2011年1月10日月曜日

戦国陸中国人名辞典

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【あ】

相川胤朝【あいかわたねとも(15??~15??)】

松川胤光の三男。官途は左衛門尉。参考文献:「千葉一族」bychiba-ichizoku。

赤井播磨守【あかいはりまのかみ(15??~15??)】

葛西晴信家臣。1591年、「佐沼城の戦い」で葛西晴信に従い佐沼城に籠城したが蒲生氏郷勢の攻撃を受け壊滅した。

赤崎右近【あかさきうこん(15??~15??)】

葛西晴信家臣。1591年、「佐沼城の戦い」で葛西晴信に従い佐沼城に籠城したが蒲生氏郷勢の攻撃を受け壊滅した。

浅井重朝【あさいしげとも(15??~15??)】

江刺郡浅井館主。官途は中務少輔。参考資料:「近世こもんじょ館」by工藤利悦。

浅沼忠次郎【あさぬまちゅうじろう(15??~15??)】

阿曾沼広郷家臣。参考資料:「近世こもんじょ館」by工藤利悦。

浅沼藤次郎【あさぬまとうじろう(15??~15??)】

阿曾沼広郷家臣。参考資料:「近世こもんじょ館」by工藤利悦。

浅沼清左衛門【あさぬませいざえもん(15??~15??)】

阿曾沼広郷家臣。参考資料:「近世こもんじょ館」by工藤利悦。

安土日向守【あずちひゅうがのかみ(15??~15??)】

葛西晴胤家臣。西磐井郡安土館主。参考文献:『戦国大名家臣団家典(東国編)』by新人物往来社。

阿曾沼親広【あそぬまちかひろ(15??~15??)】

下閉伊郡横田城主。遠野十二郷(田瀬、鱒沢、小友、綾織、宮森、大槌、釜石)を領した。参考文献:『戦国人名事典』by新人物往来社。

阿曾沼広郷【あそぬまひろさと(1534~1590)】

阿曾沼親広の男。支配領域を遠野保の領域を越えて閉伊郡海岸部まで拡大させた。1579年、織田信長に白鷹を贈り中央政権との遠交外交を行った。1585年、岩谷堂城主江刺重恒の家督争いの混乱に乗じて江刺家領に侵攻したが、江刺重恒の反撃を受け撃退された。領内の富国強兵に務めたが鱒沢広勝、上野広吉、平清水景頼ら有力家臣たちの離反に苦しめられた。参考文献:『戦国人名事典』by新人物往来社。

阿曾沼広長【あそぬまにろなが(1563~16??)】

阿曾沼広郷の男。通称孫三郎。1600年、「関ヶ原の役」で松平元康勢に属した南部利直に従い羽後国に出陣した。「横田城の戦い」で南部利直の支援を受けた鱒沢広勝、上野広吉、平清水景頼らが謀反を起こしたため、宇夫方広久を頼って落延びた。1601年、「平田の戦い」で鱒沢広勝勢の攻撃を受け家臣浜田喜六が討死したが鱒沢広勝を討取る戦功を挙げた。伊達政宗の支援を受け遠野郷に侵攻するが松崎監物、興光寺負靭らが討死して失敗に終わった。参考文献:『戦国人名事典』by新人物往来社。

阿曾沼広縄【あそぬまひろつな(15??~16??)】

阿曾沼広郷の次男。通称四郎。1600年、「岩崎城の戦い」で伊達政宗の支援を受けた阿曾沼広長に従い南部利直勢と戦い敗退した。参考文献:「近世こもんじょ館」by工藤利悦。

阿曾沼広重【あそぬまひろしげ(15??~15??)】

阿曾沼広郷家臣。官途は主計。参考文献:「近世こもんじょ館」by工藤利悦。

阿曾沼秀範【あそぬまひでのり(15??~15??)】

阿曾沼広郷家臣。官途は民部少輔。参考文献:「近世こもんじょ館」by工藤利悦。

阿曾沼了哲【あそぬまりょうてつ(15??~15??)】

阿曾沼広郷家臣。官途は常陸介。参考文献:「近世こもんじょ館」by工藤利悦。

阿曾沼又五郎【あそぬままたごろう(15??~15??)】

阿曾沼広郷家臣。参考文献:「近世こもんじょ館」by工藤利悦。

安倍四郎兵衛【あべしろうびょうえ(15??~15??)】

葛西晴信家臣。1591年、「佐沼城の戦い」で葛西晴信に従い佐沼城に籠城したが蒲生氏郷勢の攻撃を受け壊滅した。

安俵忠秀【あひょうただひで(15??~16??)】

和賀義忠家臣。和賀郡安俵館主。通称玄蕃頭。別名小原忠秀。和賀家四天王家。政務、軍事を担った。1590年、「奥羽仕置」で安俵忠秀も和賀義忠とともに所領没収の処分を受けた。1591年、「和賀稗貫一揆」で和賀忠親に従い安俵館を攻撃したが南部信直勢の江刺重恒の家臣原体主膳に撃退された。参考文献:「小助官兵衛の部屋」by黒田孝高(官兵衛)。

鮎貝志摩守【あゆかわしまのかみ(15??~16??)】

阿曾沼広郷家臣。上閉伊郡鮎貝館主。1600年、「横田城の戦い」で鱒沢広勝、上野広吉の謀反によって横田城が奪われると、阿曾沼広長とともに気仙郡に落延びた。参考文献:「じぇんごたれ」by遠野徒然草。

荒川佐助【あらかわさすけ(15??~1583)】

津軽石勝冨家臣。1583年、津軽石勝冨に従い石至八郎とともに千徳館の新年祝賀に訪れるが、中津山善達に津軽石勝冨が謀殺された。千徳館から落延び払川館に籠城して中津山善達勢の攻撃を受け何度も撃退するが、城に放火され討死した。参考文献:「美須麻流之珠」by立花利康。

荒谷肥後守【あらやひごのかみ(15??~1601)】

閉伊郡狐崎館主。1601年、「狐崎城の戦い」で鹿折信濃守とともに一揆を起こし狐崎城に籠城したが、伊達政宗の家臣中島信貞らの攻撃を受け討死した。参考文献:『戦国人名事典』by新人物往来社。

綾部広信【あやべひろのぶ(15??~15??)】

雫石詮貞家臣。官途は越前守。1549年、「雫石城の戦い」で斯波経詮が南部晴政治勢を追落すと、雫石詮貞が雫石城代に任じれた。土木工事が匠で土樋堰をつくり、城内に引水して雫石城の改修を行った。参考文献:「越前若狭歴史回廊」by奥山秀範。

飯岡平九郎【いいおかへいくろう(15??~15??)】

斯波経詮家臣。岩手郡飯岡館主。通称正太郎。地頭職を務め650石を領した。娘の二人は、雫石城主雫石詮貴と田頭城主田頭金七に嫁いだ。1588年、「岩清水城の戦い」で斯波詮直が南部信直勢の攻撃を受け敗れると没落した。参考文献:「城郭放浪記」byPEI。

飯岡祐貫【いいおかすけさね(15??~15??)】

飯岡平九郎の男。通称弥六郎。南部利直に仕え70石を領した。参考文献:「近世こもんじょ館」by工藤利悦。

飯塚出雲守【いいづかいずものかみ(15??~15??)】

柏山明吉家臣。胆沢郡広岡館主。参考文献:『戦国大名家臣団家典(東国編)』by新人物往来社。

石至八郎【いしわたりはちろう(15??~1583)】

津軽石勝冨家臣。1583年、津軽石勝冨に従い千徳館の新年祝賀に訪れるが、津軽石勝冨とともに中津山善達に謀殺された。参考文献:「美須麻流之珠」by立花利康。

石関左近【いしぜきさこん(15??~15??)】

葛西晴信家臣。江刺郡茶臼館主。参考文献:『戦国大名家臣団家典(東国編)』by新人物往来社。

石田宋順【いしだえいじゅん(15??~15??)】

阿曾沼広郷家臣。上閉伊郡鷹鳥屋館主。鷹鳥屋館周辺の鷹を捕え飼育しするのを生業とした。阿曾沼広郷が織田信長に献上する白鷹の使者を務めた。

猪去詮義【いさりあきよし(1505~1569)】

斯波経詮家臣。斯波詮高の三男。別名斯波詮義。1549年、「雫石城の戦い」で斯波詮高が南部晴政勢から雫石城を奪取すると、次男の雫石詮貞が雫石城主に、三男猪去詮義が猪去館主に任じられた。参考文献:フリー百科事典「ウィキペディア(Wikipedia)」。

猪去義方【いさりよしたか(15??~15??)】

猪去詮義の男。1588年、「高清水城の戦い」で斯波詮直が南部信直勢の攻撃を受け滅亡すると、花巻に落延び余生を終えた。参考文献:フリー百科事典「ウィキペディア(Wikipedia)」。

猪去久道【いさりひさみち(15??~16??)】

猪去義方の男。通称蔵人。1588年、「高清水城の戦い」で斯波詮直が南部信直勢の攻撃を受け滅亡すると、北信愛に仕えた。参考文献:フリー百科事典「ウィキペディア(Wikipedia)」。

猪去基久【いさりもとひさ(15??~15??)】

猪去久道の男。通称蔵人。参考文献:フリー百科事典「ウィキペディア(Wikipedia)」。

板沢平蔵【いたざわへいぞう(15??~16??)】

鱒沢広勝家臣。上閉伊郡板沢館主。1592年、南部信直により板沢館が打壊された。1600年、「赤羽根峠の戦い」で鱒沢広勝に従い、宇夫方広久と一騎打ちを行ない重症を負った。参考文献:フリー百科事典「ウィキペディア(Wikipedia)」。

壱関玄蕃【いちのせきげんば(15??~15??)】

葛西晴信家臣。江刺郡一ノ関館主。参考文献:『戦国大名家臣団家典(東国編)』by新人物往来社。

一戸孫三郎【いちのへまごさぶろう(15??~15??)】

千徳政氏家臣。別名千徳孫三郎。閉伊郡千徳館主の千徳政氏が陸奥浅瀬石館に転封すると、千徳館主に任じられた。1592年、「文禄の役」で南部信直に従い肥前名護屋城に参陣すると、千徳館は南部信直勢のよって破却された。参考文献:フリー百科事典「ウィキペディア(Wikipedia)」。

一方井安正【いっぽういやすまさ(1498~1573)】

岩手郡一方井城主。官途は丹後守。九戸政実、八戸政栄に次ぐ一方井城8,000石を領した。1546年、石川高信と一方井安正の娘(柴山芳公)の間に生まれた子が南部信直。南部晴政勢の米内右近、栗谷川仁佐衛門らとともに、日戸秀恒、玉山常陸、下田秀祐、渋民秀勝、乙部義説、大釜政幸らを討取る戦功を挙げた。参考文献:フリー百科事典「ウィキペディア(Wikipedia)」。

猪岡玄蕃【いのおかげんば(15??~15??)】

葛西晴信家臣。西磐井郡猪岡館主。参考文献:『戦国大名家臣団家典(東国編)』by新人物往来社。

猪岡隼人【いのおかはやと(15??~1591)】

猪岡玄蕃の男。1591年、桃生郡須江山で伊達政宗勢に謀殺された。参考文献:『戦国大名家臣団家典(東国編)』by新人物往来社。

猪鼻広済【いのはたこうさい(15??~1590)】

稗貫輝時家臣。稗貫郡猪鼻館主。稗貫輝時に仕え200石を領した。1590年、「和賀稗貫一揆」で一揆勢に属して参陣したが猪鼻弥十郎、猪鼻大炊とともに討死した。

猪鼻弥十郎【いのはたよじゅうろう(15??~1590)】

猪鼻広済家臣。1590年、「和賀稗貫一揆」で一揆勢に属して南部信直勢と戦い討死した。

猪鼻大炊【いのはただいすけ(15??~1590)】

猪鼻広済家臣。1590年、「和賀稗貫一揆」で一揆勢に属して南部信直勢と戦い討死した。

今泉右門【いまいずみうえもん(15??~15??)】

葛西晴信家臣。参考文献:『戦国大名家臣団家典(東国編)』by新人物往来社。

岩倉常太郎【いわくらつねたろう(15??~15??)】

飯岡平九郎家臣。岩手郡百目木小館主。

岩崎義彦【いわさきよしひこ(15??~1601)】

和賀義忠家臣。和賀郡岩崎館主。通称弥右衛門。1590年、「奥州仕置」で和賀義忠が改易処分に処されると所領を失った。1600年、「岩崎館の戦い」で伊達政宗の支援を受け、和賀義忠の弟和賀忠親を擁立して和賀家の再興を図ったが、南部利直勢の攻撃を受け伊達政宗のもとに落延びた。1601年、和賀忠親とともに自刃に追い込まれた。参考文献:フリー百科事典「ウィキペディア(Wikipedia)」。

岩清水義長【いわしみずよしなが(1554~1588)】

斯波詮直家臣。1588年、「石清水館の戦い」で弟の岩清水義教が謀反を起こして石清水館に籠城した。石清水城を攻撃するが、南部信直の支援を受けた岩清水義教勢との戦いに敗れ高水寺城に落延びた。斯波詮直が高水寺城から落延びた後も南部信直勢に対して徹底抗戦を貫いて討死した。参考文献:フリー百科事典「ウィキペディア(Wikipedia)」。

岩清水義教【いわしみずあきやす(1547~1601)】

岩清水義長の弟。官途は右京。1588年、斯波詮直が南部信直に対して劣勢に立たたされると、簗田詮泰とともに南部信直に内応した。1588年、「石清水城の戦い」で兄岩清水義長の攻撃を受けたが、南部信直勢の支援でこれを撃退した。参考文献:フリー百科事典「ウィキペディア(Wikipedia)」。

石清水義因【いわしみずよしいん(15??~1590)】

石清水義教の男。官途は蔵人。1588年、「高清水城の戦い」で斯波詮直が南部信直勢の攻撃を受け滅亡後すると北信愛に仕えた。1590年、「和賀稗貫一揆」で北信愛に従って参陣するが討死した。参考文献:フリー百科事典「ウィキペディア(Wikipedia)」。

石清水義氏【いわしみずよしうじ(15??~1660)】

石清水義因の男。1590年、「和賀稗貫一揆」で父石清水義因が討死したため、岩清水家の家督を相続した。1627年、南部政直に仕えた。参考文献:フリー百科事典「ウィキペディア(Wikipedia)」。

岩田堂隠岐守【いわたどうおきのかみ(15??~15??)】

和賀忠親家臣。和賀郡岩渡堂館主。

岩淵経定【いわぶちつねさだ(14??~1527)】

大原信胤家臣。岩渕経世の男。磐井郡藤沢館主。1491年、「黄海館の戦い」で黄海高行を降伏に追い込み次男の黄海高国を養子に送り込んだが、戦傷がもとでまもなく病没した。1495年、「高寺の戦い」で江刺隆見が謀反を起すと、葛西政信勢属して戦功を挙げ胆沢郡内で300石を加増された。1510年、「金沢郷の戦い」で薄衣清貞と金沢冬胤が戦うと、弟の岩淵経村や次男の岩淵経文らとともに金沢冬胤勢に属して薄衣清貞勢を撃破した。参考文献:フリー百科事典「ウィキペディア(Wikipedia)」。

岩淵経文【いわぶちつねふみ(1496~1565)】

岩淵経定の次男。官途は伊勢守。通称善二郎。室は千葉忠胤の娘。猛将。

岩淵経房【いわぶちつねふさ(1540~1589)】

岩淵経文の男。官途は駿河守。通称善三郎。室は永井信敏の娘。1574年、「本吉重継の乱」で本吉重継が謀反を起こすと、葛西晴胤に従い参陣して本吉重継勢と戦った。

岩淵秀信【いわぶちひでのぶ(1563~1633)】

岩淵経房の次男。東磐井郡藤沢館主。官途は豊前守。通称久二郎。別名岩淵経義。室は黒沢信久の娘。勇名を馳せた。1590年、「奥州仕置」で葛西晴信が改易処分に処されると所領を失った。参考文献:『戦国大名家臣団家典(東国編)』by新人物往来社。

岩淵経平【いわぶちつねひら(15??~15??)】

岩淵秀信の男。官途は遠江守。

岩淵信時【いわぶちのぶとき(15??~1591)】

岩淵秀信の三男。磐井郡曾慶館主。官途は民部少輔。通称新蔵人。1568年、「金鶏館の戦い」で千葉茂成勢を攻撃したが、葛西晴信の意向を受け千葉茂成と和議を結んだ。1590年、「奥州仕置」で葛西晴信が改易処分に処されると所領を失った。1591年、桃生郡須江山で伊達政宗勢に謀殺された。参考文献:『戦国大名家臣団家典(東国編)』by新人物往来社。

岩淵又五郎【いわぶちまたごろう(1577~1636)】

岩淵秀信の四男。通称又五郎。洗礼名「ジョバンニ」。別名後藤寿庵。1590年、「奥州仕置」で葛西晴信が改易処分に処されると、父岩淵信時も所領を失った。1596年、長崎で洗礼を受け切支丹となった。1611年、京の商人田中勝介の推挙により伊達政宗に仕えた。1612年、後藤信康の義弟として1,200石を領した。見分村を開墾し大規模な灌漑を行った。1614年、「大坂冬の陣」で鉄炮衆を指揮した。宣教師らの保護、基督教の布教を行った。1623年、陸奥南部に追放された。参考文献:『戦国大名家臣団家典(東国編)』by新人物往来社。

岩淵元秀【いわぶちもとひで(15??~1591)】

岩淵信時の男。官途は兵庫頭。1591年、桃生郡深谷で伊達政宗勢に謀殺された。葛西晴信家臣。参考文献:『戦国大名家臣団家典(東国編)』by新人物往来社。

岩淵経道【いわぶちつねみち(15??~15??)】

葛西晴信家臣。磐井郡赤萩館主。官途は壱岐守。参考文献:『戦国大名家臣団家典(東国編)』by新人物往来社。

岩淵美作守【いわぶちみまさかのかみ(15??~15??)】

葛西晴信家臣。西磐井郡峠城主。参考文献:『戦国大名家臣団家典(東国編)』by新人物往来社。

岩淵民部【いわぶちみんぶ(15??~15??)】

葛西晴信家臣。磐井郡富沢館主。参考文献:『戦国大名家臣団家典(東国編)』by新人物往来社。

岩淵対馬守【いわぶちつしまのかみ(15??~15??)】

葛西晴信家臣。1591年、「葛西大崎一揆」で大原胤重に従い蒲生氏郷勢と戦い壊滅した。

岩淵経道【いわぶちつねみち(15??~15??)】

西磐井郡赤萩館主。官途は壱岐守。1591年、「森原山の戦い」で薄衣胤勝に従い蒲生氏郷勢と戦い敗走した。

宇夫方八郎右衛門【うおかたはちろうえもん(15??~15??)】

阿曾沼広郷家臣。1600年、「岩崎城の戦い」で伊達政宗の支援を受けた阿曾沼広長に従い南部利直勢と戦い敗退した。

宇夫方掃部【うおかたかもん(15??~15??)】

阿曾沼広郷家臣。1600年、「岩崎城の戦い」で伊達政宗の支援を受けた阿曾沼広長に従い南部利直勢と戦い敗退した。

宇夫方多兵衛【うおかたたへい(15??~15??)】

阿曾沼広郷家臣。1600年、「岩崎城の戦い」で伊達政宗の支援を受けた阿曾沼広長に従い南部利直勢と戦い敗退した。

上野広則【うえのひろのり(15??~15??)】       

阿曾沼広郷家臣。上閉伊郡谷地館。上野吉男の男。通称右近。1600年、阿曾沼広長が没落すると南部利直に仕え横田城代に任じられた。

上野広吉【うえのひろよし(15??~16??)】

上野吉男の次男。通称九右衛門。1600年、最上義光を支援するため、阿曾沼広長が羽後国に出陣すると鱒沢広勝、平清水景頼らとともに謀反を横田城を占拠した。「赤羽根峠の戦い」で阿曾沼広長勢の反撃を受けた大敗した。1601年、「平田の戦い」で伊達政宗の支援を受け阿曾沼広長が再び遠野郷に侵攻したが、南部利直勢の支援を受けこれを撃退した。

上野広易【うえのひろあき(15??~15??)】

上野広吉の男。通称久兵衛。

上野弘房【うえのひろふさ(15??~15??)】

上野広吉の次男。通称角右衛門。

鴬沢藤一郎【うぐいすざわとういちろう(15??~15??)】

江刺輝重家臣。1566年、「牛長城の戦い」で安東愛季勢の攻撃を受けると。南部晴政勢を支援するため、江刺輝重の意向を受けて栗生沢治兵衛とともに参陣した。南部晴政勢が安東愛季勢に敗れると戦わず撤退した。参考文献:フリー百科事典「ウィキペディア(Wikipedia)」。

鶯沢四郎兵衛【うぐいすざわしろうべい(15??~15??)】

葛西晴信家臣。磐井郡鶯沢館主。1590年、「奥州仕置」で葛西晴信が改易処分に処されると、南部信直に仕えた。参考文献:『戦国大名家臣団家典(東国編)』by新人物往来社。

薄衣清貞【うすぎぬきよさだ(15??~15??)】

磐井郡薄衣城主。1510年、「朝日城の戦い」で松川胤光ととも金沢冬胤、岩渕経定、熊谷晴実らが守る朝日城を攻撃したが敗れ、松川胤光が討死した。参考文献:フリー百科事典「ウィキペディア(Wikipedia)」。

薄衣清正【うすぎぬきよさだ(15??~15??)】

薄衣清貞の男。官途は甲斐守。別名薄衣清度。1561年、「鳥畑城の戦い」で鳥畑胤堅勢を攻撃してこれを追い落とした。1571年、富沢直綱と結び流荘に派兵した。1580年、葛西晴信の名代として上洛した。1583年、「橘城の戦い」で奥玉胤時勢と戦いこれを撃破した。参考文献:フリー百科事典「ウィキペディア(Wikipedia)」。

薄衣胤勝【うすぎぬたねかつ(15??~1591)】

薄衣清正の男。官途は甲斐守。別名薄衣常雄。1590年、「奥羽仕置」で葛西晴信が改易処分に処されると、所領を失い没落した。1591年、「葛西大崎一揆」で一揆勢に属して、栗原郡森原山城に籠城した。桃生郡深谷で伊達政宗勢に謀殺された。参考文献:『戦国大名家臣団家典(東国編)』by新人物往来社。

薄衣常義【うすぎぬつねよし(15??~1591)】

薄衣清正の次男。通称左馬助。1591年、「森原山の戦い」で蒲生氏郷勢と戦い兄薄衣胤勝とともに討死した。参考文献:フリー百科事典「ウィキペディア(Wikipedia)」。

氏家義方【うじいえよしかた(15??~15??)】

斯波詮直家臣。通称弥右衛門。斯波家四老職。1588年、「岩清水城の戦い」で斯波詮直が南部直信勢の攻撃を受け滅亡すると、南部直信に仕えて60石を領した。参考文献:「近世こもんじょ館」by工藤利悦。

歌津右馬介【うたつさまのすけ(15??~15??)】

葛西晴信家臣。1591年、「葛西大崎一揆」で千葉胤元に従い蒲生氏郷勢と戦い壊滅した。

江柄次昌【えがらつぐまさ(15??~15??)】

川村秀久の次男。斯波郡江柄館主。官途は右近。通称九郎兵衛。斯波詮直に仕えた。参考資料:「近世こもんじょ館」by工藤利悦。

江柄兵部少輔【えがらひょうぶしょうぶ(15??~15??)】

斯波詮直家臣。参考資料:「近世こもんじょ館」by工藤利悦。

江川善門【えがわよしかど(15??~15??)】

葛西晴信家臣。江刺郡松館主。参考文献:『戦国大名家臣団家典(東国編)』by新人物往来社。

江刺重親【えさししげちか(14??~15??)】

江刺郡岩谷堂城主。江刺郡惣領職。官途は三河守。1511年、「七尾城の戦い」で葛西政信に従って山内首藤貞通勢と戦った敗退した。1534年、「遠野の戦い」で葛西晴信の意向を受け柏山明吉を支援して南部安信勢と戦った。1538年、「伊手村の戦い」で千葉胤継、矢作重村らを討取る戦功を挙げた。継嗣の江刺重任が江刺重親が病没したため、孫の江刺重胤が江刺家惣領職の家督を相続した。参考文献:フリー百科事典「ウィキペディア(Wikipedia)」。

江刺重任【えさししげにん(15??~1538)】

江刺重親の男。官途は播磨守。

江刺信重【えさしのぶしげ(15??~15??)】

江刺重親の次男。1538年、「伊手村の戦い」で千葉胤継、矢作重村を討取る戦功を挙げた。

江刺重胤【えさししげたね(15??~15??)】

江刺重任の男。官途は三河守。能筆家。1542年、「伊達天文の乱」で伊達晴宗勢に属して戦功を挙げ勢力を拡大した。

江刺輝重【えさしてるしげ(15??~1573)】

江刺重胤の男。官途は治部大輔。1566年、安東愛季の攻撃を受けた南部晴政を支援するため栗生沢治兵衛、鴬沢藤一郎らを鹿角郡に派遣したが、援軍が到着する前に南部晴政勢が敗退したため撤退した。1571年、「遠野陳場の戦い」で葛西晴信とともに伊達輝宗勢を迎え撃ち、家臣の高屋豊前守の奪戦により伊達輝宗勢を撃退する戦功を挙げた。参考文献:フリー百科事典「ウィキペディア(Wikipedia)」。

江刺重恒【えさししげつね(15??~15??)】

江刺輝重の男。官途は兵庫頭。別名江刺信時。1573年、父江刺輝重の病没により江刺家の家督を相続した。1582年、南部晴政の家臣九戸政実勢が葛西晴信領に侵攻すると、南部晴政勢に属した。1587年、浜田広綱とともに葛西晴信から離反すると、離反に反対する家臣の菊池右近、太田代伊予守父子を謀殺した。1590年、「奥州仕置」で葛西晴信が改易処分に処されると所領を失った。浅野長政のとりなしで稗貫郡新堀館1,500石を領した。参考文献:フリー百科事典「ウィキペディア(Wikipedia)」。

江刺重俊【えさししげとし(15??~1591)】

浜田広綱の男(江刺重恒の養子)。通称三郎。1591年、桃生郡深谷で伊達政宗勢に謀殺された。

江刺隆重【えさしたかしげ(15??~15??)】

浜田広綱の次男(江刺重恒の養子)。1591年、兄江刺重俊が桃生郡深谷で伊達政宗勢に謀殺されたため、江刺家の家督を相続した。1591年、「九戸政実の乱」に参陣して戦功を挙げた。

江釣子吉資【えづりこよしすけ(15??~16??)】

和賀義勝家臣。和賀郡江釣子館主。官途は民部少輔。猛将。1590年、「奥州仕置」で和賀義忠が改易処分に処されると所領を失った。「和賀稗貫一揆」で和賀義忠勢に属して参陣したが敗退した。

江繋正朝【えつなぎまさより(15??~15??)】

下閉伊郡江繋館主。一戸行重の男。通称彦四郎。1532年、「大梵天館の戦い」で小国武田直信を討取る戦功を挙げた。参考文献:「近世こもんじょ館」by工藤利悦。

江繋行光【えつなぎいくみつ(15??~15??)】

江繋正朝の男。官途は伯耆守。参考文献:「近世こもんじょ館」by工藤利悦。

江繋正義【えつなぎまさよし(15??~15??)】

江繋行光の男。通称喜左衛門。参考文献:「近世こもんじょ館」by工藤利悦。

蛯島盛永【えびしまもりなが(15??~1591)】

葛西晴胤家臣。西磐井郡蛯島館主。通称蔵人。1590年、「奥州仕置」で葛西晴信が改易処分に処されると所領を失った。1591年、「葛西大崎一揆」で一揆勢に属して参陣した。桃生深谷で伊達政宗勢に謀殺された。参考文献:『戦国大名家臣団家典(東国編)』by新人物往来社。

及川頼家【おいかわきよひで(1515~1559)】

葛西晴胤家臣。東磐井郡柏木城主。官途は美濃守。別名鳥海頼家。沖田及川党頭領。1529年、寺池城内で葛西晴胤の寵臣千葉信近と口論になり刃傷に及び改易処分に処されたが、不当な処罰であると謀反を起こした。1530年、「柏木城の戦い」で大原信胤勢の攻撃を二度に渡り守り切ったが、三度目の戦いで落城した。参考文献:『戦国大名家臣団家典(東国編)』by新人物往来社。

及川直澄【おいかわなおずみ(15??~1590)】

葛西晴胤家臣。江刺郡沼尻館主。通称弥兵衛。1590年、「高清水の戦い」で伊達政宗勢と戦い討死した。参考文献:『戦国大名家臣団家典(東国編)』by新人物往来社。

及川淡路守【おいかわあわじのかみ(15??~15??)】

葛西晴信家臣。1591年、「佐沼城の戦い」で葛西晴信に従い佐沼城に籠城したが蒲生氏郷勢の攻撃を受け壊滅した。

及川頼常【おいかわよりつね(15??~15??)】

葛西晴信家臣。西磐井郡男沢館主。官途は主計正。別名及川頼通。1591年、「森原山の戦い」で薄衣胤勝に従い蒲生氏郷勢と戦い敗走した。参考文献:『戦国大名家臣団家典(東国編)』by新人物往来社。

及川越後守【おいかわえちごのかみ(15??~15??)】

葛西晴信家臣。1591年、「佐沼城の戦い」で葛西晴信に従い佐沼城に籠城したが蒲生氏郷勢の攻撃を受け壊滅した。

及川隠岐守【おいかわおきのかみ(15??~15??)】

葛西晴信家臣。月館館主。1591年、「葛西大崎一揆」で葛西晴信に従い佐沼城に籠城したが蒲生氏郷勢の攻撃を受け壊滅した。

及川頼兼【おいかわよりかね(15??~1591)】

東磐井郡津谷川館主。官途は美濃守。通称次郎。1591年、桃生郡深谷で伊達政宗勢に謀殺された。参考文献:『戦国大名家臣団家典(東国編)』by新人物往来社。

及川清栄【おいかわきよえい(15??~15??)】

東磐井郡築館主。通称平三郎。別名及川清閑。1559年、「柏木城事件」で連座して改易処分に処された。参考文献:『戦国大名家臣団家典(東国編)』by新人物往来社。

及川信次【おいかわのぶつぐ(15??~15??)】

東磐井郡猿沢館主。

及川信政【おいかわのぶまさ(15??~15??)】

東磐井郡川股館主。及川頼家の弟。官途は長門守。1559年、「柏木城事件」で連座して改易処分に処された。参考文献:『戦国大名家臣団家典(東国編)』by新人物往来社。

及川義照【おいかわよしてる(1515~1559)】

及川頼家家臣。東磐井郡中川館主。官途は掃部之助。別名中川義照。沖田及川党。7,500刈を領した。1559年、「柏木城事件」で千葉信近と争い大原信茂から討伐を受け自刃した。参考文献:『戦国大名家臣団家典(東国編)』by新人物往来社。

及川九郎左衛門【おいかわくろうざえもん(15??~1559)】

及川義照の男。1559年、「柏木城事件」で千葉信近と争い大原信茂から討伐を受け父及川義照とともに自刃した。参考文献:『戦国大名家臣団家典(東国編)』by新人物往来社。

及川上総介【おいかわかずさのすけ(15??~15??)】

葛西晴信家臣。東磐井郡天狗田館主。通称新右衛門。1559年、「柏木城事件」に連座して失脚した。参考文献:『戦国大名家臣団家典(東国編)』by新人物往来社。

及川内膳【おいかわないぜん(15??~15??)】

今野小次郎の男(及川上総介の養子)。別名天狗田内膳。1590年、「奥州仕置」で葛西晴信が改易処分に処されると所領を失った。参考文献:『戦国大名家臣団家典(東国編)』by新人物往来社。

及川義高【おいかわよしたか(15??~1559)】

及川頼家家臣。東磐井郡遅沢館主。官途は宮内。通称源五郎。沖田及川党。1559年、「柏木城事件」に連座して自刃した。参考文献:『戦国大名家臣団家典(東国編)』by新人物往来社。

及川雅楽之助【おいかわうたのすけ(15??~1559)】

及川義高の男。1559年、「柏木城事件」に連座して父及川義高とともに自刃した。参考文献:『戦国大名家臣団家典(東国編)』by新人物往来社。

及川左近【おいかわさこん(15??~1591)】

江刺郡新谷館主。別名伊手隼人。1591年、「神取山の戦い」で伊達政宗勢と戦い討死した。参考文献:『戦国大名家臣団家典(東国編)』by新人物往来社。

及川利勝【おいかわとしかつ(15??~15??)】

葛西晴信家臣。胆沢郡野手崎館主。官途は勘解由。1590年、「奥羽仕置」で葛西晴信が改易処分に処されると没落した。

大内彦三郎【おおうちひこさぶろう(15??~15??)】

柏山明吉家臣。1542年、「伊達天文の乱」で柏山明吉とともに伊達晴宗勢に属して戦功を挙げた。乱後、葛西高信から直接謝状を受けた。

大内源次郎【おおうちげんじろう(15??~15??)】

柏山明吉家臣。胆沢郡下姉躰館主。1588年、「前沢城の戦い」で小山明長、折井明久らに従い三田義広を攻撃した。参考文献:『戦国大名家臣団家典(東国編)』by新人物往来社。

大釜政幸【おおがままさゆき(15??~15??)】

斯波詮直家臣。岩手郡大釜館主。官途は薩摩守。1573年、「大釜館の戦い」で雫石詮貞勢の攻撃を受け落城した。1598年、南部信直に仕えて500石を領した。

大釜政綱【おおがままさつな(15??~15??)】

大釜政幸の男。通称彦右衛門。

大釜良重【おおがまよししげ(15??~15??)】

大釜政幸の次男。通称惣八郎。

大萱生秀定【おおがゆへでさだ(15??~15??)】

斯波詮真家臣。官途は飛騨守。別名鷲内秀定。斯波詮真の鷹狩りに従い訪れた村で村人を害する沼の怪物退治を斯波詮真から命じられた。沼に入り、身を枯木に見せかけていた大海老を退治した。

大萱生秀重【おおがゆひでしげ(15??~1641)】

大萱生秀定の男。官途は玄蕃。1588年、斯波詮直が南部信直に対して劣勢に立たたされると、簗田詮泰、岩清水義長らとともに南部信直に内応した。1589年、「大萱生館の戦い」で斯波詮直を匿ったことが発覚して、南部信直勢の攻撃を受け敗走した。参考資料:「近世こもんじょ館」by工藤利悦。

大萱生秀春【おおがゆひではる(15??~15??)】

大萱生秀重の男。通称長左衛門。参考資料:「近世こもんじょ館」by工藤利悦。

大川基則【おおかわもとのり(15??~15??)】

斯波詮真家臣。通称与左衛門。参考文献:「近世こもんじょ館」by工藤利悦。

大川基房【おおかわもとふさ(15??~15??)】

大川基則の男。通称勘之丞。南部利直に仕え10駄を給された。参考文献:「近世こもんじょ館」by工藤利悦。  

大田代伊予守【おおたしろいよのかみ(15??~1587)】

江刺重恒家臣。菊池恒邦の男。1587年、「浜田広綱の乱」で江刺重恒が浜田広綱と結んで葛西晴信に謀反を起こすと、これに反対した。1590年、「奥州仕置」で葛西晴信が改易処分に処されると、江刺重恒も所領を失った。江刺重恒は小田代肥前守、大田代伊予守、栗生沢内記とともに和賀郡田瀬館に落延びた。

太田代清也【おおたしろきよなり(15??~15??)】

太田代伊予守の男。通称宮内。1590年、「奥州仕置」で葛西晴信が改易処分に処せられると、南部信直に仕えた。

太田代正也【おおたしろまさや(15??~15??)】

太田代伊予守家臣。通称弥平次。

太田代清邑【おおたしろきよむら(15??~15??)】

太田代伊予守家臣。通称兵右衛門。

太田代吉保【おおたしろよしやす(15??~15??)】

太田代伊予守家臣。通称兵右衛門。

太田義勝【おおたよしかつ(15??~15??)】

和賀義勝家臣。官途は民部少輔。通称主膳。1558年、和賀義勝に謀反を起こしたが鎮圧された。1590年、「奥州仕置」で和賀義忠が改易処分に処せられると、南部信直に仕えて800石を領した。「和賀、稗貫一揆」で南部信直に従い参陣して和賀義忠勢と戦い戦功を挙げた。1591年、「九戸実政の乱」で南部信直に従い参陣した。参考文献:フリー百科事典「ウィキペディア(Wikipedia)」。

太田伊右衛門【おおたいえもん(15??~15??)】

太田義勝の男。1591年、「九戸実政の乱」で父太田義勝とともに南部信直に従い参陣して九戸実政勢と戦った。

太田政巴【おおたまさとも(15??~15??)】

和賀義忠家臣。通称長三郎。1590年、「奥州仕置」で和賀義忠が改易処分に処せられると、所領を失った。

太田秀広【おおたひでひろ(15??~15??)】

斯波詮直家臣。官途は主殿助。

太田秀氏【おおたひでうち(15??~15??)】

太田秀広の男。通称民部。南部政直に仕え30石を領した。

太田靫負【おおたゆげい(15??~15??)】

岩手郡太田館主。1573年、「大釜館の戦い」で雫石詮貞勢の攻撃を受け、大釜館とともに焼払われた。参考文献:「東北城館魂」byT山。

大槻泰常【おおつきやすつね(15??~1591)】

寺崎良次家臣。磐井郡大槻館主。官途は但馬守。1591年、桃生郡深谷で伊達政宗勢の謀殺された。

大槌右近【おおづつさこん(15??~15??)】

稗貫晴家家臣。稗貫郡大槌館主。和賀義忠、江刺重胤、九戸政実らと婚姻関係を結び、稗貫輝家に謀反を起こした。1558年、「大槌館の戦い」で稗貫輝家の家臣十二丁目右市之助を討取る戦功を挙げたが、敗れて降伏した。1582年、葛西晴信と南部信直が争うと、九戸政実勢に属して葛西晴信勢の和賀義忠と戦った。1590年、「奥州仕置」で稗貫広忠が改易処分に処されると、九戸政実勢に属して南部信直と戦った。羽柴秀吉勢が迫ると、伊達政宗を頼って九戸城から落延びた。参考文献:フリー百科事典「ウィキペディア(Wikipedia)」。

大槌又三郎【おおづつまたさぶろう(15??~1590)】

大槌右近の男。1590年、「和賀、稗貫一揆」で大槌館を奪還したが、南部信直勢の反撃を受け討死した。

大槌又右衛門【おおづつまたえもん(15??~1590)】

大槌右近の次男。1590年、「和賀、稗貫一揆」で兄大槌又三郎とともに大槌城を奪還したが、南部信直勢の反撃を受け捕縛され斬頸に処された。

大槌広信【おおづつひろのぶ(15??~16??)】

上閉伊郡大槌館主。通称は孫八郎。1591年、「九戸政実の乱」で阿曾沼広長に従い南部信直勢に属した。1600年、「横田城の戦い」で阿曾沼広長が鱒沢広勝、上野広吉、平清水景頼らに横田城を追われると、阿曾沼広長を支援した。「大槌館の戦い」で鱒沢広勝勢の攻撃を受け伊達政宗のもとに落延びた。

大槌政貞【おおづつまささだ(15??~1616)】

大槌広信の男。南部利直に仕えた。1616年、南部利直の謀略で自刃に追い込まれた。

大萩円源【おおはぎえんげん(15??~15??)】

上閉伊郡大萩大館主。臨済宗寺院、大宝山東禅寺があり、最盛期には僧200人、大伽藍を配した東北でも有数な寺院であった。大萩円源は、僧兵を引きて付近を領した。1600年、東禅寺は鱒沢広勝勢の攻撃を受け消失した。

大原信胤【おおはらのぶたね(1486~1561)】

磐井郡大原城主。大原信明の次男。磐井郡惣領職。官途は飛騨守。通称小次郎。室は熊谷直氏の娘。1504年、「浜田基継の乱」で浜田基継が謀反を起こすと葛西重信を支援した。「折壁城の戦い」で上折壁秀輔と遠藤時秀が戦うと熊谷直恒とともに上折壁秀輔を支援して戦功を挙げた。参考文献:『戦国大名家臣団家典(東国編)』by新人物往来社。

大原信茂【おおはらのぶしげ(1503~1584)】

葛西晴胤の次男(大原信胤の養子)。官途は飛騨守。別名大原重胤室は岩淵重友の娘。1542年、「伊達天文の乱」で伊達晴宗勢に属して富沢左衛門、柏山明吉らとともに伊達稙宗勢の葛西晴清、大崎義宣と戦った。1559年、「及川義高の乱」で遅沢館に火を放ち及川義高、及川雅楽助を自刃に追い込んだ。参考文献:『戦国大名家臣団家典(東国編)』by新人物往来社。

大原茂光【おおはらしげみつ(15??~15??)】

葛西晴信家臣。1587年、「藤沢館の戦い」で岩渕近江守勢と戦った。参考文献:『戦国大名家臣団家典(東国編)』by新人物往来社。

大原重光【おおはらしげみつ(15??~1591)】

大原茂光の男。官途は播磨守。1590年、「奥羽仕置」で葛西晴信が改易処分に処されると所領を失った。1591年、「葛西大崎一揆」で葛西晴信勢を率いて蒲生氏郷勢を迎え撃ったが敗退した。桃生郡深谷で自刃した。参考文献:『戦国大名家臣団家典(東国編)』by新人物往来社。

大原経光【おおはらつねみつ(15??~15??)】

大原茂光の次男。1591年、「葛西大崎一揆」で兄大原重光に従い蒲生氏郷勢と戦い敗退した。葛西晴信が所領を失いと南部信直に仕えた。

大原新右衛門【おおはらしんえもん(15??~15??)】

阿曾沼広郷家臣。参考資料:「近世こもんじょ館」by工藤利悦。

大和田掃部【おおわだかもん(15??~1591)】

浜田広綱家臣。磐井郡広田館主。官途は宮内少輔。1587年、「浜田広綱の乱」に巻き込まれ所領問題から葛西晴信と対立した。1591年、桃生郡深谷で伊達政宗勢に謀殺された。参考文献:『戦国大名家臣団家典(東国編)』by新人物往来社。

奥玉輝胤【おくたまてるたね(1504~1576)】

磐井郡立花館主。松川胤光の次男(松川信政の養子)。官途は大膳大夫。

奥玉胤時【おくたまたねとき(15??~1591)】

奥玉輝胤の男。官途は大膳大夫。通称九郎三郎。別名千葉胤時。1583年、「橘城の戦い」で薄衣清正勢の攻撃を受け敗れ大原信茂に従った。1591年、「神取山の戦い」に大原胤重に従って参陣した。1591年、桃生郡深谷で伊達政宗勢に謀殺された。参考文献:『戦国大名家臣団家典(東国編)』by新人物往来社。

長部忠俊【ながべただとし(15??~15??)】

葛西晴信家臣。西磐井郡東山長部館主。1581年、「狐禅寺の戦い」で黒沢信有勢と戦った。

長部正行【ながべまさゆき(15??~15??)】

長部忠俊の男。通称藤右衛門。1591年、「佐沼城の戦い」で葛西晴信に従い佐沼城に籠城したが蒲生氏郷勢の攻撃を受け壊滅した。参考文献:『戦国大名家臣団家典(東国編)』by新人物往来社。

小沢道重【おざわみちしげ(15??~1591)】

葛西晴信家臣。田茂山館主。官途は右馬允。1591年、桃生郡深谷で伊達政宗勢に謀殺された。参考文献:『戦国大名家臣団家典(東国編)』by新人物往来社。

小沢源太郎【おざわげんたろう(15??~1591)】

小沢道重の男。1591年、桃生郡深谷で伊達政宗勢に父小沢道重とともに謀殺された。参考文献:『戦国大名家臣団家典(東国編)』by新人物往来社。

小沢兵部【おざわひょうぶ(15??~15??)】

葛西晴信家臣。兵部館主。参考文献:『戦国大名家臣団家典(東国編)』by新人物往来社。

小島三右衛門【おじまさんうえもん(15??~15??)】

葛西晴信家臣。西磐井郡西館主。参考文献:『戦国大名家臣団家典(東国編)』by新人物往来社。

小田嶋親知【おだじまちかとも(15??~15??)】

黒岩義信家臣。官途は主殿頭。通称隼人。1558年、黒岩義信が黒岩城に転封すると黒岩義信の後見役を務め2,000石を領した。参考文献:「近世こもんじょ館」by工藤利悦。

小田嶋隼人正【おだじまはやとのじょう(15??~15??)】

和賀義勝家臣。官途は下総守。1,050石を領した。参考文献:「近世こもんじょ館」by工藤利悦。

小田嶋隠岐守【おだじまおきにかみ(15??~15??)】

和賀義勝家臣。496石を領した。参考文献:「近世こもんじょ館」by工藤利悦。

小田嶋新蔵【おだじましんぞう(15??~15??)】

和賀義勝家臣。28石を領した。参考文献:「近世こもんじょ館」by工藤利悦。

小田代氏基【おだようじもと(15??~15??)】

江刺重恒家臣。江刺郡田瀬館主。官途は肥前守。1590年、「奥州仕置」で葛西晴信が改易処分に処されると江刺重恒が所領を失った。大田代伊予守、栗生沢内記らとともに江刺重恒に従い和賀郡田瀬に落延びた。参考文献:『戦国大名家臣団家典(東国編)』by新人物往来社。

男沢筑後守【おとこざわちくごのかみ(15??~15??)】

葛西晴信家臣。東磐井郡大森館主。参考文献:『戦国大名家臣団家典(東国編)』by新人物往来社。

乙部義説【おとべよしとく(15??~15??)】

斯波詮直家臣。斯波郡乙部館主。官途は兵庫。通称治部。1588年、「岩清水城の戦い」で斯波詮直の滅亡したため、南部信直に仕え2,000石を領した。

乙部義廉【おとべよしかど(15??~15??)】

乙部義説の男。通称長蔵。

鬼柳義継【おにやなぎよしつぐ(14??~15??)】

和賀義忠家臣。官途は伊賀守。別名和賀義継。1492年、足利義植のもとで警護役を務め、和賀家惣領職と和賀郡惣領職を受領した。

鬼柳義邑【おにやなぎよしむら(15??~15??)】

和賀郡鹿島館主。1578年、丸子館から鹿島館に転封した。1590年、「奥州仕置」で和賀義忠が改易処分に処されると所領を失った。

鬼柳盛正【おにやなぎもりまさ(15??~1601)】

鬼柳義邑の男。官途は伊賀守。1590年、「和賀稗貫一揆」で和賀義忠に従い南部信直勢の攻撃を受け大敗した。

鬼柳義元【おにやなぎよしもと(15??~16??)】

鬼柳義邑の次男。南部信直に仕えた。

鬼柳義景【おにやなぎよしかげ(15??~16??)】

鬼柳義邑の三男。南部信直に仕えた。

鬼柳祐光【おにやなぎすけみつ(15??~15??)】

阿曾沼広郷家臣。通称十郎兵衛。参考資料:「近世こもんじょ館」by工藤利悦。

小野寺宗道【おのでらむねみち(15??~15??)】

葛西晴信家臣。胆沢郡金ヶ崎館主。1582年、「金ヶ崎館の戦い」で九戸政実勢の攻撃を受けたがこれを迎撃した。参考文献:『戦国大名家臣団家典(東国編)』by新人物往来社。

小野寺肥後守【おのでらひごのかみ(15??~15??)】

小野寺宗道の男。西磐井郡小野寺館主。1582年、「金ヶ崎館の戦い」で九戸政実勢の攻撃を受けると達曾部信濃守を討取る戦功を挙げた。参考文献:『戦国大名家臣団家典(東国編)』by新人物往来社。

小野寺道照【おのでらみちてる(15??~1591)】

葛西晴信家臣。磐井郡一関館主。官途は伊賀守。1591年、「糠塚の戦い」で葛西晴信に従い伊達政宗勢と戦い討死した。参考文献:『戦国大名家臣団家典(東国編)』by新人物往来社。

小野寺充興【おのでらみつおき(1467~1527)】

葛西政信家臣。磐井郡日形石畑館主。官途は肥後守。1512年、「第一次永正の戦い」で葛西政信に従い山内首藤貞通勢と戦った。山内宮内を討取る戦功を挙げ中津山で43,000苅を領した。

小野寺左馬之丞【おのでらさまのじょう(15??~15??)】

葛西晴信家臣。磐井郡前堀館主。参考文献:『戦国大名家臣団家典(東国編)』by新人物往来社。

大貫丹藏【おおぬきたんぞう(15??~15??)】

葛西晴信家臣。1591年、「佐沼城の戦い」で葛西晴信に従い佐沼城に籠城したが蒲生氏郷勢の攻撃を受け壊滅した。

小野寺藤三【おのでらとうさん(15??~15??)】

葛西晴信家臣。1591年、「佐沼城の戦い」で葛西晴信に従い佐沼城に籠城したが蒲生氏郷勢の攻撃を受け壊滅した。

小原忠秀【おばらただひで(1540~1601)】

和賀義忠家臣。和賀郡安俵館主。安俵郷(十二鏑村、中内村、谷内村、倉沢村、田瀬村)を領した。1590年、稚内川から安俵への用水路を完成させた。「和賀、稗貫一揆」後、和議義忠が討死すると継嗣の和賀忠親に従った。1601年、「岩崎城の戦い」で南部利直勢に敗れると、伊達政宗を頼って落延びたが、和賀忠親らとともに伊達政宗勢に謀殺された。参考文献:フリー百科事典「ウィキペディア(Wikipedia)」。

小山明長【おやまあきなが(1558~1586)】

柏山明吉の三男。胆沢郡小山館主。通称九郎。弟の折居明久とともに柏山家屈指の猛将として数々の戦功を挙げた。1581年、柏山明吉の内紛では、折居明久とともに家老職の三田将監を謀殺した。参考文献:『戦国大名家臣団家典(東国編)』by新人物往来社。

折居明宗【おりいあきむね(1577~1659)】

柏山明吉の三男。胆沢郡折居館主。官途は宮内。通称嘉兵衛。別名折居明久。兄小山明長とともに柏山家屈指の猛将として数々の戦功を挙げた。1581年、柏山明吉の内紛で小山明長とともに家老職の三田将監を謀殺した。1590年、「奥州仕置」で柏山明助が改易処分に処されると所領を失った。1600年、「岩崎一揆」で柏山明助に従い南部利直勢に属して一揆勢と戦った。間諜を操り一揆勢の情報収集に従事した。「夏油川の戦い」で一揆勢を支援していた伊達政宗の荷駄隊を撃破する戦功を挙げ南部利直に50石で仕えた。参考文献:『戦国大名家臣団家典(東国編)』by新人物往来社。

折居明吉【おりいあきよし(15??~15??)】

折居明宗の男。通称三九郎。別名折居明忠。参考文献:『戦国大名家臣団家典(東国編)』by新人物往来社。

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【か】

蝦島盛永【かきしまもりなが(15??~15??)】

葛西晴信家臣。蝦島館主。官途は蔵人。1591年、「森原山の戦い」で薄衣胤勝に従い蒲生氏郷勢と戦い敗走した。参考文献:『戦国大名家臣団家典(東国編)』by新人物往来社。

欠下茂左衛門【かけしたしげざえもん(15??~15??)】

葛西晴信家臣。杉山館主。1590年、「奥州仕置」で葛西晴信が改易処分に処されると、、阿曾沼広郷に仕えた。1600年、阿曾沼広長が遠野郷を追われると、南部利直に仕え300石を領した。

掛田監物【かけたけんもと(15??~15??)】

大原信茂家臣。1559年、「及川義高の乱」で大原信茂に従い参陣した。遅沢館に火を放ち、及川義高、及川雅楽助親子を自刃に追い込んだ。

柏山明平【かしやまあきひら(14??~15??)】

胆沢郡大林城主。葛西政信家臣。胆沢郡惣領職。

柏山明吉【かしやまあきよし(15??~1571)】

柏山明平の男。官途は伊勢守。1534年、「胆沢の戦い」で家臣の石川越後守が南部信安の家臣北七郎、六戸弥太郎らを討取る戦功を挙げた。1542年、「伊達天文の乱」で伊達晴宗勢に属して参陣した。1565年、「西根城の戦い」で新渡戸頼長を討取る戦功を挙げた。参考文献:『戦国大名家臣団家典(東国編)』by新人物往来社。

柏山明守【かしやまあきもり(15??~15??)】

柏山明平の次男。

柏山明国【かしやまあきくに(15??~15??)】

柏山明吉の男。官途は伊予守。室は葛西晴信の娘。性暴慢性格。1570年、家臣団が弟の柏山明宗を擁して隠居を迫ると、反対派の家臣を謀殺した。「東山長部館の戦い」で長部忠俊を攻撃したが敗退した。この内乱に敗れ廃嫡された。参考文献:『戦国大名家臣団家典(東国編)』by新人物往来社。

柏山明宗【かしやまあきむね(15??~15??)】

柏山明吉の次男。官途は中務少輔。柏山明国勢の三田義広に対して小山宮内を派遣して自刃を迫った。三田義広は弁明に務めたが、双方で討死がでる小競り合いが続いた。永徳寺と正法寺の両僧が柏山明宗を説得して、和議の図ったが、三田重明、三田義広父子は調停に不満を持ち自刃した。三田義広の自刃により、柏山明国は野戦戦力の主力を消失した。参考文献:『戦国大名家臣団家典(東国編)』by新人物往来社。

柏山明助【かしやまあきすけ(1578~1624)】

柏山明宗の男。官途は伊勢守。1590年、「奥州仕置」で葛西晴信が改易処分に処されると、南部信直に仕えた。1591年、「和賀稗貫一揆」で南部信直に従い参陣して和賀忠親勢と戦い戦功を挙げ岩崎城1,000石を領した。1624年、疑心を抱かれ謀殺された。参考文献:『戦国大名家臣団家典(東国編)』by新人物往来社。

柏山明知【かしやまあきかず(15??~15??)】

柏山明宗の次男。

柏山明範【かしやまあきのり(15??~15??)】

柏山明宗の三男。

柏山明定【かしやまあきさだ(15??~15??)】

柏山明助の男。

柏山明信【かしやまあきのぶ(15??~15??)】

柏山明助の次男。

柏山明道【かしやまあきみち(15??~15??)】

柏山明助の三男。

柏山常治【かしやまつねはる(15??~15??)】

柏山明吉家臣。胆沢郡前沢館主。通称彦五郎。参考文献:『戦国大名家臣団家典(東国編)』by新人物往来社。

柏山胤道【かしやまたねみち(15??~15??)】

葛西晴信家臣。百岡館主。官途は摂津守。別名千葉胤道。1591年、「佐沼城の戦い」で葛西晴信に従い佐沼城に籠城したが蒲生氏郷勢の攻撃を受け壊滅した。

柏山胤衡【かしやまたねひら(15??~15??)】

柏山胤道の男。官途は若狭守。別名千葉胤衡。1591年、「佐沼城の戦い」で父柏山胤道に従い佐沼城に籠城したが蒲生氏郷勢の攻撃を受け壊滅した。

金沢冬胤【かなざわふゆたね(14??~15??)】

西磐井郡金沢城主。葛西晴胤家臣。官途は伊豆守。1507年、「金沢騒動」で寺崎時胤と争い寺崎時胤を討取る戦功を挙げた。1510年、「金沢城の戦い」で薄衣清貞を撃破した。参考文献:『戦国大名家臣団家典(東国編)』by新人物往来社。

金沢胤正【かなざわたねまさ(15??~15??)】

金沢冬胤の男。次男の寺崎信継が寺崎家の家督を相続した。

金沢信胤【かなざわのぶたね(15??~1591)】

金沢胤正の男。官途は伊豆守。1591年、桃生郡深谷で伊達政宗勢と弟寺崎信重とともに戦い討死した。参考文献:『戦国大名家臣団家典(東国編)』by新人物往来社。

金沢与五郎【かなざわよごろう(15??~16??)】

阿曾沼広郷家臣。1600年、「岩崎城の戦い」で伊達政宗の支援を受けた阿曾沼広長に従い南部利直勢と戦い敗退した。

金森真利【かなもりまさとし(15??~15??)】

葛西晴信家臣。西磐井郡金森館主。通称内膳。参考文献:『戦国大名家臣団家典(東国編)』by新人物往来社。

金田豊後守【かねだぶんごのかみ(15??~15??)】

葛西晴信家臣。1591年、「佐沼城の戦い」で葛西晴信に従い佐沼城に籠城したが蒲生氏郷勢の攻撃を受け壊滅した。

可野助市【かのすけいち(15??~15??)】

葛西晴信家臣。1591年、「佐沼城の戦い」で葛西晴信に従い佐沼城に籠城したが蒲生氏郷勢の攻撃を受け壊滅した。

金成右近大夫【かねなりさこんだいふ(15??~15??)】

葛西晴信家臣。1591年、「森原山の戦い」で薄衣胤勝に従い蒲生氏郷勢と戦い敗走した。

上沼備中守【かみぬまびっちゅうのかみ(15??~15??)】

葛西晴信家臣。1591年、「佐沼城の戦い」で葛西晴信に従い佐沼城に籠城したが蒲生氏郷勢の攻撃を受け壊滅した。

亀ヶ森光広【かめもりみつひろ(15??~15??)】

稗貫為嗣家臣。稗貫郡亀ヶ森館主。官途は図書。1540年、「亀ヶ森館の戦い」で城主の八木沢外記が没落すると、亀ヶ森光広が亀ヶ森館主に任じられた。1541年、八幡神社や中興寺を建立するなど、城下街の整備を行った。1557年、「亀ヶ森城の戦い」で謀反を起した稗貫為嗣に従い討伐勢の槻木光治、矢沢治真らと戦い、槻木光治を討取る戦功を挙げた。参考文献:フリー百科事典「ウィキペディア(Wikipedia)」。

亀ヶ森家衡【かめもりいえひら(15??~16??)】

亀ヶ森光広の男。通称玄蕃。市を開設するなど街場づくりに尽力した。1590年、「奥羽仕置」で稗貫広忠が改易処分に処されると、所領を失い没落した。「和賀稗貫一揆」で稗貫広忠に従わず、南部信直に従い亀ヶ森館を死守した。1591年、弟の亀ヶ森喜明とともに、稗貫広忠の未亡人(於三)を南部信直の側室に差し出して稗貫家の再興を図ったが失敗に終った。その後、亀ヶ森館700石を領した。1601年、斯波孫三郎との謀反の嫌疑を受け改易処分に処された。参考文献:フリー百科事典「ウィキペディア(Wikipedia)」。

亀ヶ森喜明【かめもりよしあき(15??~16??)】

稗貫広忠家臣。亀ヶ森玄蕃の弟。官途は能登守。通称三右衛門。別名山屋喜明。1590年、「奥州仕置」で稗貫が改易処分に処されると、稗貫家の再興を図るべく、兄亀ヶ森玄蕃とともに高松寺で仏門に帰依した稗貫広忠の内室(於三)を還俗させ南部信直の側室に送り込んだ。1599年、南部信直が病没したため、稗貫家の再興は失敗に終わり、於三も再び高松寺に戻った。南部利直に仕え九戸郡山屋村で100石を領した。参考文献:フリー百科事典「ウィキペディア(Wikipedia)」。

苅屋金蔵【かりやきんぞう(15??~15??)】

下閉伊郡苅屋館主。南部晴政勢に属して田鎖館主田鎖政光、折壁館主伊藤駿河守、和井内館主和井内光積らと幾度となく戦った。参考文献:「近世こもんじょ館」by工藤利悦。

苅屋為勝【かりやためかつ(15??~15??)】

苅屋内膳の三男。通称五兵衛。参考文献:「近世こもんじょ館」by工藤利悦。

苅屋為房【かりやためふさ(15??~15??)】

苅屋内膳の四男。通称長五郎。参考文献:「近世こもんじょ館」by工藤利悦。

苅屋為正【かりやためまさ(15??~15??)】

苅屋為房の男。通称源吾。参考文献:「近世こもんじょ館」by工藤利悦。

苅屋左衛門【かりやさえもん(15??~15??)】

苅屋金蔵家臣。南部利直に仕え200石を領した。参考文献:「近世こもんじょ館」by工藤利悦。

苅屋越中守【かりやえっちゅうのかみ(15??~15??)】

苅屋左衛門の男。参考文献:「近世こもんじょ館」by工藤利悦。

苅屋親正【かりやちかまさ(15??~15??)】

苅屋越中守の男。通称弥一郎。参考文献:「近世こもんじょ館」by工藤利悦。

川崎信政【かわさきのぶまさ(15??~1568)】

胆沢郡川崎館主。通称左京。1568年、「二子城の戦い」で和賀義次を攻撃すると、和賀義次は小野寺義道に援軍を要請した。小野寺義道は、小野寺宗道を援軍に派遣し、和賀義次とともに川崎信政勢を撃退した。「川崎城の戦い」で小野寺宗道、和賀義次勢の攻撃を受け討死した。

軽石治兵衛【かるいしじんべい(15??~15??)】

江刺胤虎家臣。江刺郡軽石館主。参考文献:『戦国大名家臣団家典(東国編)』by新人物往来社。

川口秀長【かわぐちひでなが(15??~15??)】

岩手郡川口館主。官途は左近。1591年、「九戸政実の乱」で南部信直勢に属して400石を安堵された。

川口秀影【かわぐちひでかげ(15??~16??)】

川口秀長の男。通称与十郎。八戸直房に仕え家老職を務めた。

川口秀寛【かわぐちひでひろ(15??~15??)】

川口秀影の男。通称与十郎。

川口秀信【かわぐちひでのぶ(15??~15??)】

川口秀長の弟。通称主水。

川口秀定【かわぐちひでさだ(15??~15??)】

川口秀信の男。通称主税。

河原田源蔵【かわはらだげんぞう(15??~15??)】

和賀義勝家臣。和賀郡沢淵館主。沢淵館1,500石を領した。参考文献:「近世こもんじょ館」by工藤利悦。

河村秀政【かわむらひでまさ(15??~15??)】

斯波詮直家臣。大萱生秀重の次男。斯波郡大巻館主。通称右近。別名川村秀久。1570年、斯波詮直が南部晴政と争い敗れると、九戸政実の弟中野直康を娘婿とすることで南部信直と和議を結んだ。1586年、中野直康と斯波詮直と不和になると、岩清水義教、河村秀政の父大萱生秀重が南部信直に内応した。1588年、「岩清水城の戦い」で斯波詮直の家臣の多くが城砦に引き籠り、参陣したのは岩清水義長、細川長門守、稲藤大炊助らなど少数に留まった。斯波詮直は高水寺城を放棄して落延びた。南部信直に仕えて100石を領した。

河村秀徳【かわむらひでとく(15??~15??)】

河村秀政家臣。通称覚右衛門。

河村秀満【かわむらひでみつ(15??~15??)】

河村秀政家臣。通称作内

河村喜助【かわむらよしすけ(15??~15??)】

河村秀政家臣。佐比内館主。

河村秀久【かわむらひでひさ(15??~15??)】

河村秀政家臣。通称右近。

門崎長之助【かんざきちょうのすけ(15??~15??)】

葛西晴信家臣。東磐井郡門崎館主。参考文献:『戦国大名家臣団家典(東国編)』by新人物往来社。

願念讃岐守【がんねんさぬきのかみ(15??~15??)】

和賀忠親家臣。和賀郡願念館主。1600年、「岩崎城の戦い」で和賀忠親に従い岩崎城に籠城して南部利直勢と戦った。

菊池喜左衛門【きくちぜんざえもん(15??~15??)】

阿曾沼広長家臣。上閉伊郡奥友館主。別名奥友喜左衛門。鱒沢広勝とともに阿曾沼広長に謀反し、南部利直勢に寝返った。1614年、「大坂冬の陣」で南部利直に属した。遠野勢156騎のうち小友喜左衛門は15騎を率いて参陣した。小友地方は気仙郡、江刺郡と隣接しており、これらの地域からの金山地帯が続いている地域で、遠野における最も栄えた産金地帯で交通、軍事、経済の最重要拠点であった。

菊池盛隆【きくちもりたか(15??~15??)】

上閉伊郡青笹臼館主。横田城主阿曾沼広郷、綾織谷地館宇夫方広本らとともに遠野郷の平野部分に抑えた。青笹臼館は気仙郡から遠野城下へ至る道筋の浜峠部分に関連する重要拠点で、青笹臼館は隆盛を極めた。

菊池長元【きくちながもと(15??~15??)】

菊池盛隆の男。「笹臼館の戦い」で菊池成武の攻撃を受け鳥越砦に落延びた。

菊池成景【きくちなりかげ(15??~15??)】

菊池盛隆家臣。通称兵庫介。池盛隆の陣代を37年に渡って務めた。

菊池武恒【きくちたけんつね(14??~1516)】

江刺重親家臣。江刺郡羽山館主。通称蔵人。1504年、江刺重親に仕えて江刺郡角掛と牡鹿郡桃浦で3,500石を領地した。

菊池信恒【きくちのぶつね(1468~1544)】

菊池武恒の男。通称蔵人。

菊池武長【きくちたけなが(15??~15??)】

菊池信恒の男。通称半左衛門。

菊池長則【きくちながのり(15??~15??)】

菊池武長の男。通称半之丞。

菊池則武【きくちのりたけ(15??~15??)】

菊池武長の次男臣。通称金十郎。

菊池恒邦【きくちつねくに(15??~15??)】

江刺信時家臣。江刺郡青篠館主。通称右近。1587年、江刺信時を諌めたが継嗣の大田代伊代守が江刺信時に討たれたため、江刺信時のもとを出奔した。

菊池重長【きくちしげなが(15??~15??)】

高館吉之家臣。家老職を務めた。

菊池帯刀【きくちたてわき(15??~15??)】

阿曾沼広郷家臣。参考文献:「近世こもんじょ館」by工藤利悦。

菊池与十郎【きくちよじゅうろう(15??~15??)】

阿曾沼広郷家臣。参考文献:「近世こもんじょ館」by工藤利悦。

菊池時成【きくちときなり(15??~15??)】

阿曾沼広郷家臣。通称治部助。参考文献:「近世こもんじょ館」by工藤利悦。

菊池半太夫【きくちはんだいふ(15??~15??)】

阿曾沼広郷家臣。参考文献:「近世こもんじょ館」by工藤利悦。

菊池数馬【きくちかずま(15??~1659)】

菊池正宗の男。1591年、「葛西大崎一揆」で一揆勢として戦ったが敗退した。

石鳥谷の新田開発や道路、橋の普請などに尽力し、また好地村と犬渕村との境界争いに功を上げた。

菊池右馬之丞【きくちうまのじょう(15??~15??)】

葛西晴信家臣。江刺郡青笹館主。参考文献:『戦国大名家臣団家典(東国編)』by新人物往来社。

菊池内膳【きくちないぜん(15??~15??)】

葛西晴信家臣。磐井郡黒田助館主。参考文献:『戦国大名家臣団家典(東国編)』by新人物往来社。

亀卦川重行【きけかわしげゆき(15??~1531)】

磐井郡新山館主。官途は出雲守。亀卦川家の家督を巡って弟の亀卦川師兼と争った。

亀卦川信秀【きけかわのぶひで(15??~1590)】

亀卦川重行の男。東磐井郡濁沼館主。官途は下総守。通称三郎左衛門尉。別名新山信秀。室は田丁政頼の娘。1531年、父亀卦川重行が病没すると伯父の亀卦川師兼に亀卦川家の家督を奪われた。1550年、亀卦川師兼が没落すると、大原信茂の支援を受け亀卦川惣領家の家督を相続した。及川頼家の子を養育したため、葛西胤晴の攻撃を受けた。1591年、亀卦川師晴、亀卦川持信、亀卦川持景らとともに、桃生郡深谷で伊達政宗に謀殺された。参考文献:『戦国大名家臣団家典(東国編)』by新人物往来社。

亀卦川師兼【きけかわもろかね(1490~1555)】

亀卦川重行の弟。官途は出雲守。通称蔵人。別名新山師兼。亀卦川惣領家の家督を巡って兄亀卦川重行と争った。1531年、兄亀卦川重行が病没すると、継嗣の亀卦川信秀を廃して自ら亀卦川家の家督を相続した。1550年、継嗣の亀掛川師秀と次男の亀卦川師茂が唐梅城内で長坂重胤に謀殺されると、長坂重胤と母体則房を討取った。「新山館の戦い」で葛西晴信の家臣大原信茂勢の攻撃を受け没落した。

亀掛川師秀【きけかわもろひで(15??~1550)】

亀卦川師兼の男。官途は式部少輔。別名新山師秀。弓の名手。1550年、長坂重胤、母体則房と争い謀殺された。

亀卦川師茂【きけかわもろしげ(15??~1553)】

亀卦川師兼の次男。官途は民部少輔。別名新山師茂。弓の名手。1550年、千葉則房と口論になり兄亀掛川師秀が唐梅城内で長坂重胤に謀殺され、新山師茂も負傷した。

亀掛川信重【きけかわのぶしげ(15??~15??)】

亀卦川信秀の五男(仏坂蔵人の養子)。東磐井郡仏沢館主。別名仏坂堅寛。1591年、「奥州仕置」で葛西晴信が改易処分に処されると、所領を失った。

亀掛川堅久【きけかわかたひさ(15??~1639)】

亀掛川信重の男。別名仏坂堅久。参考文献:『戦国大名家臣団家典(東国編)』by新人物往来社。

亀掛川堅重【きけかわかたしげ(15??~16??)】

亀掛川堅久の男。別名仏坂堅重。伊達政宗に仕えた。

亀卦川三郎左衛門【きげがわさぶろうざえもん(15??~15??)】

葛西晴信家臣。1591年、「葛西大崎一揆」で千葉胤元に従い蒲生氏郷勢と戦い壊滅した。

亀卦川津賞【(15??~15??)】

狼河原館主。官途は常陸守。通称長治郎。  

亀卦川下総介【(15??~15??)】

濁沼館主。

葛巻光祐【くずまき(15??~15??)】

工藤茂道家臣。岩手郡葛巻館主。葛巻館2,260石を領した。

葛巻信祐【くずまきのぶすけ(15??~15??)】

葛巻光祐の男。1591年、「九戸政実の乱」で南部信直勢に従い九戸政実勢と戦った。「葛巻館の戦い」で九戸政実家臣の久慈直治勢の攻撃を受けたが撃退した。この戦功により南部信直から加増を受け岩手郡一方井城3,260石に転封した。

葛巻政祐【くずまきまさすけ(15??~15??)】

葛巻信祐の男。室は九戸政実の娘。1591年、「九戸政実の乱」で九戸政実の娘を離縁して父葛巻信祐に従い舅の九戸政実勢と戦った。

葛巻直祐【くずまきなおすけ(15??~15??)】

葛巻信祐の次男。1591年、「葛巻館の戦い」で九戸政実勢の攻撃を受けたが、敵中に入り込み頸級を上げ100石を領した。

口内重員【(15??~15??)】

江刺郡浮牛館主。官途は下総守。1512年、「第二次永正の戦い」で口内重員、浅井重朝らとともに江刺重任に従い山内首藤知貞勢と戦った。参考文献:「土芥の一類~奥州葛西家臣末永氏一族~」by山田篤史。

口内帯刀【くちないたてわき(15??~15??)】

江刺重胤三男。江刺郡口内館主。官途は帯刀。

口内隆朝【くちないたかもと(15??~15??)】

口内帯刀の男。1590年、「奥羽仕置」で江刺重恒が改易処分に処されると、江刺重恒が岩谷堂城を退去すると、口内隆朝もそれに従った。1591年、南部信直に仕えた。

口内重幹【くちないしげもと(15??~15??)】

口内隆朝の男。通称は彦次郎。

口内重員【くちないしげかず(15??~15??)】

江刺郡浮牛館主。官途は下総介。

厨川工藤茂道【くどうしげみち(1539~1588)】

斯波詮直家臣。岩手郡厨川館主。官途は雅楽允。南部晴政勢の攻勢を受け岩手郡三十三郷を失い近郊十ヶ村を領するだけの勢力となった。1588年、「高清水城の戦い」で斯波詮直勢に属して南部信直勢と戦った。斯波詮直は落延びたが、岩清水義長、永井延明とともに抵抗して討死した。参考資料:「近世こもんじょ館」by工藤利悦。

厨川工藤光林【くどうみつもり(1539~1588)】

工藤茂道の男。官途は兵部少輔。父厨川工藤茂道の代に南部晴政に属した。1573年、厨川光林が南部晴政に属して800石を領した。

厨川工藤茂正【くどうしげまさ(15??~15??)】

工藤茂道の男。通称茂右衛門。南部利直に仕え20駄を給された。参考資料:「近世こもんじょ館」by工藤利悦。

栗生沢治兵衛【くりうざわはるべい(15??~15??)】

江刺輝重家臣。江刺郡栗生沢館主。1566年、「長牛城の戦い」で安東愛季勢の攻撃を受けると、南部晴政勢を支援するため、鴬沢藤一郎とともに援兵300余りを率いて参陣した。南部晴政勢が、安東愛季勢に敗れると戦わず撤退した。

栗生沢内記【くりうざわないき(15??~15??)】

栗生沢治兵衛の男。

栗谷川義茂【くりたにかわよししげ(15??~15??)】

岩手郡栗谷川館主。通称小次郎。参考資料:「近世こもんじょ館」by工藤利悦。

黒岩義信【くろいわよしのぶ(15??~15??)】

和賀郡黒岩城主。和賀義勝の男。官途は薩摩守。通称「月斎」。別名和賀義信。1558年、盲目であったため、黒岩城に転封して別家を立てた。

黒石正端【くろいしせいたん(15??~15??)】

葛西晴信家臣。磐井郡黒石館主。官途は越後守。参考文献:『戦国大名家臣団家典(東国編)』by新人物往来社。

黒木将監【くろきしょうげん(15??~15??)】

葛西晴信家臣。東磐井郡中沢館主。参考文献:『戦国大名家臣団家典(東国編)』by新人物往来社。

黒沢兵庫【くろさわひょうご(15??~15??)】

葛西晴信家臣。西磐井郡沢田館主。参考文献:『戦国大名家臣団家典(東国編)』by新人物往来社。

黒沢豊前守【くろさわぶぜんのかみ(15??~15??)】

葛西晴信家臣。西磐井郡大仏館主。参考文献:『戦国大名家臣団家典(東国編)』by新人物往来社。

黒沢義任【くろさわよしとう(15??~15??)】

葛西晴信家臣。磐井郡下黒沢館主。官途は豊後守。参考文献:『戦国大名家臣団家典(東国編)』by新人物往来社。

桑原左近【くわはらうこん(15??~15??)】

火渡広家家臣。桑原館主。

小池沢筑前守【こいけざわちくぜんのかみ(15??~15??)】

大槌右近家臣。1558年、「大槌館の戦い」で大槌右近に従い稗貫輝家の家臣十二丁目裕光を討取る戦功を挙げた。

小岩信定【こいわのぶさだ(15??~1591)】

磐井郡釣雄館主。小岩惣領家職。通称孫三郎。赤荻小岩大膳、達古袋小岩信忠、上黒沢小岩信則、鬼死骸小岩伊賀守、沼倉小岩友斎を従えた。1591年、桃生郡深谷で伊達政宗勢に謀殺された。参考文献:『戦国大名家臣団家典(東国編)』by新人物往来社。

小岩信則【こいわのぶのり(15??~15??)】

小岩信定家臣。磐井郡上黒沢館主。官途は越中守。参考文献:『戦国大名家臣団家典(東国編)』by新人物往来社。

小岩信忠【こいわのぶただ(15??~15??)】

小岩信定家臣。磐井郡達古袋館主。1579年、「富沢直綱の乱」で葛西晴信に従い富沢直綱勢と戦い戦功を挙げた。参考文献:『戦国大名家臣団家典(東国編)』by新人物往来社。

小岩駿河守【こいわするがのかみ(15??~15??)】

葛西晴信家臣。磐井郡伏牛館主。参考文献:『戦国大名家臣団家典(東国編)』by新人物往来社。

小岩民部【こいわみんぶ(15??~15??)】

葛西晴信家臣。磐井郡小山館主。参考文献:『戦国大名家臣団家典(東国編)』by新人物往来社。

黄海高行【こうかいたかゆき(14??~15??)】

磐井郡黄海館主。官途は大蔵少輔。1491年、「黄海館の戦い」で岩渕経世勢の攻撃を受け降伏した。岩渕経世の次男黄海高国を婿養子に迎え隠居した。

黄海高国【こうかいたかくに(15??~15??)】

岩渕経世の次男(黄海高行の養子)。官途は大和守。室は葛西尚信の娘。

興光寺靭負【こうこうじゆきいえ(15??~1601)】

阿曾沼広郷家臣。上閉伊郡興光寺館主。製鉄技術を持った一族。1600年、「横田城の戦い」で鱒沢広勝、上野広吉、平清水景頼らが謀反を起こして横田城を攻め落した。阿曾沼広長、松崎監物らとともに宇夫方広久のもとへ落延びた。1601年、「平田の戦い」で阿曾沼広長に従い松崎監物とともに鱒沢広勝勢と戦い討死した。

小梨清胤【こなしきよたね(15??~15??)】

葛西晴信家臣。磐井郡小梨館主。通称右馬之助丞。1590年、「奥州仕置」で葛西晴信が改易処分に処されると、伊達政宗に仕えた。参考文献:『戦国大名家臣団家典(東国編)』by新人物往来社。

小梨吉常【こなしよしつね(15??~15??)】

小梨清胤の男。伊達政宗から旧領の小梨館600石と気仙郡有住館400石を与えられた。罪を得て改易処分に処された。

小梨吉胤【こなしよしたね(15??~16??)】

小梨吉常の男。1615年、罪を許され旧領の小梨館600石を領した。

駒木広道【こまきひろみち(15??~15??)】 

阿曾沼広郷家臣。上閉伊郡八幡館主。官途は豊前守。別名菊池広道。駒木広道が八幡館に居て、駒木地方全域と安居台の500石を領した。参考文献:「近世こもんじょ館」by工藤利悦。

駒木広安【こまきひろやす(15??~15??)】

駒木広道の弟。通称六兵衛。参考文献:「近世こもんじょ館」by工藤利悦。

駒木広三【こまきひろぞう(1585~16??)】

駒木広道の男。軍配者。盲目の軍配者として阿曾沼広長に仕えた。1600年、阿曾沼広長が没落すると、南部利直に仕え八幡館350石を領した。1627年、八戸直義が遠野に転封すると、南部利直の意向を受け転封した。参考文献:「近世こもんじょ館」by工藤利悦。

駒木内膳【こまきないぜん(15??~15??)】

阿曾沼広郷家臣。1600年、「岩崎城の戦い」で伊達政宗の支援を受けた阿曾沼広長に従い南部利直勢と戦い敗退した。参考文献:「近世こもんじょ館」by工藤利悦。

小森林治部少輔【こもりばやしじぶしょうゆ(15??~15??)】

稗貫義勝家臣。稗貫郡小森林館主。1589年、「小田原の役」に参陣しなかったため、稗貫広忠が改易処分に処されると所領を失った。1590年、「和賀、稗貫一揆」で矢沢三河守、小山田備中守、似田内主計、桜田安芸守、根子内蔵介、高橋駿河守、十二町目佐渡守、瀬川讃岐守、八重畑美濃守、北湯口伊豆守らとともに和賀義忠に従い、まもなく鎮圧された。

小屋敷義長【こやしきよしなが(15??~15??)】

斯波詮直家臣。通称権之助。1588年、「高清水城の戦い」で斯波詮直が滅亡すると、南部信直に仕え200石を領した。参考文献:「近世こもんじょ館」by工藤利悦。

小屋敷長和【こやしきながかず(15??~15??)】

小屋敷義長の男。通称修理。参考文献:「近世こもんじょ館」by工藤利悦。

小山九郎【こやまくろう(15??~15??)】

葛西晴信家臣。1591年、「佐沼城の戦い」で葛西晴信に従い佐沼城に籠城したが蒲生氏郷勢の攻撃を受け壊滅した。

金為時【こんためとき(15??~15??)】

葛西晴信家臣。気仙郡浜田館主。参考文献:『戦国大名家臣団家典(東国編)』by新人物往来社。

今野貞澄【こんのさだずみ(15??~15??)】

葛西晴信家臣。東磐井郡千厩館主。通称右馬丞。1590年、「奥州仕置」で葛西晴信が改易処分に処されると所領を失った。参考文献:『戦国大名家臣団家典(東国編)』by新人物往来社。

今野広綱【こんのひろつな(15??~15??)】

気仙郡二日市館主。通称助九郎。1591年、桃生郡深谷で伊達政宗勢に謀殺された。参考文献:『戦国大名家臣団家典(東国編)』by新人物往来社。

今野内膳【こんのないぜん(15??~15??)】

今野助九郎の男。1591年、桃生郡深谷で父今野広綱とともに伊達政宗勢に謀殺された。参考文献:『戦国大名家臣団家典(東国編)』by新人物往来社。

今野左京【こんのさきょう(15??~15??)】

葛西晴信家臣。気仙郡外館主。参考文献:『戦国大名家臣団家典(東国編)』by新人物往来社。
今野遠江守【こんのとうとうみのかみ(15??~15??)】

葛西晴信家臣。気仙郡槻館主。参考文献:『戦国大名家臣団家典(東国編)』by新人物往来社。

今野信濃守【こんのしなののかみ(15??~15??)】

今野遠江守の男。参考文献:『戦国大名家臣団家典(東国編)』by新人物往来社。

今野土佐守【こんのとさのかみ(15??~15??)】

葛西晴信家臣。東磐井郡清水森館主。参考文献:『戦国大名家臣団家典(東国編)』by新人物往来社。

金野時弘【こんのときひろ(15??~15??)】

葛西晴信家臣。気仙郡川原館主。参考文献:『戦国大名家臣団家典(東国編)』by新人物往来社。

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【さ】

佐々木信綱【ささきのぶつな(15??~15??)】

葛西政信家臣。胆沢郡水沢城主。1485年、「気仙有住の戦い」で葛西政信に従い参陣して南部政盛勢と戦い戦功を挙げた。

佐々木信義【ささきのぶよし(15??~1523)】

佐々木信綱の男。1523年、「桃生矢本の戦い」で葛西胤信と大崎義直が争いで討死した。

佐々木貞綱【ささきさだつな(15??~15??)】

佐々木信義の男。参考文献:『戦国大名家臣団家典(東国編)』by新人物往来社。

佐々木実綱【ささきさねつな(15??~15??)】

佐々木貞綱の男。1579年、「富沢直綱の乱」で葛西晴信勢の寺崎良継に属して富沢直綱勢と戦った。1588年、「浜田広綱の乱」で葛西晴信勢の熊谷直義に属して参陣して浜田広綱勢と戦った。1590年、「奥州仕置く」で葛西晴信が改易処分に処されると、所領を失った。

笹町経尚【ささまちつねひさ(15??~15??)】

葛西晴信家臣。東磐井郡笹町館主。通称新九郎。1591年、「森原山の戦い」で薄衣胤勝に従い蒲生氏郷勢と戦い敗走した。参考文献:『戦国大名家臣団家典(東国編)』by新人物往来社。

佐藤重見【さとうしげみ(15??~15??)】

葛西晴信家臣。1591年、「佐沼城の戦い」で葛西晴信に従い佐沼城に籠城したが蒲生氏郷勢の攻撃を受け壊滅した。

三ノ関讃岐守【さんのせきさぬきのかみ(15??~15??)】

葛西晴信家臣。江刺郡三ノ関館主。参考文献:『戦国大名家臣団家典(東国編)』by新人物往来社。

山王海左衛門【さんのうかいさえもん(15??~1590)】

斯波経詮家臣。斯波郡太郎館主。1590年、「和賀、稗貫一揆」で南部信直勢に属したが途中から一揆勢に寝返り討死した。参考文献:「近世こもんじょ館」by工藤利悦。

山王海太郎【さんおうかいたろう(15??~15??)】

山王海左衛門の男。南部利直に仕えた。参考文献:「近世こもんじょ館」by工藤利悦。

茂市勝治【しげいちかつはる(15??~15??)】

下閉伊郡八幡館主。官途は将監。

雫石詮貞【しずくいしあきさだ(1503~1567)】

斯波詮高の次男。岩手郡雫石城主。別名「雫石御所」。1549年、「雫石城の戦い」で父の斯波詮高が南部晴政勢を追落すと、雫石城主に任じられた。斯波郡を斯波経詮、猪去詮義と共同統治することで南部晴政に対抗した。

雫石詮貴【しずくいしあきたか(15??~15??)】

雫石詮貞の男。官途は和泉守。別名雫石久詮。1588年、「岩清水城の戦い」で南部信直勢の攻撃を受け斯波詮直が岩清水城を失った後も斯波詮直に従った。後に北信愛に仕え30石を領した。

雫石吉久【しずくいしよしひさ(15??~15??)】

雫石詮貞の次男。通称東膳。参考文献:「近世こもんじょ館」by工藤利悦。

雫石久資【しずくいしひさすけ(15??~15??)】

雫石詮貴の男。通称弥右衛門。参考文献:「近世こもんじょ館」by工藤利悦。

篠崎信直【しのざきのぶなお(15??~15??)】

大原信茂家臣。東磐井郡南小梨館主。官途は三河守。1588年、「浜田広綱の乱」では大原信茂に従い参陣した。参考文献:『戦国大名家臣団家典(東国編)』by新人物往来社。

篠崎定胤【しのざきさだたね(15??~15??)】

大原信茂の男(篠崎信直の養子)。通称輪之助。別名南小梨定胤。参考文献:『戦国大名家臣団家典(東国編)』by新人物往来社。

高清水斯波詮高【しばあきたか(1479~1549)】

斯波郡高水寺城主。大崎教兼の男(斯波詮重の養子)。斯波郡惣領職。通称左兵衛尉。1492年、父大崎教兼が斯波郡惣領職を把握すると、大崎教兼の意向を受けて斯波家の家督を相続した。1549年、「雫石城の戦い」で南部晴政勢を追落し、次男の斯波詮貞を雫石城主に任じ、三男の猪去詮義を猪去館主に任じ家中の結束を固め、高水寺斯波家の基盤を築き上げた。

高清水斯波経詮【しばつねあき(1495~1559)】

斯波詮高の男。官途は治部少輔。通称孫三郎。斯波郡を雫石詮貞、猪去詮義と共同統治することで南部晴政に対抗した。

高清水斯波詮真【しばあきざね(1524~1573)】

斯波経詮の男。官途は民部少輔。南部晴政の南下政策に押され、次第に劣勢に立たされた。九戸信仲の四男高田吉兵衛を養子に迎え、南部晴政と和議を結んだ。

高清水斯波詮直【しばあきなお(1548~1597)】

斯波詮真の男。1582年、南部晴政と南部晴継が相次いで亡くなり、南部家が混乱すると、岩手郡内の所領を奪還した。1586年、遊興に耽って政務を顧みないため、家臣の石清水義長が諫言したが聞き入れることは無く、これに不満を持った石清水義教、簗田詮泰らが南部信直に内応して謀反を起こした。1588年、「岩清水城の戦い」で南部信直勢の攻撃を受け斯波詮直は滅亡した。

柴股義武【しばまたよしたけ(15??~15??)】

東磐井郡柴股館主。官途は大学。1591年、「森原山の戦い」で薄衣胤勝に従い蒲生氏郷勢と戦い敗走した。その後、南部利直に仕えた。参考文献:『戦国大名家臣団家典(東国編)』by新人物往来社。

清水馬場忠胤【しみずのばばただたね(15??~1591)】

大原信茂の五男。東磐井郡清水馬場館主。官途は三河守。1591年、桃生郡深谷で伊達政宗勢に謀殺された。参考文献:『戦国大名家臣団家典(東国編)』by新人物往来社。

清水馬場晴胤【しみずのばばはるたね(15??~1591)】

清水馬場忠胤の男。通称四郎三郎。別名千葉晴胤。1591年、桃生郡深谷で父清水馬場忠胤とともに伊達政宗勢に謀殺された。参考文献:『戦国大名家臣団家典(東国編)』by新人物往来社。

清水信光【しみずのぶみつ(15??~15??)】    

葛西晴信家臣。西磐井郡清水城主。参考文献:『戦国大名家臣団家典(東国編)』by新人物往来社。

清水信精【しみずのぶよし(1567~1591)】    

清水信光の男。通称刑部少輔。1591年、桃生郡深谷で伊達政宗勢に謀殺された。
参考文献:『戦国大名家臣団家典(東国編)』by新人物往来社。

清水苗与之助【しみずなえよのすけ(15??~1591)】    

清水信光の弟。1591年、桃生郡深谷で甥の清水信精とともに伊達政宗勢に謀殺された。参考文献:『戦国大名家臣団家典(東国編)』by新人物往来社。

清水善七郎【しみずぜんしちろう(15??~15??)】

斯波詮直家臣。参考資料:「近世こもんじょ館」by工藤利悦。

下田秀祐【しもだひですけ(15??~15??)】

南部信直家臣。岩手郡下田館。通称弥三郎。1591年、「九戸政実の乱」で南部信直に従い参陣した。参考文献:「近世こもんじょ館」by工藤利悦。

下田秀邑【しもだひでむら(15??~15??)】

下田秀祐の男。通称内記。参考文献:「近世こもんじょ館」by工藤利悦。

下田秀勝【しもだひでかつ(15??~15??)】

下田秀邑の男。通称清之丞。参考文献:「近世こもんじょ館」by工藤利悦。

下河原玄蕃【しもかわらげんば(15??~15??)】

及川守則の次男。江刺郡下河原館主。柏山明助に仕え200石を領した。1579年、「水沢城の戦い」で佐々木貞綱を攻撃した。1590年、「奥州仕置」で葛西晴信が改易処分に処されると南部信直に仕えた。参考文献:『戦国大名家臣団家典(東国編)』by新人物往来社。

下河原若狭守【しもかわらわかさのかみ(15??~16??)】

下河原玄蕃の男。官途は武蔵守。別名及川恒明。1601年、「岩崎城の戦い」で南部利直に従い和賀忠親勢と戦った。参考文献:『戦国大名家臣団家典(東国編)』by新人物往来社。

下河原丹治【しもがわらたんじ(15??~15??)】

葛西晴信家臣。1591年、「佐沼城の戦い」で葛西晴信に従い佐沼城に籠城したが蒲生氏郷勢の攻撃を受け壊滅した。

白石時直【しらいしときなお (15??~15??)】

葛西晴信家臣。東磐井郡折戸館主。官途は豊後守。通称求馬。1590年、「奥州仕置」で葛西晴信が改易処分に処されると所領を失った。1591年、「葛西大崎一揆」で大原胤重に従い蒲生氏郷勢と戦い敗走した。その後、伊達政宗に仕えた。参考文献:『戦国大名家臣団家典(東国編)』by新人物往来社。

白鳥民部少輔【しらとりみんぶしょうゆ(15??~15??)】

葛西晴信家臣。胆沢郡東館主。1588年、「浜田広綱の乱」で葛西晴信に従い参陣した。参考文献:『戦国大名家臣団家典(東国編)』by新人物往来社。

白岩越後守【しろいわえちごのかみ(15??~15??)】

大槌広信家臣。参考文献:「近世こもんじょ館」by工藤利悦。

白岩左衛門【しろいわさえもん(15??~16??)】

阿曾沼広郷家臣。1600年、「岩崎城の戦い」で伊達政宗の支援を受けた阿曾沼広長に従い南部利直勢と戦い敗退した。参考資料:「近世こもんじょ館」by工藤利悦。

十二丁目下野守【じゅうにちょうめしもつけのかみ(15??~15??)】

稗貫義時家臣。稗貫郡十二丁目館主。1555年、稗貫義時に従い上洛した。

十二丁目裕光【じゅうにちょうめひろみつ(15??~1558)】

十二丁目下野守の男。通称右市之助。1558年、「大槌館の戦い」で大槌右近が謀反を起こして大迫館に籠城すると稗貫輝家に従い大槌右近勢と戦った。大槌右近の家臣小池沢筑前守の反撃を受け討死した。

十二丁目佐渡守【じゅうにちょうめさどのかみ(15??~15??)】

十二丁目裕光の男。

十二丁目斎宮【じゅうにちょうめさいぐう(15??~15??)】

十二丁目裕光の次男。

新柵種次【しんさくたねつぐ(15??~1591)】

葛西晴信家臣。磐井郡狐禅寺館主。1591年、桃生郡深谷で伊達政宗勢に謀殺された。参考文献:『戦国大名家臣団家典(東国編)』by新人物往来社。

須江清右衛門【すえせいえもん(15??~15??)】

葛西晴信家臣。磐井郡須江館主。参考文献:『戦国大名家臣団家典(東国編)』by新人物往来社。

末永宗時【すえながむねとき(15??~15??)】

葛西政信家臣。登米郡善王寺館主。官途は能登守。弟の末永筑後守とともに葛西政信の謀殺を図ったが失敗に終わった。参考文献:『戦国大名家臣団家典(東国編)』by新人物往来社。

末永筑後守【すえなちくごのかみ(15??~15??)】

末永宗時の弟。1591年、「佐沼城の戦い」で葛西晴信に従い佐沼城に籠城したが蒲生氏郷勢の攻撃を受け壊滅した。

末永清継【すえながきよつぐ(15??~1591)】

末永宗時の男。官途は修理。通称五郎三郎。1591年、「佐沼城の戦い」で葛西晴信に従い佐沼城に籠城したが蒲生氏郷勢の攻撃を受け討死した。参考文献:『戦国大名家臣団家典(東国編)』by新人物往来社。

菅原惣左衛門【すがわらそうざえもん(15??~15??)】

寺崎良次家臣。西磐井郡峠城の西の丸を守備した。参考文献:『戦国大名家臣団家典(東国編)』by新人物往来社。

菅原左近【すがわらさこん(15??~15??)】

葛西晴信家臣。1591年、「佐沼城の戦い」で葛西晴信に従い佐沼城に籠城したが蒲生氏郷勢の攻撃を受け壊滅した。

菅原長国【すがわらながくに(15??~15??)】

葛西晴信家臣。通称苗掃部。1588年、「葛西大崎の戦い」で葛西晴信に従い大崎義隆勢と戦い討死した。参考文献:『戦国大名家臣団家典(東国編)』by新人物往来社。

杉山一学【すぎやまいちがく(15??~15??)】

飯岡平九郎家臣。岩手郡湯沢大館主。飯岡平九郎の寄騎衆を務めた。

煤孫治義【すずまごはるよし(15??~15??)】

和賀義忠家臣。和賀郡下須々孫館主。官途は下野守。1590年、「和賀、稗貫一揆」で継嗣の煤孫義甫、煤孫隆義らとともに参陣して一揆勢力の中心人物として活躍した。

煤孫義甫【すずまごよしほ(15??~15??)】

煤孫治義の男。参考文献:「近世こもんじょ館」by工藤利悦。

煤孫隆義【すずまごたかよし(15??~15??)】

煤孫治義家臣。参考文献:「近世こもんじょ館」by工藤利悦。

煤孫惣助【すずまそうすけ(15??~15??)】

和賀義勝家臣。参考文献:「近世こもんじょ館」by工藤利悦。

須藤弥兵衛【すどうよへい(15??~15??)】

葛西晴信家臣。1591年、「佐沼城の戦い」で葛西晴信に従い佐沼城に籠城したが蒲生氏郷勢の攻撃を受け壊滅した。

摺澤出雲守【すりざわいずものかみ(15??~15??)】

葛西晴信家臣。東磐井郡摺澤館主。官途は将監。1591年、「佐沼城の戦い」で葛西晴信に従い佐沼城に籠城したが蒲生氏郷勢の攻撃を受け壊滅した。参考文献:『戦国大名家臣団家典(東国編)』by新人物往来社。

駿河次郎【するがじろう(15??~15??)】

葛西晴信家臣。栗原郡猿飛来館主。参考文献:『戦国大名家臣団家典(東国編)』by新人物往来社。

瀬川隠岐守【せがわおきのかみ(15??~15??)】

稗貫広忠家臣。稗貫郡大瀬川館主。1590年、「奥州仕置」で稗貫広忠が改易処分に処されると所領を失った。1590年、「和賀稗貫一揆」に参陣した。後に南部信直に仕えた。

関口定正【せきぐちさだまさ(14??~1521)】

和賀定義の四男。通称内膳正。別名和賀定正。1483年、「関口館の戦い」で稗貫晴家勢と戦い関口館を攻落とし居城とした。1521年、「斯波郡山の戦い」で南部安信勢と戦い討死した。
 
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【た】

高田胤冬【たかだたねふゆ(15??~15??)】

葛西晴信家臣。高田館主。官途は壱岐守。1591年、「佐沼城の戦い」で葛西晴信に従い佐沼城に籠城したが蒲生氏郷勢の攻撃を受け壊滅した。

高木四郎右衛門【たかぎしろうえもん(15??~15??)】

葛西晴信家臣。登米郡高木館主。参考文献:『戦国大名家臣団家典(東国編)』by新人物往来社。

高野若狭守【たかのわかさのかみ(15??~15??)】

江刺輝重家臣。江刺郡鴻ノ巣館主。参考文献:『戦国大名家臣団家典(東国編)』by新人物往来社。

高館吉之【たかやかたよしゆき(15??~15??)】

和賀義忠家臣。和賀郡高館主。官途は宮内少輔。

滝口太郎【たきぐちたろう(15??~15??)】

葛西晴信家臣。磐井郡楊生館主。官途は山城守。通称五郎左衛門。別名千葉持家。参考文献:『戦国大名家臣団家典(東国編)』by新人物往来社。

滝沢三郎右衛門【たきざわさぶろうえもん(15??~15??)】

蜂谷隠岐守家臣。磐井郡滝沢館の二の丸を守備した。参考文献:『戦国大名家臣団家典(東国編)』by新人物往来社。

田鎖政光【たぐさりまさみつ(15??~15??)】

下閉伊郡田鎖館主。閉伊久朝の男。折壁館主伊藤駿河守、苅屋館主苅屋金蔵、和井内館主和井内光積らと幾度とな戦った。常に他領に兵を進めて戦い、田鎖城域が戦火にまみえることはなかった。

田鎖光好【たぐさりみつよし(15??~15??)】

田鎖政光の男。官途は遠江守。1591年、「九戸政実の乱」で九戸政実、南部信直どちらにも属さず一戸孫三郎とともに中立を維持した。1592年、「文禄の役」で南部信直に従い肥前名護屋城を守備したが、南部信直に田鎖城を破却され没落した。

田鎖光賢【たぐさりひとかた(15??~15??)】

田鎖政光の次男。官途は右京。

小国武田忠信【たけだのぶただ(15??~15??)】

下閉伊郡大梵天館主。通称彦十郎。1502年、小国館を築き、閉伊川下流域を支配する田鎖政光に対抗した。遠野に繋がる小国川沿いの小国館は交通の要衝だった。

小国武田直家【たけだなおいえ(15??~15??)】

武田忠信の男。通称佐馬助。

小国武田直信【たけだなおのぶ(15??~15??)】

武田直家の男。通称彦左衛門。1532年、「大梵天館の戦い」で江繋正光勢の攻撃を受け敗れ没落した。

多田綱俊【ただつなとし(15??~15??)】

斯波詮直家臣。参考資料:「近世こもんじょ館」by工藤利悦。

多田綱保【ただつなやす(15??~15??)】

多田綱俊の男。参考資料:「近世こもんじょ館」by工藤利悦。

多田忠綱【ただただつな(15??~15??)】

多田綱保の男。通称孫右衛門。1588年、「岩清水城の戦い」で斯波詮直が滅亡すると南部信直に仕えて400石を領した。参考資料:「近世こもんじょ館」by工藤利悦。

達曾部清綱【たつそべきよつな(15??~15??)】

斯波詮直家臣。多田忠綱の男。通称弥兵衛。別名多田清綱。参考資料:「近世こもんじょ館」by工藤利悦。

達曾部綱正【たつそべつなまさ(15??~15??)】

達曾部清綱の男。通称弥兵衛。

立花縫殿助【たちばなぬいどのすけ(15??~15??)】

上閉伊郡五日市館主。1600年、阿曾沼広長が遠野を追われると、所領を失い遠野を離れた。

玉井庄兵衛【たまいしょううべい(15??~15??)】

斯波詮直家臣。参考資料:「近世こもんじょ館」by工藤利悦。

田山久光【たやまひさみつ(15??~15??)】

浄法寺重久の三男。岩手郡田山館主。田山館を築き浄法寺城の西方の二戸郡と鹿角郡の国境を守備した。

千田勝政【ちだかつまさ(15??~15??)】

長坂近胤家臣。家老職を務めた。1514年、「唐梅館の戦い」で薄衣清貞勢の攻撃を受け長坂近胤が討死すると、所領を失った。

千田宗念【ちだそうねん(15??~15??)】

小岩信定家臣。磐井郡天蕨館主。家老職を務めた。参考文献:『戦国大名家臣団家典(東国編)』by新人物往来社。

千田豊後守【ちだぶんごのかみ(15??~15??)】

柏山明吉家臣。磐井郡上姉射館主。参考文献:『戦国大名家臣団家典(東国編)』by新人物往来社。

千田要人【ちだようじん(15??~15??)】

葛西晴信家臣。1591年、「佐沼城の戦い」で葛西晴信に従い佐沼城に籠城したが蒲生氏郷勢の攻撃を受け壊滅した。

千田与左衛門【ちだよざえもん(15??~15??)】

柏山明吉家臣。磐井郡中野館主。参考文献:『戦国大名家臣団家典(東国編)』by新人物往来社。

千葉茂成【ちばしげなり(15??~15??)】

葛西重信家臣。東磐井郡金鶏館主。官途は遠江守。1568年、「曾慶館の戦い」で曾慶信時勢と戦った。

千葉兼義【ちばかねよし(15??~1591)】

千葉茂成の男。官途は遠江守。1591年、桃生郡深谷で伊達政宗勢に謀殺された。

千葉胤弘【ちばたねひろ(15??~15??)】

寺崎良次家臣。西磐井郡日形館主。官途は大学。通称太郎左衛門。参考文献:『戦国大名家臣団家典(東国編)』by新人物往来社。

千葉輝胤【ちばてるたね(15??~15??)】

千葉胤弘の男。1591年、「森原山の戦い」で薄衣胤勝に従い蒲生氏郷勢と戦い敗走した。参考文献:『戦国大名家臣団家典(東国編)』by新人物往来社。

千葉道胤【ちばみちたね(15??~15??)】

寺崎良次家臣。磐井郡下油田館主。官途は官途は越前守。参考文献:『戦国大名家臣団家典(東国編)』by新人物往来社。

千葉重胤【ちばしげたね(15??~1591)】

葛西晴信家臣。磐井郡上折壁城主。官途は右馬丞。1591年、桃生郡深谷で伊達政宗に謀殺された。

千葉胤資【ちばたねすけ(15??~1591)】

葛西晴信家臣。西磐井郡長部中館主。通称式部。1591年、桃生郡深谷で伊達政宗勢に謀殺された。参考文献:『戦国大名家臣団家典(東国編)』by新人物往来社。

千葉安房守【ちばあわのかみ(15??~1591)】

大原飛騨守の三男。東磐井郡根ノ館主。通称善門。1591年、桃生郡深谷で伊達政宗勢に謀殺された。参考文献:『戦国大名家臣団家典(東国編)』by新人物往来社。

千葉伊豆守【ちばいずのかみ(15??~15??)】

寺崎良次家臣。西磐井郡峠城の北の丸を守備した。参考文献:『戦国大名家臣団家典(東国編)』by新人物往来社。

千葉大隅守【ちばおおすみのかみ(15??~15??)】

寺崎良次家臣。西磐井郡峠城の南の丸を守備した。参考文献:『戦国大名家臣団家典(東国編)』by新人物往来社。

千葉宮内【ちばくない(15??~15??)】

葛西晴信家臣。東磐井郡砂子田館主。通称左衛門。別名砂子田帯刀。1591年、「森原山の戦い」で薄衣胤勝に従い蒲生氏郷勢と戦い敗走した。参考文献:『戦国大名家臣団家典(東国編)』by新人物往来社。

千葉五郎三郎【ちばごろうさぶろう(15??~15??)】

葛西晴信家臣。磐井郡三ノ関館主。参考文献:『戦国大名家臣団家典(東国編)』by新人物往来社。

千葉相模守【ちばさがみのかみ(15??~15??)】

葛西晴信家臣。西磐井郡中村館主。参考文献:『戦国大名家臣団家典(東国編)』by新人物往来社。

千葉左近【ちばさこん(15??~15??)】

葛西晴信家臣。東磐井郡金田館主。参考文献:『戦国大名家臣団家典(東国編)』by新人物往来社。

千葉信濃守【ちばしなのかみ(15??~15??)】

気仙郡忍館主。及川左馬之助の兄。1588年、「浜田広綱の乱」で浜田広綱勢に属して葛西晴信勢と戦った。参考文献:『戦国大名家臣団家典(東国編)』by新人物往来社。

千葉修理【ちばしゅり(15??~15??)】

葛西晴信家臣。西磐井郡道綱西館主。参考文献:『戦国大名家臣団家典(東国編)』by新人物往来社。

千葉下野守【ちばしもつけのかみ(15??~15??)】

葛西晴信家臣。磐井郡小石名沢館主。参考文献:『戦国大名家臣団家典(東国編)』by新人物往来社。

千葉長門守【ちばながとのかみ(15??~15??)】

葛西晴信家臣。西磐井郡内館主。参考文献:『戦国大名家臣団家典(東国編)』by新人物往来社。

千葉八右衛門【ちばはちえもん(15??~15??)】

安土日向守家臣。磐井郡五串館主。千葉新左衛門の男。参考文献:『戦国大名家臣団家典(東国編)』by新人物往来社。

千葉久胤【ちばひさたね(15??~15??)】

葛西晴信家臣。磐井郡富沢館主。通称彦次郎。1591年、「森原山の戦い」で薄衣胤勝に従い蒲生氏郷勢と戦い敗走した。参考文献:『戦国大名家臣団家典(東国編)』by新人物往来社。

千葉正胤【ちばまさたね(15??~15??)】

千葉遠江守の弟。東磐井郡久保館主。官途は豊後守。参考文献:『戦国大名家臣団家典(東国編)』by新人物往来社。

鳥海頼勝【ちょうかいよりかつ(15??~15??)】

大原胤重家臣。官途は美濃守。通称右馬丞。1559年、「鳥海城の戦い」で及川頼家が滅亡すると、鳥海頼勝が鳥海城主に任じられた。1591年、「葛西大崎一揆」で大原胤重に従い蒲生氏郷勢と戦い壊滅した。

津軽石勝冨【つがるいしかつとみ(15??~1583)】

下閉伊郡払川館主。通称九郎。1583年、千徳城の新年祝賀の席でに謀殺された。

築館筑前守【つきやかたちくぜんのかみ(15??~15??)】

葛西晴信家臣。1591年、「佐沼城の戦い」で葛西晴信に従い佐沼城に籠城したが蒲生氏郷勢の攻撃を受け壊滅した。

机地相模守【つくえじさがみのかみ(15??~15??)】

柏山明吉家臣。胆沢郡上衣川館主。参考文献:『戦国大名家臣団家典(東国編)』by新人物往来社。

机地平蔵【つくえじへいぞう(15??~15??)】

柏山明吉家臣。胆沢郡机地館主。参考文献:『戦国大名家臣団家典(東国編)』by新人物往来社。

角掛左近【つのかけさこん(15??~15??)】

葛西晴信家臣。江刺郡羽山館主。参考文献:『戦国大名家臣団家典(東国編)』by新人物往来社。

手代森秀親【てしろもりひでちか(15??~15??)】

大萱生秀重家臣。岩手郡手代森館主。通称大夫。1588年、斯波詮直が南部信直に滅ぼされると、南部信直に仕え500石を領した。参考文献:「近世こもんじょ館」by工藤利悦。

手塚庄蔵【てづかしょうぞう(15??~15??)】

葛西晴信家臣。1591年、「佐沼城の戦い」で葛西晴信に従い佐沼城に籠城したが蒲生氏郷勢の攻撃を受け壊滅した。

手塚左衛門尉【てづかさえもんのじょう(15??~15??)】

戸沢家盛家臣。岩手郡雫石城代。1549年、「雫石城の戦い」で石川高信勢の攻撃を受け落城した。参考文献:「近世こもんじょ館」by工藤利悦。

寺崎時胤【てらさきときたね(15??~1507)】

西磐井郡峠城主。官途は下野守。磐井郡惣領職。所領は310町、馬上61騎を率いた。1507年、「金沢冬胤の乱」で金沢冬胤を攻撃した。この戦いで、日形城主千葉秀胤とともに討死した。

寺崎清時【てらさききよとき(15??~15??)】

寺崎時胤の男。通称五郎三郎。別名寺崎時継。1521年、金沢冬胤を討取って父寺崎時胤の仇を討った。これにより葛西重信から討伐を受け継嗣の寺崎茂継が討死した。

寺崎茂継【てらさきもりつぐ(15??~1521)】

寺崎清時の男。1521年、父寺崎清時が葛西重信から討伐を受け、この戦いで討死した。

寺崎良次【てらさきよしつぐ(15??~1582)】

金沢良通の男(寺崎時胤の養子)。官途は石見守。別名金沢信継。1544年、金沢胤正が葛西高信に謀反を起こしたが、葛西高信勢に属した。金沢胤正が討死すると、磐井郡二十四郷の旗頭を務めた。1579年、「富沢直綱の乱」で葛西晴信に従い戦功を挙げた。1582年、「河崎の戦い」で九戸政実勢と戦い討死した。参考文献:『戦国大名家臣団家典(東国編)』by新人物往来社。

寺崎正次【てらさきまさつぐ(15??~1591)】

寺崎良次の男。官途は刑部大輔。1591年、「大崎、葛西一揆」で総大将として参陣して千葉胤弘、千葉道胤とともに蒲生氏郷勢と戦ったが討死した。

寺崎明清【てらさきあききよ(15??~15??)】

磐井郡楊生館主。寺崎清運の次男。官途は左近将監。別名千葉彦三郎。

寺崎清泰【てらさききよやす(15??~1591)】

寺崎明清の男。官途は阿波守。通称五郎右衛門。別名千葉五郎左衛門。寺崎泰常とともに葛西晴信に仕えた。1591年、「大崎、葛西一揆」で葛西晴信勢に属して参陣して木村吉清を攻撃するが、蒲生氏郷勢の反撃を受け鎮圧された。桃生郡深谷で伊達政宗勢に謀殺された。

寺崎泰常【てらさきやすつね(1536~1591)】

寺崎清泰の男。官途は但馬守。1591年、「葛西大崎一揆」で父寺崎清泰に従い葛西晴信勢に属して木村吉清勢と戦うが、蒲生氏郷勢の反撃を受け鎮圧された。桃生郡深谷で伊達政宗勢に謀殺された。

寺崎常清【てらさきつねきよ(15??~15??)】

葛西政信家臣。磐井郡苅明館主。

寺沢胤長【てらさわたねなが(15??~15??)】

東磐井郡寺沢館主。官途は宮内少輔。別名佐々木右近。参考文献:『戦国大名家臣団家典(東国編)』by新人物往来社。

寺沢丹後守【てらさわたんごのかみ(15??~15??)】

葛西晴信家臣。1591年、「葛西大崎一揆」で大原胤重に従い蒲生氏郷勢と戦い壊滅した。

田頭直祐【でんどうなおすけ(15??~1591)】

葛巻信祐の次男。岩手郡田頭館主。1591年、「田頭館の戦い」で南部信直勢に属したため、九戸政実に属した平館城主一戸政包の攻撃を受け討死した。

毒沢一忠【どくざわかずただ(15??~1600)】

和賀義忠家臣。和賀郡毒沢館主。官途は伊賀守。1590年、「奥州仕置」で和賀義忠が改易処分に処されると、毒沢一忠も所領を失った。「和賀、稗貫一揆」で一揆勢に参陣した。一揆勢は南部信直勢に制圧された。娘は伊達政宗の側室となり、伊達宗勝をもうけた。

毒沢義森【どくざわよしもり(15??~1590)】

毒沢一忠の男。1590年、「和賀、稗貫一揆」で父毒沢一忠とともに一揆勢に参陣したが討死した。

雫石戸沢家盛【とざわいえもり(15??~15??)】

岩手郡雫石城主。戸沢泰盛の男。1532年、南部晴政の家臣石川高信が戸沢家盛に対し、三戸城に参向して南部晴政に服従を求めたが、これを拒否した。「雫石城の戦い」で石川高信勢の攻撃を受け雫石城は落城、戸沢家盛は角館城に落延びた。

栃内出雲守【とちうちいずものかみ(15??~15??)】

稗貫義時家臣。和賀郡栃内館主。1555年、稗貫義時が上洛すると、その供に加わった。

栃内善兵衛【とちうちぜんべい(15??~15??)】

阿曾沼広郷家臣。上閉伊郡栃内館主。官途は兵部。別名西風館典厩。盲目の兵法者。栃内地域の馬産に尽力した。「西風館の戦い」で葛西晴信勢の攻撃を受け宇夫方広久が敗退すると、西風館を領した。1600年、「岩崎城の戦い」で伊達政宗の支援を受けた阿曾沼広長に従い南部利直勢と戦い敗退した。参考資料:「近世こもんじょ館」by工藤利悦。

栃内秀村【とうちうちひでむら(15??~15??)】

斯波詮高家臣。通称源蔵。1586年、斯波詮直が南部信直に内応した家臣岩清水義教を攻撃したことから南部信直の侵攻を受けた。斯波詮直は領内に動員令を発したが、多くの家臣は離反し南部信直勢に投降するか屋敷に篭り、高水寺城に駆けつけたのは岩清水義教の兄岩清水義長、細川長門守、稲藤大炊助など少数だった。斯波詮直は高水寺城を放棄して大崎義隆のもとに落延びた。岩清水義長は高水寺城で討死した。

栃内秀綱【とうちうちひでつな(15??~15??)】

栃内秀村の男。通称左近。南部信直に仕え300石を領した。参考資料:「近世こもんじょ館」by工藤利悦。

栃内秀晴【とうちうちひではる(15??~15??)】

栃内秀綱の男。通称源右衛門。参考資料:「近世こもんじょ館」by工藤利悦。

栃内慶都【とうちうちよしと(15??~15??)】

江刺胤虎家臣。通称勾当。参考資料:「近世こもんじょ館」by工藤利悦。

栃内重広【とうちうちしげひろ(15??~15??)】

江刺胤虎家臣。通称小左衛門。参考資料:「近世こもんじょ館」by工藤利悦。

栃内重任【とうちうちしげこれ(15??~15??)】

江刺胤虎家臣。通称小左衛門。参考資料:「近世こもんじょ館」by工藤利悦。

都鳥玄蕃【ととりげんば(15??~15??)】

和賀義勝家臣。通称平馬。参考文献:「近世こもんじょ館」by工藤利悦。

轟木兵庫【とどろきひょうご(15??~15??)】

和賀忠親家臣。和賀郡轟木館主。1591年、「和賀稗貫一揆」で南部利直勢に内応して700石を領した。

轟木長右衛門【とどろきちょうえもん(15??~15??)】

轟木兵庫家臣。1600年、「関ヶ原の役」で南部利直に従い参陣した。

富沢久胤【とみざわひさたね(15??~15??)】

葛西晴信家臣。磐井郡富沢館主。通称彦次郎。1588年、「森原山城の戦い」で葛西晴信に従い参陣した。参考文献:『戦国大名家臣団家典(東国編)』by新人物往来社。

鳥畑胤堅【とりはたたねかた(15??~15??)】

大原信胤家臣。磐井郡鳥畑館主。官途は薩摩守。1561年、「鳥畑館の戦い」で薄衣清正の攻撃を受け大原信茂のもとに落延びた。参考文献:『戦国大名家臣団家典(東国編)』by新人物往来社。

鳥畑堅長【とりはたかたなが(15??~15??)】

鳥畑胤堅の四男。官途は伊予守。通称弥九郎。1571年、「富沢直綱の乱」で富沢直綱と結び葛西晴信勢と戦った。1585年、「鳥畑城の戦い」で薄衣清正勢の攻撃を受け大原信茂を頼って落延びた。参考文献:『戦国大名家臣団家典(東国編)』by新人物往来社。

鳥畑堅時【とりはたかたとき(15??~1591)】

鳥畑堅長の男。通称弥四郎。1591年、桃生郡深谷で伊達政宗勢に謀殺された。参考文献:『戦国大名家臣団家典(東国編)』by新人物往来社。

鳥畑堅俊【とりはたかたとし(15??~1591)】

鳥畑胤堅の五男。1591年、桃生郡深谷で甥の鳥畑堅時とともに伊達政宗勢に謀殺された。参考文献:『戦国大名家臣団家典(東国編)』by新人物往来社。

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【な】

永井延明【ながいのぶあき(15??~1588)】

斯波詮直家臣。通称八郎。

永井通延【ながいみちのぶ(15??~15??)】

永井延明の男。通称理右衛門。南部信直に仕えて50石を領した。

永井讃岐守【ながいさぬきのかみ(15??~15??)】

葛西晴信家臣。西磐井郡東永井館主。参考文献:『戦国大名家臣団家典(東国編)』by新人物往来社。

永井半左衛門【ながいはんざえもん(15??~15??)】

葛西晴信家臣。西磐井郡西永井館主。参考文献:『戦国大名家臣団家典(東国編)』by新人物往来社。

中津山三郎右衛門【なかつやまさぶろうえもん(15??~15??)】

葛西晴信家臣。1559年、「及川義高の乱」で及川義高が滅ぶと、東磐井郡猿沢館主に任じられた。参考文献:『戦国大名家臣団家典(東国編)』by新人物往来社。

長岡詮尹【ながおかあきいん(15??~15??)】

斯波詮直家臣。斯波郡長岡館主。通称八右衛門。東西長岡、山屋、舟久保、砂子沢の五ヶ村を領した。斯波詮直の家老職を務めた。1588年、「長岡館の戦い」で南部信直勢に従った江柄式部、栃内源蔵らの攻撃を受け斯波詮直を支援することが出来なかった。斯波詮直が没落すると、南部信直に仕えて1,000石を領した。 参考文献:「近世こもんじょ館」by工藤利悦。

長岡央武【ながおかおうぶ(15??~15??)】

長岡詮尹の男。通称内蔵助。

長坂近胤【ながさかちかたね(14??~1514)】

磐井郡長坂唐梅館主。官途は豊前守。1514年、「唐梅館の戦い」で薄衣清貞勢の攻撃を受け討死した。

長坂重胤【ながさかしげたね(15??~15??)】

長坂近胤の男。官途は石見守。1500年、亀掛川師秀と母体則房が口論になり、亀掛川師秀を謀殺した。

長坂信胤【ながさかのぶたね(15??~1601)】

長坂重胤の男。官途は大膳。別名千葉胤村。1591年、「大崎、葛西一揆」で葛西晴信勢に従い蒲生氏郷勢と戦ったが敗れて所領を失った。南部利直に仕えた。1600年、「唐梅館の戦い」で和賀忠親勢の攻撃を受け没落した。

長坂胤方【ながさかたねかた(15??~15??)】

長坂信胤の男。官途は刑部少輔。別名千葉頼胤。1591年、「大崎、葛西一揆」で父長坂信胤に従い敗退した。1601年、父長坂信胤が病没すると、北信愛に仕え50石を領した。参考文献:『戦国大名家臣団家典(東国編)』by新人物往来社。

長坂広胤【ながさかひろたね(15??~15??)】

長坂信胤の次男。別名百岡土佐守。

長坂胤重【ながさかたねしげ(15??~15??)】

長坂信胤の三男。通称弥七郎。

中島安将【なかじまやすかど(15??~15??)】

斯波詮直家臣。通称内膳。南部信直に仕え300石を領した。参考文献:「近世こもんじょ館」by工藤利悦。

中島安晴【なかじまやすはる(15??~15??)】

中島安将の男。通称源内。

中野康実【なかのやすのり(15??~1594)】

斯波郡吉兵衛館主。九戸信仲の四男。官途は筑後守。通称弥五郎。別名高田吉兵衛。室は斯波詮真の娘。南部晴政の意向を受け斯波詮真の娘を内室に迎え斯波郡吉兵衛館を領した。1586年、南部信直の意向を受け斯波詮直の斯波家臣団への調略を行った。1588年、「高清水城の戦い」で斯波詮直勢と戦い戦功を挙げ、高水寺城3,500石を領した。1591年、「九戸政実の乱」で南部信直に属して兄の九戸政実と戦った。1594年、従兄弟の九戸連伊と口論となり謀殺された。参考文献:フリー百科事典「ウィキペディア(Wikipedia)」。

中野康仲【なかのやすなか(15??~15??)】

中野康実の男。通称弥七。別名高田康仲。1594年、父中野康実が九戸連伊に謀殺されると、次男の中野正康が中野家の家督を相続したため、別家を起こして500石を領した。参考文献:フリー百科事典「ウィキペディア(Wikipedia)」。

中野正康【なかのまさやす(15??~15??)】

中野康実の次男。別名高田正康。1594年、父中野康実が九戸連伊に謀殺されると、九戸連伊を討取る戦功を挙げた。遺領の高清水城3,000石を領した。参考文献:フリー百科事典「ウィキペディア(Wikipedia)」。

中村秀峰【なかむらひでみね(15??~15??)】

斯波詮真家臣。通称作兵衛。参考文献:「近世こもんじょ館」by工藤利悦。

中村作右衛門【なかむらさくえもん(15??~15??)】

斯波詮真家臣。参考文献:「近世こもんじょ館」by工藤利悦。

奈良坂邦信【ならさかしげとき(1519~1587)】

葛西信胤家臣。西磐井郡高森館主。官途は能登守。通称兵大夫。別名奈良坂信盈。1544年、「金沢胤正の乱」で小岩信行、小岩信茂らとともに熊谷直正に従い金沢胤正と戦った。参考文献:『戦国大名家臣団家典(東国編)』by新人物往来社。

奈良坂重弘【ならさかしげひろ(15??~1564)】

奈良坂邦信の男。通称通称源右衛門。別名奈良坂広光。1564年、「馬籠重胤の乱」で葛西晴信に従い参陣するが、馬籠重胤勢の反撃を受け討死した。参考文献:『戦国大名家臣団家典(東国編)』by新人物往来社。

奈良坂重時【ならさかしげとき(15??~15??)】

奈良坂重弘の男。官途は和泉守。別名奈良坂信列。1579年、「富沢直綱の乱」で葛西晴信に従い富沢直綱勢と戦い戦功を挙げた。1588年、「浜田広綱の乱」で葛西晴信勢の熊谷直義に属して参陣して浜田広綱勢と戦った。1590年、「奥州仕置」で葛西晴信が改易処分に処されると、所領を失った。参考文献:『戦国大名家臣団家典(東国編)』by新人物往来社。

成田藤内【なりたとうない(15??~1600)】

和賀忠親家臣。和賀郡成田館主。成田館500石を領した。1590年、「奥州仕置」で和賀義忠が改易処分に処されると、没落した。1600年、「岩崎一揆」で和賀忠親に従い和賀郡領内で一揆を起こしたが、南部信利勢の反撃を受け討死した。

成鳥小四郎【なるとりこしろう(15??~15??)】

和賀定義の次男。別名和賀定久。

新山師兼【にいやまもろかね(15??~15??)】

葛西晴信家臣。東磐井郡新山館主。参考文献:『戦国大名家臣団家典(東国編)』by新人物往来社。

新堀義広【にいぼりよしひろ(15??~15??)】

稗貫広忠家臣。稗貫郡新堀館主。通称作兵衛。1590年、「奥州仕置」で稗貫忠広が改易処分に処されると、没落した。

二階堂良胤【にかいどうよしたね(15??~15??)】

葛西晴信家臣。西磐井郡下油田館主。官途は肥前守。別名千葉良胤。参考文献:『戦国大名家臣団家典(東国編)』by新人物往来社。

二ノ関平蔵【にのせきへいぞう(15??~15??)】

葛西晴信家臣。江刺郡二ノ関館主。1591年、「佐沼城の戦い」で葛西晴信に従い佐沼城に籠城したが蒲生氏郷勢の攻撃を受け壊滅した。参考文献:『戦国大名家臣団家典(東国編)』by新人物往来社。

沼宮内常利【ぬまみやうちつねとし(15??~15??)】

一方井安信家臣。岩手郡沼宮内館主。官途は民部。1591年、「九戸政実の乱」で南部信直に属したため、九戸政実勢の平館政包の攻撃を受け南部信直のもとに落延びた。乱後、沼宮内館に復帰した。

沼宮内春秀【ぬまくないはるひえで(15??~15??)】

沼宮内常利の男。通称治郎。

沼宮内春久【ぬまくないはるひさ(15??~15??)】

沼宮内春秀の男。通称治部。

根子大和守【ねこやまとのかみ(15??~1600)】

稗貫輝家家臣。稗貫郡根子館主。1590年、「奥州仕置」で稗貫輝家が改易処分に処されると、所領を失った。1600年、「岩崎城の戦い」で和賀義忠に従い岩崎城に籠城したが、南部利直勢の反撃を受け討死した。

野田盛綱【のだもりつな(15??~15??)】

和賀忠親家臣。和賀郡野田館主。通称三郎兵衛尉。勇猛。

野田森重【のだもろしげ(15??~15??)】

野田盛綱の男。通称三郎兵衛尉。

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【は】

羽黒堂修理【はぐろどうしゅうり(15??~15??)】

葛西晴信家臣。磐井郡羽黒堂館主。官途は対馬守。参考文献:『戦国大名家臣団家典(東国編)』by新人物往来社。

羽黒堂下野守【はぐろどうしもつけのかみ(15??~15??)】

葛西晴信家臣。1588年、「浜田広綱の乱」で葛西晴信勢の熊谷直義に属して参陣して浜田広綱勢と戦った。参考文献:『戦国大名家臣団家典(東国編)』by新人物往来社。

畑崎玄薫【はたさきはるしげ(15??~15??)】

葛西重清家臣。軍配者を務めた。1512年、「陸中七尾城の戦い」で葛西重清に七尾城攻めの献策を行った。

畠中五郎八【はたなかごろはち(15??~15??)】

阿曾沼広郷家臣。1600年、「岩崎城の戦い」で伊達政宗の支援を受けた阿曾沼広長に従い南部利直勢と戦い敗退した。

畑村対馬守【はたむらつしまのかみ(15??~15??)】

葛西晴信家臣。1591年、「森原山の戦い」で薄衣胤勝に従い蒲生氏郷勢と戦い敗走した。

蜂屋縫殿助【はちやぬいどのすけ(15??~15??)】

柏山明吉家臣。胆沢郡塩釜築館主。1542年、「伊達天文の乱」で柏山明吉に従い伊達晴宗勢に属して戦功を挙げた。乱後、葛西高信から直接謝状を受けた。

蜂屋次郎左衛門【はちやじろうざえもん(15??~15??)】

蜂屋縫殿助の男。1588年、「前沢城の戦い」で小山明長、折井明久らに従い三田義広を攻撃した。

蜂谷隠岐守【はちやおきのかみ(15??~15??)】

葛西晴信家臣。磐井郡滝沢館主。参考文献:『戦国大名家臣団家典(東国編)』by新人物往来社。

蜂谷破鏡【はちやはきょう(15??~15??)】

葛西晴信家臣。磐井郡築館主。参考文献:『戦国大名家臣団家典(東国編)』by新人物往来社。

花輪朝重【はなわともしげ(15??~15??)】

下閉伊郡花輪館主。通称十郎左衛門。田鎖十三家。1546年、田鎖久朝の次男花輪朝重が花輪館を築いた。

花輪一朝【はなわかずちも(15??~15??)】

花輪朝重の男。官途は安房守。

花輪政朝【はなわまさとも(15??~15??)】

花輪一朝の男。官途は内膳。娘の松子は南部利直の側室となり南部重信をもうけた。

浜田弾正忠【はまだだんじょうちゅう(15??~15??)】

葛西晴信家臣。1591年、「佐沼城の戦い」で葛西晴信に従い佐沼城に籠城したが蒲生氏郷勢の攻撃を受け壊滅した。

原体重家【はらたいしげいえ(14??~15??)】

江刺重任家臣。江刺郡原体東館主。1512年、「第二次永正の戦い」で口内重員、浅井重朝らとともに江刺重任に従い山内首藤知貞勢と戦った。参考文献:「土芥の一類~奥州葛西家臣末永氏一族~」by山田篤史。

稗貫晴家【ひえぬきはるいえ(1489~1564)】

稗貫郡鳥谷ヶ崎城主。葛西政信の次男(稗貫稙重の養子)。稗貫郡惣領職。養父稗貫稙重は継嗣に恵まれず、葛西政信の次男稗貫晴家を養子に迎え、稗貫家の家督を相続させた。稗貫家は養子が続きいたため、家中が混乱他家の介入を招いた。

稗貫輝家【ひえぬきてるいえ(15??~15??)】

稗貫晴家の男。官途は大和守。別名稗貫家時。1555年、京都の室町幕府と友好関係を結び、上洛して将軍の足利義輝と謁見した。

稗貫広忠【ひえぬきひろただ(1554~1593)】

和賀義治の次男(稗貫輝家の養子)。通称孫次郎。室は稗貫輝家の娘(於三)。1590年、「奥州仕置」で改易処分に処された。1591年、「二子城の戦い」で和賀義忠とともに、二子城を奪回するほどに奮戦した。羽柴秀吉勢の反撃を受け羽後国に落延びたがまもなく病没した。

稗貫広重【ひえぬきひろしげ(15??~15??)】

稗貫広忠の男。

人首恒輝【ひとかべつねてる(15??~15??)】

江刺重胤の次男。江刺郡人首館主。通称平右衛門。別名人首如清、安蘇修理。

人首盛恒【ひとかべもりつね(15??~15??)】

人首恒輝の男。通称平十郎。1590年、「奥羽仕置」で葛西晴信が改易処分に処されると江刺重恒とともに所領を失った。

人首恒冨【ひとかべつねとみ(15??~15??)】

人首盛恒の男。通称甚太郎。

人首恒茂【ひとかべつねしげ(15??~15??)】

人首恒冨の次男。通称平八郎。

人首権太夫【ひとかべごんだゆう(15??~15??)】

葛西晴信家臣。江刺郡人首館主。別名安蘇国重。参考文献:『戦国大名家臣団家典(東国編)』by新人物往来社。

日戸秀恒【ひどひでつね(15??~15??)】

岩手郡日戸館主。官途は内膳。1588年、「高水寺城の戦い」で南部信直に従い参陣して斯波詮直勢と戦い戦功を挙げた。

日戸秀礼【ひどひひでむれ(15??~15??)】

日戸秀恒の男。官途は内膳。

日戸直秀【ひどひなおひで(15??~15??)】

日戸秀礼の男。1608年、日戸館から野辺地館に転封なり1,300石を領した。

日戸秀武【ひどひひでたけ(15??~15??)】

日戸直秀の男。通称内膳。

日戸秀盛【ひどひひでもり(15??~15??)】

日戸直秀の男。通称助三郎。

火渡中務【ひわたりなかむ(15??~15??)】

阿曾沼広郷家臣。上閉伊郡火渡館主。遠野盆地北側の附馬牛を領した。

火渡広家【ひわたりひろいえ(15??~1600)】

火渡中務の男。官途は中務。通称玄淨。1600年、阿曾沼広長が南部利直に従い羽前国に出陣した。「横田城の戦い」で南部利直の支援を受けた鱒沢広勝、上野広吉、平清水景光らに横田城を攻落された。閉伊郡の豪族衆は鱒沢広勝に従ったが、阿曾沼広長勢に属して火渡館に籠城した。「火渡館の戦い」で鱒沢広勝勢の攻撃を受けると、家臣大野源左衛門の奮闘により鱒沢広勝勢に損害を与えたが、敗れて大野源左衛門とともに大槌孫八郎を頼って落延びるが、鱒沢広勝勢の囲まれ討死した。

平倉盛任【ひらくらもりこれ(15??~1601)】

阿曾沼広郷家臣。上閉伊郡刀金館主。通称新兵衛。別名菊池盛任。刀金館200石を領して足軽頭を務めた。1600年、「横田城の戦い」で南部利直に支援された鱒沢広勝、上野広吉、平清水景頼が、横田城を攻落とすとこれに従った。1601年、「平田の戦い」で鱒沢広勝に従い参陣して阿曾沼広長勢と戦った。「赤羽根の戦い」で上野広吉に従い伊達政宗の支援を受けた阿曾沼広長勢と戦い板沢平蔵とともに討死した。

平倉盛清【ひらくらもりきよ(15??~1601)】

阿曾沼広郷家臣。上閉伊郡平倉館主。官途は長門守。1601年、「赤羽根の戦い」で上野広吉に従い参陣して伊達政宗の支援を受けた阿曾沼広長勢と戦った。上野広吉勢は、阿曾沼広長の家臣松崎監物、興光寺負靭らを討取ったが討死した。

平倉新八【ひらくらしんぱち(15??~15??)】

平倉盛任家臣。

平沢平蔵【ひらさわへいぞう(15??~1601)】

平倉盛任家臣。1601年、「赤羽根の戦い」で平倉盛任に従い伊達政宗の支援を受けた阿曾沼広長勢と戦ったが敗れて討死した。

平倉刑部【ひらくらぎょうぶ(15??~15??)】

阿曾沼広郷家臣。1600年、「岩崎城の戦い」で伊達政宗の支援を受けた阿曾沼広長に従い南部利直勢と戦い敗退した。

平清水景光【ひらしみずかげみつ(15??~1600)】

阿曾沼広郷家臣。上閉伊郡平清水館主。通称禅門。別名新谷景光。平清水は気仙郡から続く金鉱脈地帯で、平清水は産金で栄えた。平清水家は産金関連に精通した一族で、領地からは年貢以上の収入があった。1600年、「横田城の戦い」で南部利直に支援された鱒沢広勝、上野広吉、平清水景頼らに攻落とされると、阿曾沼広長は、平倉盛任らとともに宇夫方広久のもとへ落延びた。「新谷館の戦い」で少数の家臣とともに新谷館に籠城したが鱒沢広勝勢の攻撃を受け討死した。

平清水景頼【ひらしみずかげより(15??~1602)】

平清水景光の男。官途は駿河守。通称右衛門。1600年、「横田城の戦い」で南部利直に支援された鱒沢広勝、上野広吉らとともに横田城を攻落とすと、阿曾沼広長らとともに宇夫方広久のもとへ落延びた。平清水景頼はこの戦功により南部利直から加増を受けた。1602年、南部利直の策謀により自刃させられた。

平館政包【ひらだてまさかね(15??~1581)】

岩手郡平館主。官途は信濃守。別名一戸政包。1581年、平館政包は兄の一戸城主一戸信連とともに九戸政実に謀殺された。南部信直の意向を受け津軽石重行の次男が平舘彦六と称して平館家を再興した。
 
深堀武虎【ふかぼりたけとら(15??~1591)】

葛西晴信家臣。磐井郡深堀館主。通称新左衛門。別名千葉新右衛門。1579年、「富沢直綱の乱」で弟深堀武重とともに戦功を挙げた。1589年、「小田原の役」に参陣しなかったため、葛西晴信が改易処分に処せられると、所領を失った。1591年、「葛西大崎一揆」で一揆勢に属して参陣したが討死した。参考文献:『戦国大名家臣団家典(東国編)』by新人物往来社。

福士慶善【ふくしけいぜん(15??~15??)】

南部晴政家臣。岩手郡不来方城主。官途は伊勢守。南部家四天王(三上斉太郎、奥瀬安芸、桜庭光康)。1591年、「九戸政実の乱」で南部直信勢に属したが、九戸政実と姻戚関係であったため責任を問われ不来方城主の地位を失った。

福士政秀【ふくしまさひで(15??~15??)】

福士慶善の男。官途は淡路守。

福地下総守【ふくちしもふさのかみ(15??~15??)】

葛西晴信家臣。1591年、「佐沼城の戦い」で葛西晴信に従い佐沼城に籠城したが蒲生氏郷勢の攻撃を受け壊滅した。

布佐晴清【ふさはるきよ(15??~15??)】

葛西晴信家臣。東磐井郡布佐館主。1588年、「布佐館の戦い」で葛西晴信勢の攻撃を受けた。参考文献:『戦国大名家臣団家典(東国編)』by新人物往来社。

星川左馬助【ほしかわさまのすけ(15??~15??)】

斯波詮直家臣。参考資料:「近世こもんじょ館」by工藤利悦。

星胤村【ほしたねむら(15??~15??)】

葛西政信家臣。

星康胤【ほしやすたね(15??~15??)】

星胤村の男。官途は和泉守。室は小野寺掃部の娘。1553年、葛西晴胤の意向を受け上洛て足利義輝の石清水参詣の供奉を奉行した。その後、足利義輝から将軍家家宝の「大明成祖皇帝の書」と「友長」の太刀を拝領した。
 
星胤徳【ほしたねとく(15??~15??)】

星康胤の男。通称五郎左衛門。室は日形左京の娘。
 
星胤季【ほしたねよし(15??~15??)】

星康胤の次男。官途は民部丞。

星安胤【ほしやすたね(1562~1591)】

星胤徳の男。官途は美濃守。通称五郎左衛門。1591年、桃生郡深谷で伊達政宗勢に謀殺された。

星直胤【ほしなおたね(15??~1641)】

星胤徳の次男。通称五郎左衛門。

細川長門守【ほそかわながとのかみ(15??~15??)】

斯波詮直家臣。斯波家四老職。1586年、「岩清水館の戦い」で斯波詮直が岩清水義教を攻撃すると、岩清水義教を支援する南部信直勢の攻撃を受けた。「高水寺城の戦い」で岩清水義長、稲藤大炊助らとともに斯波詮直に従い高水寺城に籠城するが、南部信直勢の攻撃を受けると斯波詮直は高水寺城を放棄して大崎義隆のもとに落延びた。

細越五左衛門【ほそごえござえもん(15??~15??)】

阿曾沼広郷家臣。

細越惣兵衛【ほそごえそうべい(15??~15??)】

阿曾沼広郷家臣。松崎館主。1585年、岩谷堂城主江刺重恒の家督争いの混乱に乗じて阿曾沼広郷に従い江刺家領に侵攻したが、江刺重恒の反撃を受け殿を務め討死した。

細越敏広【ほそごえとひしろ(15??~15??)】

阿曾沼広郷家臣。森下館主。通称与三兵衛。1600年、「岩崎城の戦い」で伊達政宗の支援を受けた阿曾沼広長に従い南部利直勢と戦い敗退した。

細越敏継【ほそごえとしつぐ(15??~15??)】

平清水景光の男(細越敏広の養子)。通称与三郎。1600年、「岩崎城の戦い」で阿曾沼広長が落延びると、南部利直に仕えた。

細越備材【ほそごえびざい(15??~15??)】

阿曾沼広郷家臣。通称長十郎。

母体則房【ぼたいのりふさ(15??~15??)】

葛西晴信家臣。母体館主。官途は伊賀守。別名千葉則房。1550年、亀掛川師秀と口論になり、長坂重胤が亀掛川師秀を謀殺した。亀掛川師秀の父亀掛川師兼の反撃を受け長坂重胤とともに討死した。

本宿家久【ほんじゅくひえひさ(15??~16??)】

阿曾沼広郷家臣。閉伊郡本宿館主。通称老之丞。室は阿曾沼広郷の娘。阿曾沼広郷に仕え本宿館を領した。1600年、「横田城の戦い」で阿曾沼広郷が鱒沢広勝らの謀反により没落すると、南部利直に仕えた。

本宿家重【ほんじゅくいえしげ(15??~15??)】

本宿家久の男。官途は因幡守。

本宿家治【ほんじゅくいえはる(15??~15??)】

本宿家重の男。通称弥次右衛門。

本宿家盈【ほんじゅくいえみつ(15??~15??)】

本宿家重の次男。通称半之丞。

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【ま】

馬籠四郎兵衛【まごめしろうびょうえ(15??~15??)】

葛西晴信家臣。磐井郡馬籠館主。別名千葉四郎兵衛。1591年、「佐沼城の戦い」で葛西晴信に従い佐沼城に籠城したが蒲生氏郷勢の攻撃を受け壊滅した。参考文献:『戦国大名家臣団家典(東国編)』by新人物往来社。

鱒沢守光【ますざわもりみつ(15??~15??)】

阿曾沼親広家臣。上閉伊郡鱒沢館主。鱒沢守国の男。1542年、「伊達天文の乱」で葛西晴胤に従い戦功を挙げ阿曾沼親広から独立した勢力に成長した。

鱒沢広勝【ますざわひろかつ(15??~1601)】

鱒沢守光の男。通称左馬助。1600年、「横田城の戦い」で南部利直の支援を受け羽後国に参陣した阿曾沼広長の留守をついて謀反を起こし遠野郷を領した。1601年、「平田の戦い」で阿曾沼広長を攻撃したが反撃を受け討死した。

鱒沢広光【ますざわひろみつ(15??~1602)】

鱒沢広勝の男。通称忠右衛門。1601年、「平田の戦い」で父の鱒沢広勝が討死したため、鱒沢家の家督を相続して遠野郷を領した。1602年、南部利直から謀反の嫌疑を受け自刃を命じられた。

鱒沢広純【ますざわひろずみ(15??~15??)】

鱒沢広光の男。通称修理亮。

鱒沢村広【ますざわむらひろ(15??~15??)】

鱒沢広勝の次男。通称造酒允。

鱒淵重倫【ますふちしげのり(15??~15??)】

葛西晴信家臣。鱒渕館主。通称彦三郎。別名及川刑部。1591年、桃生郡深谷で伊達政宗勢に謀殺された。参考文献:『戦国大名家臣団家典(東国編)』by新人物往来社。

増子浄雲斎【ますこじょううんさい(15??~15??)】

寺崎良次家臣。猛将。1579年、「富沢直綱の乱」で寺崎良次に従い参陣して富沢直綱の家臣大鳥刑部少輔を討取る戦功を挙げた。参考文献:『戦国大名家臣団家典(東国編)』by新人物往来社。

増子与左衛門【ますこよざえもん(15??~1656)】

増子浄雲斎の男。別名「喜西静悦」。1600年、「関ヶ原の役」に参陣した。

升沢滝口太郎【ますざわたきくちたろう(15??~15??)】

葛西晴信家臣。1591年、「森原山の戦い」で薄衣胤勝に従い蒲生氏郷勢と戦い敗走した。

松川広胤【まつかわひろたね(1486~1507)】

薄衣清胤家臣。磐井郡松川館主。松川滋吉の男。通称太郎三郎。室は鳥海重定。別名千葉広胤。1507年、「金沢城の戦い」で薄衣清貞が金沢冬胤の籠城する金沢城をすると、薄衣清貞に従い参陣した。金沢冬胤勢の反撃を受け討死した。

松川胤康【まつかわたねやす(1506~1555)】

松川広胤の男。通称五郎左衛門。室は及川重康の娘。

松川信胤【まつかわのぶたね(1440~1523)】

薄衣清胤の次男(松川広胤の養子)。通称五郎左衛門。別名千葉信胤。室は大原信広の娘。1507年、「金沢城の戦い」で松川広胤が討死したため、葛西晴重の意向を受け薄衣清胤の次男松川信胤が松川家の家督と200貫を相続した。

松川胤光【まつかわたねみつ(15??~1510)】

松川信胤の男。1510年、「薄衣清貞の乱」で薄衣清貞と金沢冬胤が争うと、薄衣清貞に属した。金沢冬胤勢の反撃を受け討死した。

松川胤教【まつかわたねよし(15??~15??)】

松川胤光の男。

松川信胤【まつかわのぶたね(15??~1607)】

松川信康の男。病弱のため、弟の松川胤好が陣代として松川信胤勢を率いて軍役を果たした。1590年、「奥羽仕置」で葛西晴信が改易処分に処されると、所領を失った。1591年、「葛西大崎一揆」で葛西晴信に従い木村吉清勢と戦い羽後仙北郡稲庭館に落延びた。

松川胤好【まつかわたねよし(15??~1591)】

松川信康の次男。通称主水。別名千葉胤好。1589年、「小田原の役」後、葛西晴信が改易処分を受けると、兄松川胤好とともに所領を失った。1591年、「葛西大崎一揆」で松川信胤は病のため、松川胤好が陣代として参陣した。深谷荘和淵で木村吉清勢に敗れて討死した。

松川胤持【まつかわたねもち(1488~1553)】

松川信胤の次男。官途は弾正忠。通称忠四郎。室は千葉胤長の娘。1515年、葛西重信に仕えて100貫を領した。弓馬に優れ戦功を挙げた。

松川持定【まつかわもちさだ(1521~1547)】

松川胤持の次男。通称左近丞。通称弥四郎。1547年、「磐井東山の戦い」で長坂頼胤勢と戦い討死した。

松川持行【まつかわもちゆき(1526~1571)】

松川胤持の三男。通称雅楽介。別名中里持行。

松川胤堅【まつかわたねかた(15??~1567)】

松川胤持の男。官途は越中守。1561年、薄衣清正と戦った。

松崎監物【まつだきけんもつ(15??~1602)】

阿曾沼広郷家臣。閉伊郡松崎館主。1600年、「横田城の戦い」で南部利直の支援を受けた鱒沢広勝らが謀反を起こしたため、阿曾沼広長ととも伊達政宗のもとに落延びた。1602年、「赤羽根峠の戦い」に阿曾沼広長に従い上野広勝勢と戦い討死した。

三ヶ尻清秀【みかじりきよふで(15??~15??)】

江刺重胤家臣。胆沢郡丸子館主。

三ヶ尻恒逢【みかじりつねとよ(15??~15??)】

三ヶ尻清秀の男。官途は加賀守。1590年、「奥州仕置」で葛西晴信が改易処分に処されると、浅野長政に江刺重恒の再興を嘆願しその忠節を賞された。1603年、南部利直に仕え、和賀郡倉沢館主に任じられた。

三ヶ尻吉次【みたじりよしつぐ(15??~15??)】

三ヶ尻清秀家臣。

三ヶ尻吉道【みかじりよしみち(15??~15??)】

三ヶ尻清秀家臣。

三田重近【みたしげちか(15??~15??)】

柏山明平家臣。胆沢郡前沢館主。

三田重明【みたしげあき(15??~15??)】

三田重近の男。官途は主計頭。別名三田将監。1533年、三田家の家督を相続した。1542年、「伊達天文の乱」で葛西高信とともに伊達晴宗勢に属して伊達稙宗勢と戦い戦功を挙げた。

三田義広【みたしげあき(15??~1588)】

三田重明の男。官途は刑部少輔。猛将。1571年、「遠野陳場の戦い」で葛西晴信勢に属した柏山明吉に従い戦功を挙げ恩賞として、20,000刈の領地を加増された。柏山明吉が病没後、次男の柏山明宗を擁して継嗣の柏山明国を追落とした。1573年、「川崎城の戦い」で九戸政実が小野寺宗道を攻撃すると、葛西晴信の意向を受けた柏山明宗に従い九戸政実勢と戦いこれを撃退する戦功を挙げた。1588年、「前沢城の戦い」で柏山明宗から謀反の嫌疑を受け小山明長、折井明久らの攻撃を受け討死した。参考文献:『戦国大名家臣団家典(東国編)』by新人物往来社。

三田義勝【みたよしかつ(15??~15??)】

三田義広の三男。官途は将監。1588年、父三田義広が小山明長、折井明久らに謀殺されると、和賀義勝の家臣鬼柳盛正を頼り落延びた。

三田義則【みたよしのり(15??~15??)】

柏山明吉家臣。官途は玄蕃。

三田義正【みたよしまさ(15??~15??)】

三田義則の男。通称十郎左衛門。

箕輪田弥惣右衛門【みのわだよそうえもん(15??~15??)】

葛西晴信家臣。1591年、「葛西大崎一揆」で千葉胤元に従い蒲生氏郷勢と戦い壊滅した。

宮手英清【みやてひできよ(15??~15??)】

斯波詮直家臣。参考資料:「近世こもんじょ館」by工藤利悦。

宮杜祐武【みやもりすけたけ(15??~15??)】

阿曾沼広郷家臣。通称主水。参考資料:「近世こもんじょ館」by工藤利悦。

舞草内匠【もくさたくみ(15??~15??)】

葛西晴信家臣。磐井郡舞草館主。別名佐々木安綱。参考文献:『戦国大名家臣団家典(東国編)』by新人物往来社。

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【や】

八重畑美濃守【やえはたみののかみ(15??~15??)】

稗貫広忠家臣。稗貫郡八重畑館主。1571年、斯波詮真と南部晴政が戦うと、八重畑美濃守が調停役を務めた。1590年、「奥州仕置」で稗貫広忠が改易処分に処されると所領を失った。1591年、「二子城の戦い」で和賀義忠、稗貫広忠に従い二子城を攻撃して城代の後藤半七を討取る戦功を挙げた。「鳥谷ヶ崎城の戦い」で浅野庄左衛門が籠城する鳥谷ヶ崎城を攻撃したが、南部信直の家臣八戸直栄、桜庭直綱、東彦八郎、南盛義らの反撃を受け和賀義忠、稗貫広忠勢は敗走した。「八重畑館の戦い」で八重畑館に籠城したが、南部信直勢の攻撃を受け落城した。

矢崎又太郎【やざきまたたろう(15??~15??)】

葛西晴信家臣。1591年、「佐沼城の戦い」で葛西晴信に従い佐沼城に籠城したが蒲生氏郷勢の攻撃を受け壊滅した。

八木沢光興【やぎさわみつおき(15??~15??)】

千徳政康家臣。江繋行光の男。下閉伊郡八木沢館主。通称与四郎。

八木沢正興【やぎさわまさおき(15??~15??)】

江繋行光の二男。通称久三郎。

八木沢正景【やきざわまさかげ(15??~15??)】

八木沢正興の男。通称金九郎。

八木沢備中守【やぎさわびっちゅうのかみ(15??~15??)】

大槌広信家臣。参考文献:「近世こもんじょ館」by工藤利悦。

八ッ森小七郎【やつもりこしちろう(15??~15??)】

和賀義勝家臣。和賀郡八幡館主。八幡館300石を領した。

簗田詮泰【やなだあきやす(1547~1601)】

斯波詮真家臣。官途は中務丞。家老職を務めた。1586年、斯波詮真が南部信直勢の攻勢を受けると、岩清水義教とともに南部信直に内応した。1588年、「岩清水城の戦い」で斯波詮直が南部信直勢の攻撃を受け滅亡すると、南部信直に従い斯波郡、岩手郡に勢力を拡大した。

簗田勝泰【やなだかつやす(15??~1621)】

簗田詮泰の男。官途は大学。南部利直に仕えて600石を領した。

柳津三河守【やなつみかわのかみ(15??~15??)】

葛西晴信家臣。1591年、「佐沼城の戦い」で葛西晴信に従い佐沼城に籠城したが蒲生氏郷勢の攻撃を受け壊滅した。

矢羽々正紹【やはばまさあき(15??~15??)】

斯波詮真家臣。通称又左衛門。参考文献:「近世こもんじょ館」by工藤利悦。

矢羽々正英【やはばまさひで(15??~15??)】

矢羽々正紹の男。通称内膳。参考文献:「近世こもんじょ館」by工藤利悦。

矢羽々正資【やはばまさすけ(15??~15??)】

矢羽々正英の男。通称内膳。南部利直に仕え50石を領した。参考文献:「近世こもんじょ館」by工藤利悦。

横沢重持【よこざわしげもち(15??~15??)】

葛西晴信家臣。磐井郡浜横沢館主。官途は出雲守。別名横沢徳胤。1589年、「小田原の役」後、葛西晴信が改易処分を受けると、所領を失い没落した。参考文献:『戦国大名家臣団家典(東国編)』by新人物往来社。

横沢宗重【よこさわむねしげ(15??~15??)】

横沢重持の男。

米内政成【よないまさなり(15??~15??)】

一方井安正家臣。岩手郡上米内館主。米内宗政の男。官途は丹後守。一方井安正の寄騎衆として陸奥国、陸中国を転戦して戦功を挙げた。

米内正吉【よないただよし(15??~15??)】

米内政成の男。通称右近。1573年、南部信直の意向を受け日戸内膳、福士淡路守とともに不来方城の守備した。

和井内光積【わいないたてみつせき(15??~15??)】

閉伊郡和井内館主。通称三平。田鎖十三家衆。1570年、「田鎖館の戦い」で刈屋金蔵とともに南部晴政の家臣桜庭光康、楢山義実らに内応して田鎖政光勢と戦った。1590年、「和賀、稗貫一揆」で南部直信に従い戦功を挙げ600を領した。

和井内光吉【わいないみつよし(15??~15??)】

和井内光積の男。通称覚左衛門。

和井内光安【わいないみつやす(15??~15??)】

和井内光積の次男。通称覚太夫。

和賀定義【わがさだよし(14??~1485)】

和賀郡二子城主。和賀郡惣領職。1470年、「金崎の戦い」で江刺隆見勢と戦った。「相去の戦い」で葛西政信勢と戦い討死した。

和賀定行【わがさだゆき(14??~1521)】

和賀定義の三男。官途は左近将監。1521年、「斯波郡山の戦い」で南部安信勢と戦い弟の関口定正ともに討死した。

和賀行義【わがゆきよし(15??~15??)】

和賀定行の男。通称式部大夫。別名和賀義明。

和賀義勝【わがよしかつ(1507~1575)】

和賀定正の男。官途は薩摩守。別名和賀義治。1537年、「志和の戦い」で柏山明吉勢を支援して南部晴政勢と戦った。

和賀義次【わがよしつぐ(15??~15??)】

和賀義勝の男。1569年、「二子城の戦い」で南部晴政の家臣河崎政信勢の攻撃を受けたが小野寺義道の支援を撃退した。「第一次河崎城の戦い」で小野寺義道が河崎城を攻撃して河崎政信勢を討取った。1572年、「第二次河崎城の戦い」で九戸政実勢の攻撃を受けると、江刺、柏山明吉の支援を受け南部晴政勢と戦った。1573年、「稗貫太田の戦い」で南部晴政勢と戦ったが敗退した。

和賀義忠【わがよしただ(15??~1591)】

和賀義勝の三男。官途は薩摩守。1590年、「奥州仕置」で改易処分を受け所領を失った。1591年、「葛西大崎一揆」で大崎義隆勢に属して二子城を奪還したが蒲生氏郷勢の反撃を受け落延びる途中農民に謀殺された。
 
和賀義長【わがよしなが(15??~15??)】

和賀義忠の男。

和賀義秀【わがよしひで(15??~15??)】

和賀義忠の次男。官途は主馬祐。

和賀忠親【わがただちか(1576~1601)】

和賀義忠の三男。1590年、「奥州仕置」で父和賀義忠が改易処分を受けると伊達政宗を頼った。1600年、「鳥屋ヶ崎城の戦い」で伊達政宗の支援を受け南部利直勢と戦ったが北信愛と南部利直の反撃を受けて敗退した。1601年、国分寺で伊達政宗勢に蒲田治道、筒井喜助、齋藤十蔵らとともに謀殺された。

和賀忠勝【わがただかつ(15??~1596)】

和賀義忠の四男。通称又四郎。別名和賀信親。1592年、「文禄の役」で羽柴秀吉に従い参陣して戦功を挙げた。

和賀長勝【わがながかつ(15??~15??)】

和賀義忠の五男。

和賀義弘【わがよしひろ(15??~15??)】

和賀忠親の男。

和賀忠広【わがただひろ(15??~15??)】

和賀忠義の次男。

涌津四郎兵衛【わくつしろべえ(15??~15??)】

葛西晴信家臣。西磐井郡涌津館主。参考文献:『戦国大名家臣団家典(東国編)』by新人物往来社。

和賀頼斎【わがよりさい(15??~15??)】

和賀義勝家臣。官途は治部太夫。参考文献:「近世こもんじょ館」by工藤利悦。

和賀忠実【わがたださね(15??~15??)】

和賀義勝家臣。官途は主水正。参考文献:「近世こもんじょ館」by工藤利悦。

和賀春安【わがはるやす(15??~15??)】

和賀義勝家臣。官途は長門守。参考文献:「近世こもんじょ館」by工藤利悦。

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【資料Ⅰ】

陸中国(10郡/322,000石)

九戸郡:城(12,000石) 
岩手郡:不来方(盛岡)城(24,000石)
斯波郡:(26,000石)
稗貫郡:鳥谷ヶ崎城(24,000石) 
上閉伊郡:横田城(10,000石)
下閉伊郡:田鎖城(10,000石)
和賀郡:二子城、黒岩城(30,000石)
江刺郡:(38,000石)
胆沢郡:大林城、(62,000石)
磐井郡:(84,000石)

鹿角郡:(18,000石)。鹿角郡の武将は陸奥国に記載。

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【資料Ⅱ】

斯波家四老職【しばけよんかろうしょく】

梁田詮泰、氏家義方、具志田主馬允、細川長門守。

田鎖十三家【たくさりじゅうさんけ】

田鎖政光、刈屋金蔵、和井内光積、茂市、長沢綱則、花輪朝重、高浜光継、箱石義如、 根市、中村信則、赤前忠光、重茂義武、大沢秀久、蟇目正忠、田代光恒、山崎義番、荒川正則、近内、小山田吉範、江刈内久賀、片岸安俊、大川清茂らの諸家。

和賀家四天王【わがけしてんのう】

安俵忠秀、小鳥崎修理、江釣子吉資、八重樫播磨守。

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【資料Ⅲ】

陸中国【りくちゅうのくに】

調査中。

国見峠【くにみとうげ】

国見峠は、出羽国と陸中国との国境であり、この峠道は遠く古代から開かれていたが、険しい山並みと冬季の厳しい気候が人々の交流を妨げる難所だった。

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戦国人名辞典は、1467年、「応仁の乱」から1637年、「島原の乱」までの期間に活躍した武将をサイト管理人(takatoshi24)の独断と偏見に基づいて編集した国別の戦国武将名辞典です。基本的に五十音順に並んでいますが、親子は年代順、本家と分家がある場合、分家をしたにして居住地域をを苗字の頭に入れています。資料Ⅰは国、郡別の石高、城郭、寺院、街、湊などを記載。資料Ⅱは国で有名な集団(三好三人衆など)についての説明をしています。資料Ⅲは国の詳細(各国の特性、景勝の地、特産品など)を説明しています。また、武将の名前が変わる場合(松平元康→徳川家康)など、松平元康で統一しています。

印は出展図書からを示しています。歴史小説も含まれるため100%史実上の人物とは限りません。小説からの出展は注釈を入れます。

あくまで個人的な趣味のサイトなので、誤字脱字、多少のミス等は許してください。

名が不明場合は書籍等で採用されている便宜上の名を使用します。

武田信玄は武田晴信、上杉謙信は長尾景虎、徳川家康は松平元康、木下藤吉郎は羽柴秀吉、豊臣秀頼は羽柴秀頼に名前を統一しました。

城と館の違いは、城は10,000石以上の領主の居城。館、砦は9,999石以下の領主の居城としました。館と砦の違いは平地にある場合は館、山岳地帯、諸島にある場合は砦としてました。

参考文献:『津軽秋田安東一族』by新人物往来社、『東北大名の研究(戦国大名論集2)』by吉川弘文館、『会津芦名一族』by歴史春秋社、『最上義光(戦国の驍将)』by新人物往来社、『奥州葛西記(乱世を風のように駆けた男たち』by宝文堂、『会津芦名四代』by歴史春秋、『伊達政宗(全8巻)』by講談社、『天を衝く(全3巻)』by講談社文庫、『独眼竜伊達政宗』by時代小説文庫、『戦国人名事典』by吉川弘文館。『津軽風雲録』by時代小説文庫、『政宗に睨まれた二人の老将』by宝文堂、『秋田『安東氏』研究ノート」by無明舎、『(史伝)伊達政宗』by学研M文庫、『独眼竜政宗』by講談社文庫、『奥羽永慶軍記(全2巻)』by新人物往来社、『津軽南部の抗争(南部信直)』by無明舎出版、『秋田の中世浅利氏』by無明舎出版、『独眼龍政宗』by文藝春秋、『みやぎの戦国時代』by宝文堂、『陸奥南部一族』by新人物往来社、『戦国大名家臣団辞典(東国編)』by新人物往来社、『戦国大名系譜人名辞典(東国編)』by新人物往来社、『信長の野望【革新】マニアックス』by株式会社コーエー、『戦国国取りガイド』by新紀元社、『戦国人名辞典』by新人物往来社、『戦国人名事典コンパクト版』by新人物往来社、『戦国大名家臣団総覧(歴史と旅臨時増刊』by秋田書店、『クロニック戦国全史』by講談社、『天下統一Ⅲ(完全攻略ガイド)』by角川書店、『戦国時代人物総覧(別冊歴史読本)』by新人物往来社、『歴史読本(戦国大名家370出自総覧)』by新人物往来社、『戦国大名マニュアル』by新紀元社、『戦国大名家総覧(歴史と旅臨時増刊)』by秋田書店、『戦国武将ガイド』by新紀元社、『戦国大名家辞典』by東京堂出版。フリー百科事典「ウィキペディア(Wikipedia)」。

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