉小路済継の男。官途は左近衛少将。参考文献:フリー百科事典「ウィキペディア(Wikipedia)」。

古河姉小路高綱【あねこうじたかつな(15??~1576)】

姉小路済継の次男(田向重治の養子)。別名田向重継。1527年、姉小路済俊が病没すると、古河姉小路家を継承した。1556年、「田苅館の戦い」で三木直頼勢の攻撃を受けた。参考文献:フリー百科事典「ウィキペディア(Wikipedia)」。

古河姉小路重頼【あねこうじしげより(15??~15??)】

姉小路高綱の男。

古河姉小路綱親【あねこうじつなちか(15??~1576)】

姉小路重頼の男。1576年、「小鷹利館の戦い」で三木頼綱、広瀬宗城勢の攻撃を受け討死した。参考文献:フリー百科事典「ウィキペディア(Wikipedia)」。

古河姉小路宣政【あねこうじのぶまさ(15??~16??)】

姉小路高綱の男。官途は右近大夫。別名向宣政。1576年、「小鷹利館の戦い」で父姉小路綱が三木頼綱と戦い討死すると、筆頭家老職を務める牛丸重親の後見を受けた。1577年、「角川の戦い」で後藤重元に擁立され牛丸重親勢と戦い敗れて常陸国に落延び、佐竹義宣に仕えた。参考文献:フリー百科事典「ウィキペディア(Wikipedia)」。

古河姉小路俊政【あねこうじとしまさ(15??~16??)】

姉小路高綱の次男。通称庄兵衛。別名向俊政。参考文献:フリー百科事典「ウィキペディア(Wikipedia)」。

鮎崎新兵衛尉【あゆさきしんべいのじょう(15??~15??)】

三木頼綱家臣。鮎崎館主。1585年、「広瀬城の戦い」で金森長近に従い三木頼綱勢と戦った。「松倉城の戦い」で鮎崎館を金森長近に提供して三木秀綱勢と戦った。参考文献:「金森戦記」byRYO(りょう)。

荒城道休【あらしろどうきゅう(15??~1582)】

吉城郡横尾館主。参考文献:『廃城奇譚(横尾城の白骨)』by南條範夫。

荒城右近【あらしろうこん(1564~1582)】

荒城道休の男。1580年、鷹狩りで家臣の流れ矢が右目にあたり失明した。1582年、父荒城道休が病没したため、荒城家の家督を相続した。「横尾館の戦い」で三木頼綱勢の攻撃を受けたが、弱視のため城兵を指揮することができず弟の荒城左京が三木頼綱勢を撃退する戦功を挙げた。城主の座を追われ、荒城左京の婚礼の日に荒城左京ともども城兵を毒殺した。参考文献:『廃城奇譚(横尾城の白骨)』by南條範夫。

荒城左京【あらしろさきょう(1564~1582)】

荒城道休の次男。1582年、「横尾館の戦い」で三木頼綱勢の攻撃を受けたが、弱視の兄荒城右近に代わり城兵を指揮して三木頼綱勢を撃退する戦功を挙げた。荒城右近に代わり館主に擁立されたが、岡部美津との婚礼の日、城兵とともに荒城右近に毒殺された。参考文献:『廃城奇譚(横尾城の白骨)』by南條範夫。

飯尾源太【いいおげんた(15??~1582)】

甲経氏家臣。1582年、「江名子の戦い」で甲忠氏に従い塩屋秋貞勢と戦い大敗した。甲忠氏から謀反の嫌疑を受け謀殺された。参考文献:『戦国残酷物語(草鞋の墓碑)』by南條範夫。

池本安高【いけもとやすたか(15??~1567)】

三田谷館主。1566年、「牧ヶ洞館の戦い」で広瀬宗城と結び牧ヶ洞館を攻撃したが、流れ矢で左目を潰された。1567年、「三田谷の戦い」で広瀬宗城勢の攻撃を受け落延びるが二宮杏之助に謀殺された。参考文献:『第三の陰武者(第三の陰武者)』by南條範夫。

池本宗利【いけもとむねとし(1567~1585)】

三木定光の男。官途は備後守。三木自綱の娘(照姫)と池本安高の継嗣として養育されたがじつは三木定光の子。1585年、「三田谷館の戦い」で金森長近勢の攻撃を受け討死した。参考文献:『第三の陰武者(第三の陰武者)』by南條範夫。

石岡三郎兵衛【いしおかさぶろびょうえ(15??~15??)】

池本安高家臣。足軽組頭。参考文献:『第三の陰武者(第三の陰武者)』by南條範夫。

石原庄兵衛【いしはらしょうべい(15??~15??)】

池本安高家臣。池本安高の陰武者を務めた。1566年、「牧ヶ洞館の戦い」で池本安高が流れ矢で左目を負傷すると、陰武者を続けるため左目を潰された。参考文献:『第三の陰武者(第三の陰武者)』by南條範夫。

磯村親治【いそむらちかはる(15??~15??)】

鍋山利景家臣。牛尾三郎太の密告で、内山近盛、和仁三左衛門、後藤縫殿介らとともに長屋宗之を捕縛した。参考文献:『戦国残酷物語(復讐鬼)』by南條範夫。

板島市太【いたじまいちた(15??~15??)】

長屋宗之家臣。長尾景虎のもとに人質として赴く長屋宗之に従った従卒。長屋宗之の容貌を愚弄したため、手討にされた。参考文献:『戦国残酷物語(ハナノキ秘史)』by南條範夫。

一ノ瀬守之【いちのせもるゆき(15??~15??)】

江馬時盛家臣。通称四郎。

牛尾三郎太【うしおさぶろうた(15??~15??)】

長屋宗之家臣。醜悪の従卒。長尾景虎のもとに人質として赴く長屋宗之に従った。1562年、「貝森館の戦い」で長屋宗綱が鍋山利景に討取られると、飛騨国に帰国する長屋宗之に従った。参考文献:『戦国残酷物語(ハナノキ秘史)』by南條範夫。

牛丸重親【うしまるしげちか(15??~1583)】

姉小路高綱家臣。吉城郡小鷹利館主。通称又右衛門。筆頭家老職を務めた。1576年、「小鷹利館の戦い」で三木頼綱、広瀬宗城勢の攻撃を受け姉小路高綱が討死すると、姉小路家の実権を握った。家老職の後藤重元と対立した。1577年、「角川の戦い」で姉小路宣政を擁立した牛丸重親と戦ったがこれを撃破った。参考文献:『第三の陰武者(第三の陰武者)』by南條範夫。

牛丸親綱【うしまるちかつな(15??~1600)】

牛丸重親の男。通称又右衛門。1583年、父牛丸重綱が病没したため、牛丸家の家督を相続した。1584年、「小鷹利館の戦い」で三木頼綱勢の攻撃を受け落延びた。1585年、金森長近勢に従い三木頼綱勢と戦ったが、本領を回復することは出来なかった。三木頼綱に対し降伏勧告の使者として広瀬城に赴いた。勧告を拒絶した三木頼綱らを謀殺した。1600年、「郡上八幡城の戦い」で稲葉貞通勢と戦い討死した。参考文献:『戦国大名家辞典』by東京堂出版。

牛丸定親【うしまるさだちか(15??~1568)】

牛丸重親の男。吉城郡小鷹利館主。通称又右衛門。1568年、堀越利昌の裏切りにより風間宗十とともに謀殺された。参考文献:『廃城奇譚(亀洞城の廃絶)』by南條範夫。

牛丸宗親【うしまるむねちか(15??~15??)】

牛丸重親の次男。通称小市郎。1568年、兄の牛丸定親が謀殺さえると、小鷹利館主に擁立しれた。佐世江を内室に向かえた。1569年、堀越利昌に謀殺された。参考文献:『廃城奇譚(亀洞城の廃絶)』by南條範夫。

牛丸又太郎【うしまるまたたろう(1566~15??)】

牛丸重親家臣。1582年、「八日町の戦い」で牛丸重親に従い江馬輝盛勢と戦い、鉄炮で負傷した江馬輝盛の頸を取る戦功を挙げた。
 
牛丸又右衛門【うしまるまたえもん(15??~15??)】

牛丸重親家臣。1585年、「松倉城の戦い」で金森長近勢が三木頼綱を攻撃すると、金森長近勢に属して先導役を務めた。

内ヶ島為氏【うちがしまためうじ(1438~15??)】

大野郡帰雲館主。官途は上野守。通称兵庫頭。1461年、山下氏高、川尻氏光とともに飛騨国牧戸館に勢力を築いた。正蓮寺の正蓮寺善俊に対抗するため、山下氏高を上洛させ足利義政から牧戸館の安堵状を受けた。「牧戸館の戦い」で正蓮寺教信勢の攻撃を受けたが撃退した。1465年、帰雲館を築城した。1475年、「正蓮寺の戦い」で正蓮寺教信、正蓮寺明教勢と戦い正蓮寺教信、正蓮寺明教を討取る戦功を挙げた。1488年、本願寺蓮如の仲介を受け正蓮寺明心と和議を結び白川郷に照蓮寺を創建する正蓮寺明心を支援した。1506年、正蓮寺明心とともに加賀一向一揆を支援して長尾為景勢と戦った。参考文献:『廃城奇譚(帰雲城三代)』by南條範夫。

内ヶ島雅氏【うちがしま(15??~1539)】

内ヶ島為氏の男。領内の鉱山資源(森茂、片野、六厩、南部)を開発して領地経営を安定させ鉱山技術者を多数雇用した。参考文献:『消えた戦国武将(帰雲城と内ヶ島氏理)』byメディアファクトリー新書。

内ヶ島氏理【うちがしまうじまさ(1541~1585)】

内ヶ島雅氏の男。室は瑞泉寺証心の娘。佐々成政に従い三木頼綱勢に属して越中国に参陣した。1585年、金森長近が飛騨国に侵攻すると献上金を差し出して降伏しした。所領の一部を没収されたが本領と鉱山の利権は安堵された。「天正大地震」で城ごと大地に飲み込まれ滅亡した。参考文献:『廃城奇譚(帰雲城三代)』by南條範夫。

内ヶ島氏則【うちがしまうじのり(15??~1547)】

内ヶ島雅氏の次男。官途は刑部少輔。参考文献:『廃城奇譚(帰雲城三代)』by南條範夫。

内ヶ島氏房【うちがしまうじふさ(15??~15??)】

内ヶ島雅氏の三男。参考文献:『廃城奇譚(帰雲城三代)』by南條範夫。

内ヶ島氏親【うちがしまうじちか(15??~15??)】

内ヶ島雅氏の四男。参考文献:『廃城奇譚(帰雲城三代)』by南條範夫。

内ヶ島氏行【うちがしまうじゆき(15??~1585)】

内ヶ島氏理の男。参考文献:『廃城奇譚(帰雲城三代)』by南條範夫。

内山近盛【うちやまちかもり(15??~15??)】

鍋山利景家臣。官途は常陸介。牛尾三郎太の密告を受け、和仁三左衛門、後藤縫殿介、磯村親治らとともに長屋宗之を捕縛した。参考文献:『戦国残酷物語(復讐鬼)』by南條範夫。

江馬時経【えまときつね(15??~1546)】

吉城郡高原諏訪館主。娘は三木良頼に嫁いだ。

江馬時盛【えまときもり(1509~1578)】

江馬時経の男。通称小四郎。神岡鉱山(銀、鉛)の生産を拡大して収入を増加させた。三木良頼と抗争を続けながら勢力を拡大した。1564年、「高原諏訪館の戦い」で武田晴信の家臣山県昌景勢の攻撃を受け降伏した。1578年、長尾景虎と結んだ継嗣の江馬輝盛の刺客に謀殺された。参考文献:フリー百科事典「ウィキペディア(Wikipedia)」。

江馬輝盛【えまてるもり(1535~1582)】

江馬時盛の男。官途は常陸介。1564年、「高原諏訪館の戦い」で武田晴信の家臣山県昌景勢の攻撃を受けると父江馬時盛とともに降伏した。1565年、「越中松倉城の戦い」で山県昌景に従い椎名康胤勢と戦い戦功を挙げ越中国新川郡中地山城を領した。1569年、「越中池田城の戦い」で長尾景虎勢に従い寺嶋職定勢と戦った。1573年、武田晴信が病没すると長尾景虎に属したが、江馬時盛は武田勝頼に属した。1575年、「高原諏訪館の戦い」で長尾景虎勢の攻撃を受け江馬時盛とともに降伏した。1578年、長尾景虎が病没すると、江馬時盛を謀殺した。1582年、「八日市の戦い」で三木頼綱、小島時光勢と戦い討死した。参考文献:フリー百科事典「ウィキペディア(Wikipedia)」。

江馬貞盛【えまさだもり(15??~15??)】

江馬時盛の次男。1578年、兄江馬輝盛に追放され、能登国で病没した。参考文献:フリー百科事典「ウィキペディア(Wikipedia)」。

江馬信盛【えまのぶもり(1535~1581)】

江馬時盛の三男。官途は右馬允。1559年、「高原諏訪館の戦い」で父江馬時盛が山県昌景勢に敗れると、人質として甲斐国に赴いた。1578年、江馬時盛が江馬輝盛に代えてこの江馬信盛を江馬家惣領職に擁立したが失敗した。1581年、「第二次高天神城の戦い」で松平元康勢の攻撃を受け討死した。参考文献:フリー百科事典「ウィキペディア(Wikipedia)」。

江馬時政【えまとみまさ(15??~1585)】

江馬輝盛の男。官途は右馬助。1582年、「八日市の戦い」で父江馬輝盛が三木頼綱、小島時光勢と戦い討死すると、金森長近を頼って落延びた。1585年、「松倉城の戦い」で金森長近勢属して三木頼綱勢と戦い戦功を挙げたが旧領を回復することはできなかった。鍋山右近太夫、広瀬宗直らとともに蜂起するが敗れて自刃した。参考文献:フリー百科事典「ウィキペディア(Wikipedia)」。

大谷蔵人【おおくあくらうど(15??~15??)】

鍋山安室家臣。小八賀の領主。参考文献:『戦国残酷物語(復讐鬼)』by南條範夫。

大坪孫八【おおつぼまごはち(15??~15??)】

麻生野慶盛家臣。

尾神義宗【おがみよしむね(15??~15?? )】

内ヶ島氏理家臣。官途は備前守。帰雲城代家老職を務めた。参考文献:『廃城奇譚(帰雲城三代)』by南條範夫。

尾神氏綱【おがみうじつな(15??~1585)】

尾神義宗の男。1585年、「牧戸館の戦い」で金森長近勢の攻撃を受け討死した。参考文献:『廃城奇譚(帰雲城三代)』by南條範夫。

岡本豊前守【おかもとぶぜん(15??~1577)】

三木直頼家臣。大野郡中山館主。室は三木良頼の娘。1577年、「中山館の戦い」で三木頼綱勢の攻撃を受け討死した。参考文献:「金森戦記」byRYO(りょう)。

岡部六右衛門【おかべろくえもん(15??~1582)】

荒城道休家臣。家老衆。1582年、荒城右近に代わり、荒城左京を館主に擁立して娘岡部美津の婿とした。婚礼の日、城兵とともに荒城左京とともに荒城右近に毒殺された。参考文献:『廃城奇譚(横尾城の白骨)』by南條範夫。

小瀬冬人【おぜふゆと(15??~15?? )】

冬頭館主。通称兵衛尉。参考文献:「金森戦記」byRYO(りょう)。

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【か】

柿下雅房【かきしてまさふさ(15??~15??)】

江馬時盛家臣。1573年、江馬時盛の意向を受け佐藤清嗣とともに信州駒場の武田晴信に陣中見舞いの品を届けたが、武田晴信は病没していた。参考文献:『武田勝頼』by新田次郎。

風間宗十【かざまそうじゅうろう(15??~1568)】

牛丸重親家臣。元甲斐国の黒川金山衆。高原川の船津の銀鉱山を採掘した。書画骨董などの鑑識眼を持っていたため、牛丸重親の意向を受け稲葉山城下に赴き甲冑武器などを購入した。1568年、堀越利昌に牛丸重親の謀殺の嫌疑をかけられ討取られた。参考文献:『廃城奇譚(亀洞城の廃絶)』by南條範夫。

樫尾久左衛門【かしおひさざえもん(15??~1567)】

池本安高家臣。1567年、「第一次三田谷館の戦い」で広瀬宗城勢の攻撃を受け落延びた。篠村左兵太が擁立した池本安高の陰武者(二宮杏之助)を見破り篠村左兵太に謀殺された。参考文献:『第三の陰武者(第三の陰武者)』by南條範夫。

甲経氏【かぶとつねうじ(15??~15??)】

大野郡小屋名館主。官途は相模守。通称左衛門尉。別名東藤経氏。参考文献:「金森戦記」byRYO(りょう)。

甲義氏【かぶとよしうじ(15??~1582)】

甲経氏の甥。通称縫殿介。別名東藤義氏。室は甲経氏の娘(阿与姫)。甲経氏が病没すると、甲家の家督を相続した。1581年、「江名子の戦い」で塩屋秋貞勢と戦い撃退する戦功を挙げた。目に傷を負い失明した。1582年、弟の甲経氏と家老の河上又左衛門に甲家の実権を奪われ幽閉された。甲忠氏に謀殺された。参考文献:『戦国残酷物語(草鞋の墓碑)』by南條範夫。

甲忠氏【かぶとただうじ(15??~1582)】

甲義氏の弟。官途は甲斐守。別名東藤忠氏。1581年、兄甲義氏が失明すると家老の河上又左衛門と結び水上喜六郎に内応の嫌疑をかけ自刃に追込んだ。1582年、甲義氏を幽閉して小屋名館の実権を握った。「江名子の戦い」で塩屋秋貞勢と戦い大敗して多くの家臣を失った。「美女峠の戦い」で江馬時盛の家臣神代常名勢と戦い大敗して捕縛された。参考文献:『戦国残酷物語(草鞋の墓碑)』by南條範夫。

川井左兵【かわいさへい(15??~15??)】

高堂館主。1585年、「高堂館の戦い」で金森長近勢の攻撃を受けると降伏して先導役を務めた。参考文献:『第三の陰武者(第三の陰武者)』by南條範夫。

河上富信【かわかみとみのぶ(15??~15??)】

江馬時盛家臣。官途は中務。通称宗十郎。別名河上光久。筆頭家老職で江馬家四天王。江馬時盛が越中新川郡中地山を攻略すると、中地山館主に任じられた。「越中湯端館の戦い」で畑九郎を攻撃した。1573年、武田晴信が信州駒場で病没すると、それを長尾景虎に知らせた。1582年、「八日町の戦い」で三木頼綱勢と戦い江馬輝盛が討死すると、越中国有峰に落延びた。

河上家頼【かわかみいえより(15??~15??)】

麻生野慶盛の男(河上富信の養子)。通称小次郎。別名麻生野家頼。1573年、「洞館の戦い」で江馬輝盛勢の攻撃を受け父麻生野慶盛が討死すると、越中船倉泰立寺に落延びた。幸尊上人の弟子となった。金森長近に招かれ、高山国分寺の僧となった。

河上忠房【かわかみただふさ(15??~1582)】

江馬輝盛家臣。通称左衛門。1582年、「八日町の戦い」で三木頼綱勢と戦い江馬輝盛が討死すると、それに従い殉死した。

河上忠輔【かわかみただゆ(15??~1582)】

江馬輝盛家臣。通称縫殿介。1582年、「八日町の戦い」で三木頼綱勢と戦い江馬輝盛が討死すると、それに従い殉死した。

河上又左衛門【かわかみまたざえもん(15??~15??)】

甲経氏家臣。甲家筆頭家老職。1581年、甲義氏が失明すると、水上喜六郎を自刃に追込み甲忠氏を擁立して家政の実権を掌握した。1582年、「江名子の戦い」で甲忠氏に従い塩屋秋貞勢と戦い大敗した。「宮峠の戦い」で神代常名勢の追撃を受け討死した。参考文献:『戦国残酷物語(草鞋の墓碑)』by南條範夫。

河尻将監【かわじりしょうげん(15??~15??)】

広瀬宗城家臣。

菊王丸【きくおうまる(15??~15??)】

高山晴高家臣。高山晴高の寵童。1558年、「高山館の戦い」で三木頼綱の家臣堀将監勢の攻撃を受け三木兼親に捕縛され拷問を受け謀殺された。参考文献:『廃城奇譚(高山城前史)』by南條範夫。

吉川左衛門尉【きっかわさえもんのじょう(15??~15??)】

牛丸重親家臣。古川郡野口館主。

熊原左近【くまはらうきょう(15??~15??)】

鍋山安室家臣。参考文献:『飛騨の歴史再発見!』byひだっちブログ。

桑原源太【くわはらげんた(15??~1566)】

池本安高家臣。池本安高の陰武者。1566年、「牧ヶ洞館の戦い」で池本安高が流れ矢で左目を負傷すると、左目を潰されるのを避けるため逃亡したが捕縛され謀殺された。参考文献:『第三の陰武者(第三の陰武者)』by南條範夫。

小島安忠【こじまやすただ(15??~15??)】

吉城郡杉崎館主。小島国重の男。室は宮本直頼の娘(時姫)。参考文献:『第三の陰武者(第三の陰武者)』by南條範夫。

小島雅秀【こじままさひで(15??~15??)】

吉城郡小島館主。参考文献:フリー百科事典「ウィキペディア(Wikipedia)」。

小島時光【こじまときみつ(15??~1585)】

小島雅秀の男。1582年、「八日町の戦い」で牛丸親正、広瀬宗城とともに三木頼綱に従い江馬輝盛勢と戦った。三木頼綱勢の伏兵により江馬輝盛が討死して、江馬輝盛勢が壊滅した。「高原諏訪館の戦い」で江馬輝盛勢と戦い高原諏訪館を攻落とす戦功を挙げた。1585年、「松倉城の戦い」で三木頼綱に従い金森長近勢と戦い討死した。参考文献:フリー百科事典「ウィキペディア(Wikipedia)」。

小島元頼【こじまもとより(15??~15??)】

三木頼綱の四男(小島時光の養子)。参考文献:フリー百科事典「ウィキペディア(Wikipedia)」。

小島重清【こじましげきよ(15??~15??)】

小島時光家臣。通称左馬介。猛将。1576年、小島時光の意向を受け使者として堀越利昌のもとを赴いた。牛丸玉姫を見初め、使者をたて内室に望むがに拒否された。1576年、「小鷹利館の戦い」で小島時光の意向を受け堀越利昌勢と戦い堀越利昌を討取る戦功を挙げた。玉姫を内室に迎え小鷹利館主に任じられた。1582年、「小鷹利館の戦い」で広瀬宗城勢の攻撃を受け越前国に落延びた。参考文献:『廃城奇譚(亀洞城の廃絶)』by南條範夫。

小島弥平【こじまよへい(15??~1582)】

荒城道休家臣。1582年、荒城左京の謀殺を図った継嗣の小島孫四郎の右腕を切りすて取り押さえた。参考文献:『廃城奇譚(横尾城の白骨)』by南條範夫。

小島孫四郎【こじままごしろう(15??~1582)】

小島弥平の男。1582年、荒城左京の謀殺を図ったが、父の小島弥平に右腕を切り落とされ取り押さえられ自刃した。参考文献:『廃城奇譚(横尾城の白骨)』by南條範夫。

後藤重元【ごとうしげもと(1516~1577)】

姉小路高綱家臣。通称帯刀。1576年、姉小路高綱が病後没すると、小鷹利城に入った牛丸重親が姉小路宣政を蔑ろにしたため、姉小路宣政とともに牛丸重親と対立した。1577年、「角川の戦い」で牛丸重親勢と戦い討死した。

後藤縫殿介【ごとうぬいどのすけ(15??~15??)】

鍋山利景家臣。牛尾三郎太の密告で、内山近盛、和仁三左衛門、後藤縫殿介、磯村親治らとともに長屋宗之を捕縛した。参考文献:『戦国残酷物語(復讐鬼)』by南條範夫。

五平次【ごへいじ(15??~15??)】

堀越利昌家臣。1576年、「小鷹利館の戦い」で小島時光の家臣小島重清勢の攻撃を受け佐世江を守って落延びるが、裏切り佐世江を陵辱して衣服を奪い逃亡した。参考文献:『廃城奇譚(亀洞城の廃絶)』by南條範夫。

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【さ】

作左衛門【さくざえもん(15??~1560)】

大野郡高山郷の農民。1558年、「高山館の戦い」で三木頼綱勢の攻撃を受け高山館が落城すると、三木兼親勢の足軽衆に女房が謀殺され、娘の二人(さち、あき)とともに捕縛された。1560年、三木兼親の謀殺を図ったが失敗の終わった。参考文献:『廃城奇譚(高山城前史)』by南條範夫。

笹森十郎【ささもりじゅうろう(15??~15??)】

牛丸重親家臣。1572年、「小鷹利館の戦い」で山下重定の家臣長津修理と戦い討死した。参考文献:『戦国残酷物語(ハナノキ秘史)』by南條範夫。

佐藤清嗣【さとうきよつぐ(15??~15??)】

江馬時盛家臣。1573年、柿下雅房とともに信州駒場の武田晴信に陣中見舞いの品を届けたが、武田晴信は病没していた。参考文献:『武田勝頼』by新田次郎。

塩谷秋貞【しおやあきさだ(1539~1582)】

大野郡尾崎館主。官途は筑前守。飛騨高山の塩商人。越中からは塩、魚、輪島漆器、薬、飛騨国からは神岡山の鉛、生糸、馬などの物流を押さえ勢力を拡大した。1564年、「尾崎館の戦い」で武田晴信の家臣山県昌景勢の攻撃を受け吉城郡蛤館に落延びた。1578年、長尾景虎が病没すると、織田信長勢に属した。1582年、「魚津城の戦い」で織田信長の家臣佐々成政に従い長尾景勝勢と戦い討死した。

塩谷直安【しおやなおやす(15??~15??)】

塩谷秋貞の男。官途は監物。1572年、「越中城生城の戦い」で長尾景虎勢に従い神保氏張勢と戦った。

塩谷三平【しおやさんぺい(15??~15??)】

塩谷秋貞の次男。1572年、「越中城生城の戦い」で兄塩谷直安とともに長尾景虎勢に従い神保氏張勢と戦った。

篠村左兵太【しのむらさへいた(15??~1567)】

池本安高家臣。1567年、「第一次三田谷館の戦い」で広瀬宗城勢の攻撃を受け落延びた。天生村に戻った二宮杏之助を池本安高の陰武者に仕立て三木自綱の支援を受け三田谷館の奪還を図った。「第二次三田谷館の戦い」で広瀬宗城の家臣山下重親勢と戦ったが、二宮杏之助に謀殺された。参考文献:『第三の陰武者(第三の陰武者)』by南條範夫。

下平右京【しもひらうきょう(15??~15??)】

宮本直頼家臣。城代家老職を務めた。参考文献:『戦国残酷物語』by南條範夫。

周五【しゅうご(15??~15??)】

三木兼親家臣。足軽衆。1558年、「高山館の戦い」で捕縛された菊王丸を三木兼親の意向を受け拷問した。参考文献:『廃城奇譚(高山城前史)』by南條範夫。

正蓮寺善俊【しょうれんじぜんしゅん(15??~15??)】

大野郡正蓮寺法主。別名嘉念坊。飛騨国本願寺派の寺院。飯島、鳩谷、萩の三ヶ村(大郷)を領した。参考文献:『廃城奇譚(帰雲城三代)』by南條範夫。

正蓮寺教信【しょうれんじたかのぶ(14??~15??)】

正蓮寺善俊の男。通称将監。別名三島将監。猛将。1461年、牧戸館主内ヶ島為氏の攻撃を図るが弟の正蓮寺明教に反対され法主を譲り還俗した。「牧戸館の戦い」で内ヶ島為氏勢と戦ったが反撃を受け敗退した。1475年、「正蓮寺の戦い」で内ヶ島為氏勢の攻撃を受け討死した。参考文献:『廃城奇譚(帰雲城三代)』by南條範夫。

正蓮寺明教【しょうれんじあきよし(14??~1475)】

正蓮寺善俊の次男。1475年、「正蓮寺の戦い」で内ヶ島為氏勢の攻撃を受け兄正蓮寺教信とともに討死した。参考文献:『廃城奇譚(帰雲城三代)』by南條範夫。

正蓮寺明心【しょうれんじみょうじん(1473~15??)】

正蓮寺明教の男。室は内ヶ島為氏の娘。1475年、「正蓮寺の戦い」で内ヶ島為氏勢の攻撃を受け父正蓮寺明教が討死すると、乳母に抱かれ越前永平寺に落延びた。1488年、内ヶ島為氏に白川郷への帰還を申し入れたが拒否された。本願寺蓮如の仲介により内ヶ島為氏と和議を結び白川郷に照蓮寺を創建した。1506年、内ヶ島為氏とともに加賀一向一揆を支援した。参考文献:『廃城奇譚(帰雲城三代)』by南條範夫。

甚平【じんぺい(15??~15??)】

三木兼親家臣。足軽衆。1558年、「高山館の戦い」で捕縛された菊王丸を三木兼親の意向を受け拷問した。参考文献:『廃城奇譚(高山城前史)』by南條範夫。

杉政三郎右衛門 【すぎまささぶろうえもん(15??~15??)】

塩谷秋貞家臣。1572年、「越中城生城の戦い」で塩谷直安とともに長尾景虎勢に従い神保氏張勢と戦った。

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【た】

高山晴高【たかやまはるたか(15??~1558)】

大野郡天神山館主。官途は外記。通称右衛門。飛騨国守護代職を務めた。1558年、「天神山館の戦い」で三木頼綱の家臣堀将監勢の攻撃を受け滅亡した。参考文献:『廃城奇譚(高山城前史)』by南條範夫。

田口義宗【たぐちよしむね(15??~15??)】

三木頼綱家臣。別名田口慶宗。室は三木頼綱の娘。

田中与左衛門【たなかよざえもん(15??~15??)】

広瀬宗城家臣。1582年、広瀬宗城が三木頼綱に謀殺されると、広瀬宗直とともに金森長近のもとに落延びた。1585年、「松倉城の戦い」で金森長近勢の先導役を務め高堂館、広瀬館を攻落として三木頼綱を自刃に追込む戦功を挙げた。

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【な】

中河兼顕【なががわかね(15??~15??)】

内ヶ島為氏家臣。

長津修理【ながつしゅり(15??~15??)】。

山下重定家臣。1572年、山下重定の意向を受け、杉崎館主小島時光のもとに間者として送り込まれた。1576年、「小鷹利館の戦い」で牛丸親綱の家臣笹森十郎を討取る戦功を挙げた。「諏訪原城の戦い」で山下重定に従い江馬輝盛勢と戦い江馬輝盛勢の先陣の江馬兼盛を討取った。数々の戦功を挙げ小島時光から重用された。「杉崎館の戦い」で山下重定勢を城内に引き入れ杉崎館を陥落させた。参考文献:『戦国残酷物語(ハナノキ秘史)』by南條範夫。

長屋宗綱【ながやむねつな(15??~1562)】

大野郡貝森館主。通称左衛門尉。1562年、「貝森館の戦い」で鍋山利景勢の攻撃を受け討死した。枝連衆、郎党を鍋山利景に謀殺され、ただ独り城主の姪の江美姫だけが助けられた。参考文献:『戦国残酷物語(復讐鬼)』by南條範夫。

長屋宗之【ながやむねゆき(1546~15??)】

長屋宗綱の男。室は内ヶ島兵庫の娘(小夜姫)。貝森城落城時、人質として春日山城にいたため難を逃れた。従卒牛尾三郎太と坂島市太の二人を使い鍋山利景に復讐を誓った。長屋宗之は、父長屋宗綱の義弟、幽仙寺の和尚宗円の頸を手土産に、鍋山利景に仕えた。参考文献:『戦国残酷物語(復讐鬼)』by南條範夫。

鍋山安室【なべやまあんむろ(15??~15??)】

大野郡鍋山館主。平野右衛門尉の男。官途は豊前守。室は小峯の方。別名平野安室。三仏寺城主であったが、鍋山城を修築して本拠を移した。1567年、三木頼綱の弟三木顕綱を養子に迎えたが三木顕綱により謀殺された。参考文献:『戦国残酷物語(復讐鬼)』by南條範夫。

鍋山利高【なべやまとしたか(15??~1585)】

鍋山利景の男。官途は右近太夫。1583年、鍋山顕綱が謀殺されると、美濃国に落延びた。1585年、「松倉城の戦い」で金森長近に降伏して先導役を務めたが改易処分に処された。江馬時政、広瀬宗直らとともに謀反を起こすが討死した。参考文献:『戦国残酷物語(復讐鬼)』by南條範夫。

鍋山顕綱【なべやまあきつな(15??~1583)】

三木良頼の男(鍋山安室の養子)。官途は豊後守。鍋山城主鍋山安室は、三木良頼の影響下にあった。鍋山安室には実子鍋山左近大夫がいたが、三木頼綱の弟三木顕綱を養子に迎え、家名安泰を図った。鍋山顕綱は鍋山安室を謀殺、鍋山安室の室と鍋山左近大夫を追放し、鍋山城を乗っ取った。1583年、鍋山顕綱は兄姉三木頼綱に謀反の嫌疑をかけられ謀殺された。

鍋山元綱【なべやまもとつな(15??~1585)】

三木頼綱の三男(鍋山顕綱の養子)。1583年、養父鍋山顕綱のあとを継ぎ鍋山城主となった。1585年、金森長近の飛騨侵攻に兄三木秀綱とともに抵抗したが松倉城で討死した。

二宮三右衛門【にのみやさんえもん(15??~15??)】

天生村郷士。参考文献:『第三の陰武者(第三の陰武者)』by南條範夫。

二宮龍之助【にのみやりゅうのすけ(15??~1567)】

二宮三右衛門の男。1567年、父二宮三右衛門の危篤を報せるために訪れた桜洞城で篠村左兵太に謀殺された。参考文献:『第三の陰武者(第三の陰武者)』by南條範夫。

二宮杏之助【にのみやあんのすけ(15??~1585)】

二宮三右衛門の次男。1565年、樫尾久左衛門に池本安高の陰武者として召抱えられた。1566年、「牧ヶ洞館の戦い」で池本安高が流れ矢で左目を負傷すると、陰武者を続けるため左目を潰された。1567年、「第一次三田谷館の戦い」で広瀬宗城勢の攻撃を受け池本安高とともに落延びるが池本安高を謀殺した。「第二次三田谷館の戦い」で三木自綱の支援を受け三田谷館を奪還したが三木定光に幽閉された。参考文献:『第三の陰武者(第三の陰武者)』by南條範夫。

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【は】

畑林高【はたもりたか(15??~15??)】

益田郡三仏寺館主。通称六郎左衛門。「三仏寺館の戦い」で三木直頼勢の攻撃を受け降伏した。江名子館に転封した。

畑安高【はたやすたか(15??~1585)】

三木頼綱家臣。通称太郎右衛門。勇将。1585年、「松倉城の戦い」で三木頼綱に従い松倉城に籠城して金森長近勢と戦った。金森長近の家臣山蔵宗次と戦い討死した。

平野右衛門尉【ひらのうえもんのじょう(15??~15?? )】

三木良頼家臣。益田郡臼越館主。1547年、臼越館主に任じられた。

広瀬利治【ひろせとしはる(15??~15??)】

吉城郡高堂館主。官途は左近将監。1532年、高堂城を築城した。

広瀬宗城【ひろせむねくに(15??~1583)】

広瀬利治の男。官途は山城守。1558年、「高山城の戦い」で三木良頼と結んで高山外記を滅ぼした。武田晴信と結び三木良頼と対立した。1583年、「小鷹利館の戦い」で三木頼綱と結んで牛丸綱親を小鷹利館から追落とした。1582年、「武田家討伐」で武田勝頼が織田信長勢の攻撃を受け滅亡すると、三木頼綱に謀殺された。参考文献:『戦国大名家辞典』by東京堂出版。

広瀬宗直【ひろせむねなお(15??~1585)】

広瀬宗城の男。官途は兵庫頭。1582年、父広瀬宗城が三木頼綱に謀殺されると、越前国に落延びた。1585年、「松倉城の戦い」で金森長近勢に属して先導役を務め、高堂館、広瀬館などで三木頼綱勢と戦った。飛騨国衆と対立して江馬時政らとともに蜂起したが鎮圧され討死した。参考文献:『戦国大名家辞典』by東京堂出版。

藤瀬新蔵【ふじせしんぞう(15??~15??)】

三木良頼家臣。1585年、「松倉城の戦い」で三木頼綱に従い松倉城に籠城したが、金森長近に内応して城内に放火した。

古川二郎【ふるかわじろう(15??~15??)】

江馬輝盛家臣。古川館主。

古林安之助【ふるばやしあんのすけ(15??~1582)】

甲経氏家臣。1582年、「江名子の戦い」で甲忠氏に従い塩屋秋貞勢と戦い大敗した。甲忠氏から謀反の嫌疑を受け謀殺された。参考文献:『戦国残酷物語(草鞋の墓碑)』by南條範夫。

堀越利昌【ほりこしとしまさ(15??~1576)】

牛丸定親家臣。通称十兵衛。筆頭家老職を務めた。1568年、牛丸定親を謀殺した。1569年、牛丸宗親を謀殺した。牛丸宗親の未亡人(佐世江)を内室に迎えた。高原川の船津の銀鉱山を大規模に開発した。三木直頼と結び領地(巣山、大笠、数河)を広げた。1576年、「小鷹利館の戦い」で小島時光の家臣小島重清勢の攻撃を受け討死した。参考文献:『廃城奇譚(亀洞城の廃絶)』by南條範夫。

堀越宇禰【ほりこしうね(1573~1576)】

堀越利昌の男。1576年、「小鷹利館の戦い」で小島時光の家臣小島重清勢の攻撃を受け佐世江とともに落延びるが従卒の五平次が裏切り殺された。参考文献:『廃城奇譚(亀洞城の廃絶)』by南條範夫。

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【ま】

三木重頼【みきよりしげ(14??~1504)】

益田郡桜洞館主。官途は修理亮。優良な木材と益田川の権益を掌握した。1504年、「信濃王龍の戦い」で木曾義元勢を撃破る戦功を挙げた。「信濃宮島の戦い」で木曾義元の家臣古幡伯耆守勢の追撃を受け討死した。

三木直頼【みきなおより(1498~1554)】

三木重頼の男。官途は大和守。1504年、「信濃宮島の戦い」で父三木重頼が討死したため、三木家の家督を相続した。美濃国の土岐頼芸と結び飛騨国の南側を勢力圏に収めた。土岐頼芸に援軍を要請されるなど、近隣諸国にもその勢威は及んだ。1528年、木曾義元、木曾義在と戦いこれを撃破した。1540年、土岐頼芸の求めに応じて美濃国に参陣した。飛騨国北部を支配する江馬時経と飛騨国の覇権を巡り争ったが、江馬時経の病没後は和議を結んだ。参考文献:『廃城奇譚(亀洞城の廃絶)』by南條範夫。

三木良頼【みきよしより(1520~1572)】

三木直頼の男。官途は飛騨守。別名姉小路良頼。1554年、三木家の家督を相続した。1556年、「桜洞館の戦い」で遠山直廉勢の攻撃を受けたが撃退した。1556年、「古川館の戦い」で田向重継を攻撃してこれを滅ぼした。1558年、「天神山館の戦い」で高山外記を攻撃して滅ぼした。弟の三木久綱を天神山館代に任じた。1564年、「桜洞館の戦い」で武田晴信の家臣山県昌景勢の攻撃を受けたが長尾景虎勢の支援を受け撃退した。

三木頼綱【みきよりつな(1540~1587)】

三木良頼の男。官途は大和守。通称左衛門佐。別名姉小路自綱。室は長井規秀の娘。弟の三木顕綱、継嗣の三木信綱を謀殺して領国の維持を図った。1569年、「桜洞館の戦い」で遠山慶隆勢の攻撃を受けたが撃退した。1577年、「中山館の戦い」で岡本豊前守を討取る戦功を挙げた。1578年、織田信長勢と結び越中国内で長尾景勝勢と戦った。1582年、「八日市の戦い」で江馬輝盛を討取る戦功を挙げた。参考文献:『戦国人名事典』by新人物往来社。

三木信綱【みきのぶつな(15??~1583)】

三木頼綱の男。別名姉小路信綱。1583年、三木顕綱の謀反に加担して父三木頼綱に謀殺された。

三木秀綱【みきひでつな(15??~1585)】

三木頼綱の次男。官途は豊後守。別名姉小路秀綱。兄三木信綱が三木顕綱の謀反に加担したとして、父三木頼綱に謀殺された。姉小路家の家督を相続して、三木顕綱の鍋山城を預かった。1583年、「賤ヶ岳の戦い」で、父三木頼綱が佐々成政と通じて羽柴秀吉に反抗した。1585年、「松倉城の戦い」で羽柴秀吉の意向を受けた金森長近勢の攻撃を受けた。父三木頼綱が金森長近勢に降伏した後も徹底抗戦の意志を示したが、金森長近勢の攻撃を受け松倉城落城、落延びる途中捕えられ自刃した。参考文献:『第三の陰武者(第三の陰武者)』by南條範夫。

三木国綱【みつぎくにつな(1546~1585)】

三木頼綱家臣。山下館主。官途は刑部大輔。通称。別名山下利国。室は三木頼綱の娘。飛騨一宮水無神社の神官職を横領した。1585年、「山下館の戦い」で金森長近勢の攻撃を受ける捕縛されるが、領民の嘆願により助命され落延びた。「三沢の乱」で金森可重が守備する山下館を攻撃するが、反撃を受け討死した。

三木頼一【みきよりかず(15??~15??)】

三木直頼の次男。宮地館主。通称新九郎。1544年、三木良頼とともに鍋山城を守備した。

三木久綱【みきひさつな(15??~15??)】

三木頼綱家臣。1558年、「天神山館の戦い」で三木頼綱に従い高山外記勢と戦い戦功を挙げ天神山館主に任じられた。

三木兼親【みきかねちか(15??~1560)】

三木直頼家臣。通称太郎左。冷酷な武将。1558年、「高山館の戦い」で苦戦している堀将監を支援して高山館を攻落とし高山晴高の寵童菊王丸を捕縛した。戦功により高山館主に任じられた。1560年、「御堂館の戦い」で三木頼綱の意向を受け御堂館を攻撃したが討死した。参考文献:『廃城奇譚(高山城前史)』by南條範夫。

三木直弘【みきなおひろ(15??~15?? )】

益田郡三仏寺館主。三木直頼の次男。1564年、「三仏寺館の戦い」で武田晴信の家臣山県昌景勢の攻撃を受けると、戦うことなく三仏寺館に火をかけて桜洞城に落延びた。参考文献:「金森戦記」byRYO(りょう)。

三木定光【みきさだみつ(15??~1585)】

三木自綱家臣。通称左衛門。三木自綱の娘(照姫)と池本安高との婚儀に反対した。1567年、「第二次三田谷館の戦い」で池本安高勢を支援して広瀬宗城の家臣山下重親勢と戦い三田谷館を奪還した。池本安高を幽閉して照姫を内室に迎えた。1585年、「第三次三田谷館の戦い」で金森長近勢と戦い討死した。参考文献:『第三の陰武者(第三の陰武者)』by南條範夫。

三沢国綱【みさわくにつな(15??~1585)】

三木自綱家臣。山下館主。一ノ宮の神職。1577年、三木良頼と縁組して還俗した。1585年、「松倉城の戦い」で金森長近勢の攻撃を受け三木頼綱勢が滅亡すると、娘を人質に降伏した。「山下館の戦い」で謀反を起こし一揆勢とともに山下館を攻撃したが金森可重勢の反撃を受け槌打小金に討取られた。参考文献:「金森戦記」byRYO(りょう)。

水上喜六郎【みずかみきろくろう(15??~15??)】

甲経氏家臣。猛将。甲経氏のもと先陣を務め数々の戦功を挙げた。1581年、塩屋秋貞との内応の嫌疑を受け自刃した。参考文献:『戦国残酷物語(草鞋の墓碑)』by南條範夫。

宮本直頼【みやもとなおより(15??~15??)】

吉城郡鶴ヶ洞館主。官途は大和守。参考文献:『戦国残酷物語(ハナノキ秘史)』by南條範夫。

向井筑後守【むかいちくごのかみ(15??~15??)】

大野平館主。参考文献:『第三の陰武者(第三の陰武者)』by南條範夫。

宗石総兵衛【むねいしそうべい(15??~1560)】

高山晴高家臣。1558年、「高山館の戦い」で高山晴高に従い継嗣の宗石兵太、宗石善次、宗石三郎ととも高山館に籠城して三木頼綱勢と戦ったが、三男の宗石三郎が討死したが、宗石兵太、宗石善次とともに三木頼綱勢に捕縛された。三木兼親が高山館主に任じられ、労務ため酷使され宗石兵太、宗石善次が三木兼親勢に殺された。1560年、三木兼親の謀殺を図ったが失敗の終わった。参考文献:『廃城奇譚(高山城前史)』by南條範夫。

宗石兵太【むねいしへいた(15??~1558)】

宗石総兵衛の男。1558年、「高山館の戦い」で宗石総兵衛に従い高山館に籠城して三木頼綱勢と戦い捕縛された。三木兼親が高山館主に任じられ、労務ため酷使された。労務に耐えかね三木兼親を襲い返り討ちに遭った。考文献:『廃城奇譚(高山城前史)』by南條範夫。

宗石善次【むねいしぜんじ(15??~1558)】

宗石総兵衛の次男。1558年、「高山館の戦い」で宗石総兵衛に従い高山館に籠城して三木頼綱勢と戦い捕縛された。三木兼親が高山館主に任じられ、労務ため酷使された。労務に耐えかね抗議をしたため謀殺された。参考文献:『廃城奇譚(高山城前史)』by南條範夫。

宗石三郎【むねいしさぶろう(15??~1558)】

宗石総兵衛の三男。1558年、「高山館の戦い」で宗石総兵衛に従い高山館に籠城して三木頼綱勢と戦い討死した。参考文献:『廃城奇譚(高山城前史)』by南條範夫。

森和泉守【もりいずみのこあみ(15??~15??)】

三木頼綱家臣。下呂森館主。室は三木頼綱の娘。

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【や】

山賀新兵衛門【やまがへいえもん(15??~15??)】

姉小路済継家臣。

山下重親【やましたしげちか(15??~1567)】

広瀬宗城家臣。1567年、「第二次三田谷館の戦い」で池本安高、三木定光勢の攻撃を受け討死した。参考文献:『第三の陰武者(第三の陰武者)』by南條範夫。

山田紀伊守【やまだきいのかみ(15??~1558)】

三木頼綱家臣。大野郡畑佐館主。1558年、「畑佐館の戦い」で広瀬宗城と結んだ三木頼綱勢の攻撃を受け討死した。

山田右衛門【やまだうえもん(15??~1582)】

江馬輝盛家臣。1582年、「八日町の戦い」で三木頼綱勢と戦い江馬輝盛が討死すると、それに従い殉死した。

吉村政元【よしむらまさもと(15??~15??)】

江馬時盛家臣。吉城郡政元館主。通称斎右衛門。江馬家四天王。1582年、「八日町の戦い」で三木頼綱勢と戦い江馬輝盛が討死すると没落した。

脇田右衛門【わきたうざえもん(15??~15??)】

麻生野慶盛家臣。1578年、「洞館の戦い」で江馬輝盛勢の攻撃を受け麻生野慶盛が滅亡すると、大坪孫八らとともにその妻子を連れて越中国に落延びた。

鷲見文四郎【わしみふみしろう(15??~1582)】

江馬輝盛家臣。1582年、「八日町の戦い」で三木頼綱勢と戦い江馬輝盛が討死すると、それに従い殉死した。

渡部筑前守【わたなべちくぜんのかみ(15??~15??)】

姉小路済継家臣。

渡辺大蔵【わたなべおおくら(15??~1582)】

江馬輝盛家臣。1582年、「八日町の戦い」で三木頼綱勢と戦い江馬輝盛が討死すると、それに従い殉死した。

和爾経氏【わちつねうじ(15??~15??)】

江馬時盛家臣。江馬家四天王。 

和仁勝雄【わにかつよし(15??~1582)】

江馬輝盛家臣。官途は備中守。1582年、「八日町の戦い」で三木頼綱勢と戦い江馬輝盛が討死すると、それに従い殉死した。

和仁与兵衛【わによへい(15??~1582)】

江馬輝盛家臣。1582年、「八日町の戦い」で三木頼綱勢と戦い江馬輝盛が討死すると、それに従い殉死した。

和仁三左衛門【わにさぶりょうえもん(15??~15??)】

鍋山利景家臣。牛尾三郎太の密告を受け内山近盛、後藤縫殿介、磯村親治らとともに長屋宗之を捕縛した。参考文献:『戦国残酷物語(復讐鬼)』by南條範夫。 

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【資料Ⅰ】

飛騨国(3郡/32,000石)

吉城郡:小鷹利館、高原諏訪館。
大野郡:松倉城、帰雲館。
益田郡:桜洞城。

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【資料Ⅱ】

内ヶ島三家老衆【うちがしまさんかろうしゅう】

尾神氏綱、山下氏勝、川尻氏信。

江馬輝盛十三人衆【えまてるもりじゅうさんにんしゅう】

和仁勝雄、和仁与兵衛、神代三左衛門、川上左衛門忠房、川上縫殿介忠輔、 脇田右衛門七、寺林甚四郎、山田右衛門、一之瀬源蔵、鷲見文四郎、大島左近介、渡辺大蔵、中山弥四郎。『飛騨群鑑』に記されている江馬輝盛に殉じた十三名の家臣。

江馬家四天王【えまけしてんのう】

河上富信、和爾経氏 神代常名、吉村政元。

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【資料Ⅲ】

飛騨国【ひだのくに】

四方を山に囲まれた東山道の国。東は飛騨山脈(乗鞍岳、御獄山)の高峰が信濃国との境を隔て、西は両白山地が加賀、越前両国との国境を形作る。北は飛騨高地の北で越中国と境を接し、南は鷲ヶ岳から飛騨川に至る線で美濃国に通づる。周囲を山岳地帯に囲まれ、国の中央を飛騨高地が覆う典型的な山国で、平地は高山盆地などごくわずかしかない。米の生産高こそ低かったものの、鉱物資源と山林資源を豊富に産出しており、貧しい国ではなかった。1573年、塩屋秋貞が長尾景虎に矢玉の原料になる鉛600kgを送った。1586年、金森長近が飛騨に入部してからは、和佐保銀山、茂住銀山などを開発して隆盛を極めた。山林は多く林業は盛んで、律令制下では「飛騨工(宮大工)」として租税の代わりに従事させた。北部の吉城郡、中部の大野郡、南部の益田郡の三郡からなる。南部の益田郡が三木家の本拠地で、北部の吉城郡は江馬家の勢力圏であった。

照蓮寺【しょうれんじ】

飛騨本願寺派の中心寺院。1494年、親鸞の門弟嘉念房善俊に創建された。嘉念房善俊は本願寺蓮如に帰依し、美濃国郡上郡白鳥村で布教を行い、大野郡白川郷に鳩谷道場を建て照蓮寺と称した。照蓮寺の寺務職を担ったのは、嘉念房善俊子で内ヶ島為氏の女婿嘉念房明心であった。照蓮寺は20余りの道場を支配した。嘉念房善俊の病没すると、嘉念房善俊門徒も次第に照蓮寺に吸収されていった。1520年、嘉念房明心は40余りの道場を率いて北陸一揆を援助する武装集団として姿を変えた。

野麦峠【のむぎとうげ】

飛騨国と南信濃国の国境に位置し、飛騨国と信濃国を結ぶ鎌倉街道、江戸街道と呼ばれる街道の峠。乗鞍岳と鎌ヶ峰の間にある。

天正大地震【てんしょうのだいじしん】

帰雲城は天正大地震による帰雲山の山崩れによって埋没、城主内ヶ島氏理とその枝連衆は全員死亡し、内ヶ島家は滅亡した。周辺の集落数百戸も同時に埋没の被害に遭い、多くの犠牲者を出すこととなった。

龍澤山禅昌寺【りょうたくざんぜんしょうじ】

益田郡にある臨済宗妙心寺派の寺院。1528年、三木直頼に創建された。杲天宗恵し、大雄山円通寺の住持明叔慶浚大和尚を開山として創建された。 1554年、後奈良天皇から「十刹」の綸旨が与えられた。

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戦国人名辞典は、1467年の「応仁の乱」から1637年の「島原の乱」までの期間に活躍した武将をサイト管理人(takatoshi24)の独断と偏見に基づいて編集した国別の戦国武将名辞典です。基本的に五十音順に並んでいますが、親子は年代順、本家と分家がある場合、分家をしたにして居住地域をを苗字の頭に入れています。資料Ⅰは国、郡別の石高、城郭、寺院、街、湊などを記載。資料Ⅱは国で有名な集団(三好三人衆など)についての説明をしています。資料Ⅲは国の詳細(各国の特性、景勝の地、特産品など)を説明しています。また、武将の名前が変わる場合(松平元康→徳川家康)など、松平元康で統一しています。

印は出展図書からを示しています。歴史小説も含まれるため100%史実上の人物とは限りません。小説からの出展は注釈を入れます。

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山名宗全は山名持豊、徳川家康は松平元康、木下藤吉郎は羽柴秀吉。朝倉宗滴は朝倉教景に名前を統一しました。

参考文献:『戦国大名家臣団辞典(東国編)』by新人物往来社、『戦国大名家臣団辞典(東国編)』by新人物往来社、『戦国大名系譜人名辞典(東国編)』by新人物往来社、『信長の野望【革新】マニアックス』by株式会社コーエー、『戦国国取りガイド』by新紀元社、『戦国人名辞典』by新人物往来社、『戦国大名家臣団総覧(歴史と旅臨時増刊)』by秋田書店、『クロニック戦国全史』by講談社、『天下統一Ⅲ(完全攻略ガイド)』by角川書店、『戦国時代人物総覧(別冊歴史読本)』by新人物往来社、『歴史読本(戦国大名家370出自総覧)』by新人物往来社、『戦国大名マニュアル』by新紀元社、『戦国大名家総覧(歴史と旅臨時増刊)』by秋田書店、『戦国武将ガイド』by新紀元社、『飛騨中世史の研究』by戎光祥出版、『廃城奇譚』by南條範夫、『戦国残酷物語』by南條範夫。『第三の陰武者』by南條範夫。フリー百科事典「ウィキペディア(Wikipedia)」。

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