2010年11月14日日曜日

戦国飛騨国人名辞典


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【あ】

阿尻兵部介【あじりひょうぶのすけ(15??~15??)】

鍋山安室家臣。

麻生野直盛【あそうのなおもり(1508~1564)】

吉城郡洞城主。江馬家臣。江馬時経の男。麻生野の庄を領し麻生野を称した。兄江馬時盛を助け飛騨国司の姉小路家に対抗した。

麻生野慶盛【あそうのよりもり(1539~1578)】

麻生野直盛の男。1564年、父麻生野直盛の死去を受けて家督を相続した。1559年、武田晴信は山県昌景に命じて飛騨に侵攻すると、江馬時経とともに麻生野慶盛も降り、所領を安堵された。のちに親武田派であったため、江馬輝盛の攻撃を受け自刃した。

古河姉小路済俊【あねがこうじなりとし(14??~1527)】

田苅城主。飛騨国司家。古河姉小路家。姉小路済継の男。古河姉小路家は姉小路済俊で断絶した。

古河姉小路家臣団【あねがこうじけかしんだん】

牛丸重親、後藤帯刀、渡部筑前守、山賀新兵衛。

姉小路(小鷹利)高綱【あねこうじたかつな(15??~1535)】

小鷹利城主。飛騨国司姉小路家の庶家。1535年、小鷹利高綱が病死すると、嫡男右近宣政がまだ幼少であったため、家臣の牛丸又太郎重親が謀叛。この城を乗っ取った。以後は重頼、綱親と代を重ねたが、綱親の時に三木自綱、広瀬宗城らの攻撃を受けて落城。

姉小路(小鷹利)宣政【あねこうじのぶまさ(15??~1535)】

小鷹利(姉小路)高綱の男。

姉小路自綱【あねがこうじよりつな(1540~1587)】

三木良頼の男。弟三木顕綱、息子三木信綱を謀殺して領国の維持を図った。桜洞城を居城としていた。1579年、松倉城築城、本拠を移動する。1569年、美濃郡上八幡城主遠山慶隆の攻撃を撃退。1577年、中山城主岡本豊前守を討つ。1578年、佐々成政に協力して越中に進出し、越後長尾家と戦っている。1582年「本能寺の変」後侵攻してきた江馬家を「八日市の戦い」で破り悲願の飛騨統一を果した。

姉小路信綱【あねがこうじのぶつな(15??~1583)】

姉小路自綱の男。三木顕綱の謀叛に加担して父姉小路自綱により謀殺された。

姉小路秀綱【あねがこうじひでつな(15??~1585)】

姉小路自綱の次男。官途は豊後守。兄姉小路信綱が一族の三木顕綱の謀反計画に加担したとして、父姉小路自綱に謀殺されたため、世子となり、三木顕綱の鍋山城を預かった。1583年の「賤ヶ岳の戦い」で、父姉小路頼綱が佐々成政と通じて羽柴秀吉に反抗した。1585年、羽柴秀吉の命令を受けて侵攻して来た金森長近の追討を受ける。父姉小路頼綱が金森勢に降伏した後も徹底抗戦の意志を示したが、金森勢の侵攻に松倉城では防ぎきれず、逃亡したが捕らえられ、自刃した。

荒城道休【あらしろどうきゅう(15??~15??)】

横尾城主。※「廃城奇譚」by南條範夫。

荒城右京【あらしろうきょう(15??~15??)】

荒城道休の男。※「廃城奇譚」by南條範夫。

荒城左京【あらしろさきょう(15??~15??)】

荒城道休の次男。※「廃城奇譚」by南條範夫。

飯山保氏【いいやまやすうじ(15??~15??)】

飯山城主。

池本安高【いけもとやすたか(15??~15??)】

三田谷城主。

池本宗利【いけもとむねとし(1567~15??)】

池本安高の男。※「戦国残酷物語」by南條範夫。

池本家臣団【いけもとけかしんだん】

三木定光、樫尾久左衛門、篠村左兵太。※「戦国残酷物語」by南條範夫。

磯村親治【いそむらちかはる(15??~15??)】

鍋山利景家臣。※「戦国残酷物語」by南條範夫。

牛丸重親【うしまるしげちか(15??~1583)】

姉小路家臣。1576年、小鷹利姉小路高綱が死去すると、小鷹利城で政務に携わった。小鷹利家臣後藤重元と対立した。1577年、牛丸重親は後藤勢を打ち破った。名実ともに小鷹利城主となった。

今井貞信【いまいさだのぶ(15??~15?? )】

今井城主。

牛丸親綱【うしまるちかつな(15??~15??)】

吉城郡小鷹利城主。牛丸重親の男。通称又右衛門。1583年、父牛丸重綱の死去にともない家督を相続した。姉小路自綱に小鷹利城を奪われる。1585年、金森長近の飛騨侵攻に加わるも本領回復は出来なかった。姉小路自綱に対し降伏勧告の使者として広瀬城に赴き、勧告を拒絶した姉小路家臣らを斬殺した。

牛丸宗親【うしまるむねちか(15??~15??)】

牛丸重親の次男。※「廃城奇譚」by南條範夫。

内ヶ島雅氏【うちがしままさうじ(15??~15??)】

大野郡帰雲城主。豊富な鉱山資源を収入源に領地経営を安定させる。熱心な一向衆門徒で、本願寺家と協力して越後長尾為景と争うが、敗北した。※「廃城奇譚」by南條範夫。

内ヶ島為氏【うちがしまためうじ(15??~15??)】

内ヶ島雅氏の次男。官途は上野守。一向宗正蓮寺と対立し、住職正蓮寺教信は還俗して内ヶ島為氏と戦い、弟の正蓮寺明教も兄の跡を受けて住職となりやはり内ヶ島為氏に抵抗した。結局内ヶ島為氏は正蓮寺明教を破って自害に追いやる。のちに正蓮寺明教の息子正蓮寺明心に孫娘を嫁がしめて正蓮寺を再建、一向宗勢力と和解した。

内ヶ島氏理【うちがしまうじまさ(1541~1585)】

内ヶ島雅氏の男。1585年、金森長近の飛騨侵攻をうけ降伏。佐々成政と羽柴秀吉の対立により、佐々成政は羽柴秀吉方前田利家と抗争。内ヶ島氏理は姉小路自綱が佐々成政に組したので佐々成政方について援軍を越中に派遣した。羽柴秀吉方金森長近の「飛騨侵攻」を受けたため戦っても利がない事を悟った内ヶ島氏理は、金森長近の下を訪れ献上金を差し出して降伏する。内ヶ島家は所領の一部を没収されたが本領は安堵された。内ヶ島家の本領では鉱物の産出したいたことと多くの鉱山技術者を抱えていた事もあって、金森長近もこれを滅ぼす訳にはいかなかったのである。 当時、鉱物資源を採掘するためには独自の技術が必要であり、その技術を持つ者は少なかったためである。1585年「天正大地震」で城ごと大地に飲み込まれて滅亡した。

内ヶ島家臣団【うちがしまけかしんだん】

萩町城主:山下大和守氏安、中河兼顕、向牧戸城主:河尻備中守氏信。 

内木善秋【うちきよしあき(15??~15??)】

山下家臣。

江馬時盛【えまときもり(1509~1573)】

吉城郡高原諏訪城主。江馬時経の男。隣城の三木家とは同盟と離反を繰り返しながら勢力を拡大した。武田家が飛騨に侵攻すると武田家に従属した。息子江馬輝盛は長尾景虎に接近、江馬時盛と対立した。保有する神岡鉱山(銀、鉛)の生産を拡大収入を増加させた。江馬輝盛の刺客によって殺された。

江馬輝盛【えまてるもり(1535~1582)】

江馬時盛の男。官途は常陸介。1559年、山県昌景の飛騨乱入を受けて父江馬時盛とともに降伏した。親長尾景虎の江馬輝盛は父と対立した。1561年、江馬輝盛は三木良頼とともに越後長尾家派に属して父江馬時盛と対立した。1564年、山県昌景の侵攻を受けてこれに降伏する。1565年、武田家の要請を受けて越中に乱入、越中国新川郡に所領を得て、中地山城を築城した。1569年、寺嶋職定は越中国池田城に拠り越後長尾勢の侵攻に抵抗するが、江馬輝盛もこれに応じて越中国に出兵した。1573年、武田晴信の死後は越後長尾家に従うが父江馬時盛は依然親武田派の姿勢であった。1575年、越後長尾勢による飛騨国侵攻を受けて江馬輝盛、江馬時盛は降伏した。1578年、越後長尾景虎が死去すると、江馬輝盛は父江馬時盛を暗殺した。織田信長による武田攻めでは織田信長に従う。1582年、三木家の後盾である織田信長が「本能寺の変:で斃れると三木領に侵攻したが「八日市の戦い」で優勢ながら鉄砲の銃撃を受けて討死した。

江馬貞盛【えまさだもり(15??~15??)】

江馬時盛の次男。

江馬信盛【えまのぶもり(1537~1581)】

江馬時盛の三男。官途は右馬允。山県昌景の飛騨侵攻において僧侶であったが、人質として武田家に送られた際に還俗し甲斐に送られた。のち父江馬時盛が江馬輝盛に代えてこの江馬信盛を家督に立てようとしたことも父子対決に繋がった。、以後は武田家に仕える。高天神城攻防戦で討死した。

江馬時政【えまとみまさ(15??~1585)】

江馬輝盛の男。官途は右馬助。父江馬輝盛が討死後は越前大野の金森長近を頼った。1585年、金森家の飛騨侵攻に加わるも、旧領復帰は成ならなかった。戦後旧領復帰は成らず、これを不満として鍋山右近太夫、広瀬宗直らとともに蜂起するが敗れて自刃した。

江馬家臣団【えまけかしんだん】

一ノ瀬四郎守之、川上中務丞、吉村政光、正本主馬、川上輔忠 和爾経氏 神代常名。。

大坪孫八【おおつぼまごはち(15??~15??)】

麻生野慶盛家臣。

岡本豊前守【おかもとぶぜん(15??~15??)】

中山城主。高山家臣。室は三木良頼の娘。

岡部六右衛門【おかべろくえもん(15??~15??)】

横尾家臣。※「廃城奇譚」by南條範夫。

尾神氏綱【おがみうじつな(15??~15??)】

内ヶ島家臣。金森長近の飛騨国侵攻に際し、牧戸城攻防において激しく抵抗した。尾神家は内ヶ島三家老。

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【か】

風間宗十【かざまそうじゅうろう(15??~15??)】

牛丸家臣。元甲斐国金掘衆。銀鉱山を採掘。※「廃城奇譚」by南條範夫。

甲(東藤)経氏【かぶとつねうじ(15??~15??)】

大野郡小屋名城主。官途は相模守。郡上八幡城主東家の庶家。※「戦国残酷物語」by南條範夫。

甲義(東藤)氏【かぶとよしうじ(15??~15??)】

甲経氏の甥。※「戦国残酷物語」by南條範夫。

甲(東藤)忠氏【かぶとただうじ(15??~15??)】

甲義氏の弟。官途は甲斐守。※「戦国残酷物語」by南條範夫。

甲家臣団【かぶとけかしんだん】

飯尾源太、古林安之助、水上喜六郎、黒川越中守、阿多野蔵人。※「戦国残酷物語」by南條範夫。

河上富信【かわかみとみのぶ(15??~15??)】

江馬家臣。通称中務。江馬家が越中新川郡中地山を領すると、中地山城主として統治を任された。1573年、武田晴信の死を早い段階で越後長尾家に伝えた人物として知られる。

河上家頼【かわかみいえより(15??~15??)】

河上富信の男。

河上又左衛門【かわかみまたざえもん(15??~15??)】

甲家筆頭家老。

川尻氏季【かわじりうじのり(15??~15??)】

内ヶ島家臣。※「廃城奇譚」by南條範夫。

川尻氏季【かわじりうじよし(15??~15??)】

向牧戸城主。

川尻氏信【かわじりうじのぶ(15??~15??)】

川尻氏季の男。内ヶ島家臣。官途は備前守。向牧戸城において金森勢と戦ったがやがて降伏した。1585年、内ヶ島氏理は川尻氏信の行為に激怒して「天正大地震」宴会にも呼ばれなかったため、幸いにも死を免れた。その後、金森家に仕えたがやがて帰農した。

熊原左近【くまはらうきょう(15??~15??)】

鍋山安室家臣。

神代常名【こうじろさぶろうべい(15??~15??)】

江馬時盛家臣。※「戦国残酷物語」by南條範夫。

小島安忠【こじまやすただ(15??~15??)】

吉城郡杉崎城主。小島国重の男。室は吉城郡鶴ヶ洞城主宮本直頼の娘(時姫)。

小島安光【こじまやすみつ(15??~15??)】

小島国重の次男。小島安忠の室時姫との仲を疑われ無実の罪で投獄され謀殺された。

小島雅秀【こじままさひで(15??~15??)】

吉城郡小島城主。

小島時光【こじまときみつ(15??~1585)】

小島雅秀の男。1582年、姉小路自綱と結んで、諏訪城主江馬輝盛を討ち、姉小路家の権力拡大に貢献した。1585年、金森長近の侵攻の際、姉小路自綱に組したため攻撃を受けて落城して討死した。

小島重清【こじましげきよ(15??~15??)】

小島時光家臣。※「廃城奇譚」by南條範夫。

後藤重元【ごとうしげもと(1516~1577)】

小鷹利姉小路家臣。通称帯刀。1576年、姉小路高綱が死去すると、小鷹利城に入った牛丸重親と対立した。執政として小鷹利城に入った牛丸重親は幼君姉小路宣政を蔑ろにしたため、後藤重元は宣政の小鷹利城脱出を企図。狩と偽って姉小路宣政を連れ出すが、牛丸重親はそれに気づいて追手を派遣「角川の戦い」で、奮戦空しく後藤重元は討死した。

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【さ】

笹森十郎【ささもりじゅうろう(15??~15??)】

牛丸家臣。※「戦国残酷物語」by南條範夫。

佐藤清嗣【さとうきよつぐ(15??~15??)】

江馬時盛家臣。1573年、江馬家の陣中見舞いの品を同僚柿下雅房とともに武田晴信に届けたがすでに病没していた。※「武田勝頼」by新田次郎。

塩谷秋貞【しおやあきさだ(1539~1583)】

大野郡尾崎城主。官途は筑前守。越中国境で越中、飛騨の物流を押さえ力を蓄えた。1564年、山県昌景の攻撃を受けて尾崎城を失い、吉城郡蛤城に移る。1568年、越後長尾家に従属した。1571年、越中国の栂尾城を築城。1576年、江馬時盛と戦う。1578年、長尾景虎が春日山城で脳卒中で逝去すると織田家に従属。1583年、織田方として越中に出陣したが討死した。塩谷家は飛騨高山の塩商人出身で、越中からは塩、魚、輪島漆器、薬、飛騨国からは神岡山の鉛、生糸、馬などの取引を行った。

塩谷直安【しおやなおやす(15??~15??)】

塩谷秋貞の男。官途は監物。

下平右京【しもひらうきょう(15??~15??)】

宮本家臣。杉崎城代家老。※「戦国残酷物語」by南條範夫。

杉政三郎右衛門 【すぎまささぶろうえもん(15??~15??)】

塩谷家臣。越中城生城の戦いに出陣。

正蓮寺善教【しょうれんじぜんきょう(15??~15??)】

白川正蓮寺の法主。通称将監。別名三島将監。正蓮寺は。飛騨国本願寺派の寺院。正蓮寺善教は内ヶ島家との抗争に敗れて、本拠の正蓮寺を失った。三島教信と正蓮寺明教の兄弟は、兄正蓮寺教信は住職の座を弟の正蓮寺明教に譲り、還俗して武士になり三島姓を名乗り内ヶ島家との戦いに備えた。正蓮寺明教の息子正蓮寺明心が京都や永平寺で修行をし、正蓮寺の復活を志して、白川郷へ戻り宿敵内ヶ島為氏(初代)の娘と結婚し、正蓮寺は照蓮寺と改称しました。※「廃城奇譚」by南條範夫。 

正蓮寺明教【しょうれんじみんきょう(15??~15??)】

白川正蓮寺の法主。正蓮寺善教の弟。※「廃城奇譚」by南條範夫。

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【た】

高山外記【たかやまげき(15??~1558)】

高山城主。高山家は、戦国初期に京極家の守護代として、同僚の多賀家とともに勢力を伸ばした。広瀬郷には広瀬家、白川郷には内ヶ嶋家、高山の中山に、岡本豊前守、三枝郷に山田紀伊守、江名子に畑六郎左衛門、大八賀郷に鍋山豊後守などの小豪族が割拠して凌ぎを削っていた。これら飛騨国の豪族衆は隣国の越後長尾、武田に強く影響されていたが、両家の衰退とともに力を失うことになる。1588年、桜洞城の三木自綱は広瀬宗城と結んで高山外記、山田紀伊守を滅ぼした。1582年、三木家は飛騨分け目の合戦といわれる「国府の戦い」で江馬輝盛に勝ち、制覇したのである。

田中与左衛門【たなかよざえもん(15??~15??)】

広瀬家臣。広瀬城主広瀬宗城は、はじめ三木自綱に協力していたが、後に武田勝頼に通じて三木自綱と対立するようになった。1582年、武田勝頼が織田信長によって滅ぼされると、三木自綱は広瀬宗城を謀殺した。

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【な】

中河兼顕【なががわかね(15??~15??)】

内ヶ島家臣。

長津修理【ながつしゅり(15??~15??)】。

山下重定の寵臣。山下重定の命を受け、隣国の杉崎城主小島右衛門の元に間者として送り込まれた。小鷹利城主牛丸勢の笹森十郎を討取り、さらに諏訪原城主江馬輝盛との戦いでは、江馬家の先鋒江馬兼盛を討取った。数々の戦功を上げ小島右衛門の信を得ると、小島右衛門を油断させ、山下重定勢を引き入れ杉崎城主を落城させた。※「戦国残酷物語(ハナノキ秘史)」by南條範夫。

長屋宗綱【ながやむねつな(15??~15??)】

大野郡貝森城主。通称左衛門尉。1562年、貝森城は鍋山利景の急襲を受けて落城、城主長屋宗綱は自刃した。一族、郎党を鍋山利景に殺され、ただ独り、城主の姪の江美姫だけが助けられた。※「戦国残酷物語(復讐鬼)」by南條範夫

長屋宗之【ながやむねゆき(1546~15??)】

長屋宗綱の男。室は内ヶ島兵庫の娘(小夜姫)。貝森城落城時、人質として春日山城にいたため難を逃れる。従卒牛尾三郎太と坂島市太の二人を使い鍋山利景に復讐を誓う。長屋宗之は、父長屋宗綱の義弟、幽仙寺の和尚宗円の頸を手土産に、鍋山利景に仕えた。※「戦国残酷物語(復讐鬼)」by南條範夫。

鍋山安室【なべやまあんむろ(15??~15??)】

滝ヶ洞城主。平野右衛門尉の男。官途は豊前守。室は小峯の方。三仏寺城主であったが、鍋山城を修築して本拠を移し鍋山と称した。三木家のの重圧を受け、1567年、三木自綱の弟顕綱を養子に迎えたが三木顕綱により謀殺された。※「戦国残酷物語(復讐鬼)」by南條範夫。

鍋山利高【なべやまとしたか(15??~1585)】

鍋山利景の男。官途は右近太夫。1583年、鍋山顕綱が謀殺された後美濃国に落ち延びた。1585年、金森長近による飛騨侵攻では嚮導役を務めたが、鍋山城への復帰は認められなかった。江馬時政、広瀬宗直らとともに謀反を起こすが討死した。※「戦国残酷物語(復讐鬼)」by南條範夫。

鍋山顕綱【なべやまあきつな(15??~1583)】

三木良頼の男。鍋山安室の養子。官途は豊後守。鍋山城城主は鍋山豊後守安室で、三木氏の影響下にあった。安室には実子左近大夫がいたが、三木自綱の弟・顕綱を養子に迎え、家名安泰を図った。しかし鍋山顕綱は安室を毒殺、安室の妻と左近大夫を追放し、鍋山城を乗っ取った。1583年、鍋山顕綱は兄、、姉小路自綱から謀叛の嫌疑をかけられ、暗殺される。

鍋山元綱【なべやまもとつな(15??~1585)】

姉小路自綱の三男。鍋山顕綱の養子。1583年、養父鍋山顕綱のあとを継ぎ鍋山城主となる。1585年、金森長近の飛騨侵攻に兄姉小路秀綱とともに抵抗したが松倉城で討死した。

鍋山家臣団【なべやまけかしんだん】

内山常陸介近盛、和仁三左衛門、後藤縫殿介、磯村親治、熊原左近 阿尻兵部介、大谷蔵人。※「戦国残酷物語(復讐鬼)」by南條範夫。

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【は】

畑安高【はたやすたか(15??~1585)】

三木家臣。通称太郎右衛門。勇将として三木家に仕えた。金森長近の飛騨攻めにさい、松倉城に篭城し迎え撃った。三木秀綱と三木元綱に従い、金森長近の軍を何度か撃退するも、金森家臣山蔵宗次との激しい一騎打ちの末、討死した。勇将の死により軍の士気が低下した中、家臣の藤瀬新蔵という者が、三木家を裏切り城の中に火をつけ三木家は総崩れとなり滅亡。

平野右衛門尉【ひらのうえもんのじょう(15??~15?? )】

三木家家臣。臼越城主。1547年、平野右衛門尉が城主になった。

平野安室【ひらのあむろ(15??~15??)】

平野右衛門尉の男。鍋山城を築いて移り、臼越城には三木直弘が入った。1564年、武田晴信が飛騨へ侵攻すると三木直弘は城に火を放って桜洞城へ退いた。

広瀬利治【ひろせとしはる(15??~15??)】

吉城郡高堂城主。官途は左近将監。1532年、広瀬利治は高堂城を築城した。

広瀬宗城【ひろせむねくに(15??~1583)】

広瀬利治の男。1558年三木良頼と結んで高山城主高山外記を滅ぼした。1583年、姉小路自綱とともに牛丸綱親を滅ぼした。1583年、姉小路自綱に謀殺された。

広瀬宗直【ひろせむねなお(15??~1585)】

広瀬宗城の男。父広瀬宗城が姉小路自綱に謀殺されたため、金森長近の「飛騨侵攻」に協力した。金森長近は飛騨国人衆と対立、江馬時政らとともに蜂起したが鎮圧され討死した。

広瀬家臣団【ひろせけかしんだん】

河尻将監、堀越前守、田中与左衛門。

藤瀬新蔵【ふじせしんぞう(15??~15??)】

三木家臣。1585年松倉城籠城中金森長近に寝返り城内に放火した。

堀越利昌【ほりこしとしまさ(15??~15??)】

牛丸家筆頭家老。城主牛丸親綱を謀殺して小鷹利城の実権を握る。※「廃城奇譚」by南條範夫。

堀右近将監【ほりうこんしょうげん(15??~15??)】

三木自綱家臣。謀将。※「廃城奇譚」by南條範夫。

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【ま】

宮本直頼【みやもとなおより(15??~15??)】

吉城郡鶴ヶ洞城主。「戦国残酷物語」by南條範夫。

三木国綱【みつぎくにつな(1546~1585)】

山下城主。別名一宮国綱。入道三沢。官途は刑部大輔。もとは飛騨一宮水無神社の神官だったが、姉小路家臣となって姉小路頼綱の娘婿となったことから、三木姓を名乗ることを許された。 1585年、金森長近の飛騨侵攻の際には、城を捨てて逃亡。のちに捕縛されるが領民の助命嘆願によって一度は死を逃れる。 しかし、再度反旗を翻し「三沢の乱」と呼ばれる一揆を引き起こし、金森可重の守備する山下城を攻めるが、逆に金森軍の反撃を受け討死した。

三木直頼【みつぎなおより(1498~1554)】姉小路良頼の父。

益田郡桜洞城主。三木重頼の男。官途は大和守。1515年、父三木重頼の死去にともない家督を相続した。飛騨国の国人領主だったが、守護職の京極家や代々国司であった姉小路家が戦乱や内紛などにより衰退したことにより勢力を拡大した。隣国美濃土岐家と同盟を結び飛騨の南半分を征服した。三木家が戦国大名として躍進する基礎を築いた。後に土岐頼芸に援軍を要請されるなど、近隣諸国にもその勢威は及んだ。1528年、木曽義元、木曽義在と戦いこれを撃破した。1540年、土岐頼芸の求めに応じて美濃国に出兵した。晩年は飛騨北部を支配する国人江馬氏の江馬時経と飛騨の覇権を巡り争ったが、時経の死後は和解したという。

三木良頼【みつぎよしより(1520~1572)】

三木直頼の男。別名姉小路良頼。1562年、叙任のさい姉小路嗣頼に改名した。1554年、三木家の家督を相続する。1556年、美濃国苗木城主遠山直廉の襲撃を受けたがこれを撃退した。1556年、古川城に侵攻し、古河姉小路家臣田向重継を滅ぼす。1558年、高山外記の高山城を攻略。弟の三木久綱を城代に任じた。1562年、名跡の絶えた古河姉小路家を継ぎから姉小路家を名乗った。1564年、武田家の山県昌景が侵入するが長尾景虎の支援を受け撃退する。

三木兼親【みきなねちか(15??~15??)】

三木家臣。冷酷な武将。※「廃城奇譚」by南條範夫。

三木家臣団【みきけかしんだん】

長瀬甚平、川尻新之丞利広、細江彌右衛門、細江太郎左衛門、細江牛之介、細江季勝、土川肥前守、土川新三郎、藤瀬新蔵、小林正左衛門、船坂彌次右衛門、荒井四郎右衛門、内記喜介、熊崎彦三郎、熊崎小七郎、森和泉守、田口義宗。

三村権介【みむらごんのすけ(15??~15??)】

杉崎城主小島安忠の侍大将。※「戦国残酷物語」by南條範夫。

向井左近【むかいうこん(15??~15??)】

吉城郡杉崎城主。小島国重筆頭家老。邪悪な野望と奇怪な策謀を持つ老臣。城主小島安忠の弟小島安光を排除するため、無実の罪を作り殺害した。城主小島安忠が病に倒れると、向井左近の男向井右兵衛満元を城主とした。※「戦国残酷物語」by南條範夫。

向井右近【むかいさこん(15??~15??)】

三木家臣。※「戦国残酷物語」by南條範夫。

宮本直頼【みやもとなおより(15??~15??)】

吉城郡鶴ヶ洞城主。官途は大和守。※「戦国残酷物語(ハナノキ秘史)」by南條範夫。

宮本時姫【みやもとときひめ(15??~15??)】

小島安忠の室。宮本直頼の娘。美貌の容姿を持つ。小島安忠に、小島安光との仲を疑われ無実の罪で投獄される。※「戦国残酷物語(ハナノキ秘史)」by南條範夫。

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【や】

山下氏忠【やましたうじただ(15??~15??)】

内ヶ島家臣。※「廃城奇譚」by南條範夫。

山下重定【やましたしげさだ(15??~15??)】

吉城郡梨子打ヶ城主。隣国杉崎城主との膠着状態を打開するるため、寵臣、長津修理を杉崎城主小島右衛門の元に間者として送り込み、杉崎城主を落城させた。※「戦国残酷物語」by南條範夫。

山下氏勝【やましたうじかつ(15??~15??)】

内ヶ島為氏家臣。官途は大和守。飛騨大野郡白川郷に、荻城を築城した。

山下氏勝【やましたうじかつ(15??~15??)】

内ヶ島氏家臣。内ヶ島家の滅亡後尾張徳川家の家臣となる。

山下利国【やましたとしくに(15??~15??)】

山下城主。通称は刑部左衛門。山下利国は水無神社の宮司をしていたが、一ノ宮水無神社領を横領した。

山田紀伊守【やまだきいのかみ(15??~15??)】

三枝城主。1588年、桜洞城の三木自綱は、広瀬宗城と結んで高山外記、山田紀伊守を滅ぼした。

山賀新兵衛門【やまがへいえもん(15??~15??)】

姉小路済継家臣。

脇田右衛門【わきたうざえもん(15??~15??)】

麻生野慶盛家臣。

渡部筑前守【わたなべちくぜんのかみ(15??~15??)】

姉小路済継家臣。

和爾経氏【わちつねうじ(15??~15??)】

江馬時盛家臣。 

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【資料Ⅰ】

飛騨国(3郡/32,000石)

吉城郡:小鷹利城、高原諏訪城。
大野郡:松倉城、帰雲城。
益田郡:桜洞城。

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【資料Ⅱ】

調査中。

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【資料Ⅲ】

飛騨国【ひだのくに】

四方を山に囲まれた東山道の国。東は飛騨山脈(乗鞍岳、御獄山)の高峰が信濃国との境を隔て、西は両白山地が加賀、越前両国との国境を形作る。北は飛騨高地の北で越中国と境を接し、南は鷲ヶ岳から飛騨川に至る線で美濃国に通づる。周囲を山岳地帯に囲まれ、国の中央を飛騨高地が覆う典型的な山国で、平地は高山盆地などごくわずかしかない。米の生産高こそ低かったものの、鉱物資源と山林資源を豊富に産出しており、貧しい国ではなかった。1573年、豪族衆の塩屋秋貞が越後長尾景虎に鉛600kgを送ったとの記録もある。1586年、金森長近が飛騨に入部してからは、和佐保銀山、茂住銀山などを開発して隆盛を極めた。山林は多く林業は盛んで、律令制下では「飛騨工(宮大工)」として租税の代わりに従事させた。

龍澤山禅昌寺【りょうたくざんぜんしょうじ】

益田郡にある臨済宗妙心寺派の寺院。1528年、桜洞城主三木直頼により創建された。杲天宗恵し、大雄山円通寺の住持明叔慶浚大和尚を開山として創建された。 1554年、後奈良天皇から「十刹」の綸旨が与えられた。

野麦峠【のむぎとうげ】

飛騨国と南信濃国の国境に位置し、飛騨国と信濃国を結ぶ鎌倉街道、江戸街道と呼ばれる街道の峠。乗鞍岳と鎌ヶ峰の間にある。

天正大地震【てんしょうのだいじしん】

帰雲城は帰雲山の山崩れによって埋没、城主内ヶ島氏理とその一族は全員死亡し、内ヶ島家は滅亡した。また、周辺の集落数百戸も同時に埋没の被害に遭い、多くの犠牲者を出すこととなった。

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戦国人名辞典は1530~1600年の期間に活躍した国別戦国武将名辞典です。基本的に五十音順に並んでいます。本家と分家がある場合、混乱を避けるために、分家には頭に城の名前を入れています。本姓が変わる場合は(○×△)が変更後の本姓となっています。

※印は出展図書からを示しています。歴史小説も含まれるため史実上の人物とは限りません。小説からの出展は注釈を入れます。

※あくまで個人的な趣味のサイトなので、誤字脱字、多少のミス等は許してください。

※名が不明場合は書籍等で採用されている便宜上の名を使用します。

※参考文献:「戦国大名家臣団辞典(東国編)」新人物往来社、「戦国大名系譜人名辞典(東国編)」新人物往来社、「信長の野望【革新】マニアックス」株式会社コーエー、「戦国国取りガイド」新紀元社、「戦国人名辞典」新人物往来社、「戦国大名家臣団総覧(歴史と旅臨時増刊)」秋田書店、「クロニック戦国全史」講談社、「天下統一Ⅲ(完全攻略ガイド)」角川書店、「戦国時代人物総覧(別冊歴史読本)」新人物往来社、「歴史読本(戦国大名家370出自総覧)」新人物往来社、「戦国大名マニュアル」新紀元社、「戦国大名家総覧(歴史と旅臨時増刊)」秋田書店、「戦国武将ガイド」新紀元社、「戦国関東名将列伝」隋想社、「(歴史と旅臨時増刊)戦国大名家臣団総覧」秋田書院、「甲州武田家臣団」新人物往来社、「武田信玄(全3巻)」講談社、「武田勝頼(全3巻)」講談社、。フリー百科事典「ウィキペディア(Wikipedia)」。

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