2012年3月1日木曜日

戦国淡路国人名辞典

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【あ】

安宅秀興【あたぎひでおき(15??~15??)】

津名郡洲本城。安宅直俊の男。通称大炊。淡路国十人衆のひとり。淡路国の安宅家は阿波守護細川家に従属していた。三好家が細川家を討ち畿内に進出すると、安宅治興は三好家を援けて淡路の支配権を確立した。

安宅冬康【あたぎふゆやす(1528~1568)】

三好元長の男。安宅秀興の養子。官途は摂津守。細川家などによって畿内を追われ淡路国にいた兄三好長慶を支援した。三好長慶は弟三好冬康を安宅治興の養子にして安宅家の家督を相続させた。三好長慶が摂津、河内、和泉国の兵を、次兄三好義賢が阿波衆を、三男安宅冬康が淡路衆を、四男十河一存が讃岐衆を率いるという体制で、各地を転戦した。1562年、大阪湾の制圧や畠山高政との戦い「久米田の戦い」に参陣した。畠山高政との戦いでは敗れて次兄三好義賢が討死した。安宅冬康は、阿波国に撤退して再起を図り、再び畠山高政との「教興寺の戦い」での勝利に貢献した。1561年、弟十河一存。1562年、兄の三好義賢。1563年、三好長慶の嫡男三好義興が死去すると、三好一族の生き残りとして長兄三好長慶を補佐した。1564年、兄三好長慶に飯盛山城に呼び出されて自刃させられた。和歌を嗜み、書を能した教養人でもあった。

安宅信康【あたぎのぶやす(1549~1578)】

安宅冬康の男。1564年、父安宅冬康が三好長慶に殺されたため、家督を継いで淡路海賊衆の総指揮官となった。織田信長上洛後「織田信長包囲網」が敷かれると石山本願寺と結んで織田信長と敵対した。1572年、足利義昭および織田信長に降伏して麾下に属した。足利義昭と織田信長の手切れ後は織田家海賊衆に属した。石山本願寺を支援する毛利輝元の誘いを拒否した。1577年「木津川口の戦い」では毛利家海賊衆と戦った。

安宅清康【あたぎきよやす(15??~1581)】

安宅冬康の次男。官途は河内守。1578年、兄安宅信康が病没したために安宅家の家督を相続した。安宅信康は織田信長に従属していたが、安宅清康は、毛利輝元に内応し、織田家に敵対する動きを見せた。1581年、織田信長の命によって羽柴秀吉、池田元助らの軍勢に攻撃を受けた。羽柴秀吉勢の黒田孝高は志知城を攻め 阿波三好方の野口長宗を降すと、由良城安宅清康落城 仁井城川上将監、柳沢柳沢直盛と次々降した。この後、池田元助に同道して安土へ行き、織田信長に所領を安堵された。程なくして所領を没収されて紀伊国に追放され、病死したため淡路安宅家は滅亡した。

安宅重俊【あたぎしげとし(15??~15??)】

安宅清康の男。

湊里安宅吉安【あたぎよしやす(15??~15??)】

安宅秀興の男。官途は駿河守。

湊里安宅秀益【あたぎひでます(15??~15??)】

安宅秀興の次男。通称次郎三郎。1528年、安宅秀益は三好元長に対して謀叛を起こしたが、く蟇浦常利、島田時儀らに攻められ鎮圧された。1581年、羽柴秀吉の「淡路国討伐」の際、由良城を攻められ、安宅清康は開城した。この時、炬口城も落城した。

安宅冬俊【あたぎふゆとし(15??~15??)】

猪鼻城主。官途は志摩守。1558年、猪鼻城の落城後、家老の大河内左衛門道春は出家した。

安宅冬秀【あたぎふゆひで(15??~15??)】

白巣城主。通称九郎左衛門。1581年、安宅冬秀が守る白巣城は、織田信長の命により侵攻した羽柴秀吉らの軍勢により攻められた。淡路国の各城主は皆降参したが、安宅冬秀公只一人が従なかった。「白巣城の戦い」では羽柴秀吉勢が攻め登らぬよう城の登り坂に、竹の皮を敷きつめ勇敢に戦ったが、羽柴秀吉勢は城に火を放ち、安宅冬秀は自刃した。

安宅家臣団【あたけけかしんだん】

調査中。

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【か】

賀集安親【かしゅうやすちか(15??~1558)】

鍛冶屋城主。官途は美濃守。淡路国十人衆のひとり。

賀集盛政【かしゅうもりまさ(15??~15??)】

賀集安親の男。

梶原景節【かじわらかげせつ(15??~15??)】

沼島城主。1533年、沼島八幡神社と西光寺を再興した。

梶原秀景【かじわらひでかげ(15??~15??)】

梶原景節の男。官途は越前守。淡路国十人衆のひとり。阿波三好勢に敗れ沼島浦岩礁で自刃した。  

片山頼忠【かたやまよりただ(15??~1575)】

広石城主。官途は駿河守。1575年、広石城は落城した。

加藤主殿助【かとうしゅでんのすけ(15??~15??)】

山添城主。淡路国十人衆のひとり。

河合藤内【かわいとうない(15??~15??)】

河合城主。畔田家臣。1532年、三好元長に従い、畔田重照とともに討死した。

菅達長【かんみちなが(15??~1615)】

三原郡志知城主。通称平右衛門。淡路国十人衆のひとり。菅達長は淡路島で海賊衆を率いて活躍した。1576年、足利義昭を擁する毛利輝元の軍勢が、淡路島の岩屋城を攻撃した。守備についていたのは織田信長麾下の安宅信康だったが、敗れ城は毛利家方の手に落ちた。1581年、織田方の「淡路国討伐」で、淡路国に羽柴秀吉と池田元助が攻め入ってきた。岩屋城は落城、淡路島は掃討され、国衆はほとんど滅ぼされた。1582年「本能寺の変」で織田信長が横死ぬと、菅達長は手勢を率い仙石秀久が在城していた洲本城を奪取したがが、すぐに洲本城の広田蔵之丞らに奪還された。菅達長は四国へ渡り香宗我部親泰の寄騎衆となった。1584年「小牧、長久手の戦い」では雑賀衆と結び、岸和田へ攻め入ったが敗退した。1585年、羽柴秀吉の「四国討伐」により、菅達長は長宗我部元親とともに降伏した。羽柴秀吉の麾下に属して「九州征伐」「小田原の役」「朝鮮の役」などに淡路国海賊衆を率いて参陣した。「朝鮮の役」では舟奉行として250人を率いて輸送船団の護衛衆を務めた。1600年「関ヶ原の役」では九鬼嘉隆ととも西軍に属して戦ったため、役後に所領を没収された。この後、藤堂高虎に5,000石の侍大将として仕えたが藤堂高虎と口論になり自刃した。著書に「菅流水軍要略」がある。

郷従朝【ごうつぐより(15??~15??)】 

阿万城主。官途は丹後守。1580年、郷従朝は阿波細川方の沼島城主梶原景へ攻撃を仕掛けるが、逆に阿万城を夜襲された。郷従朝と一族の大半がすでに討死したという知らせを受け、嫡男郷備前守は福良に逃れるが発見され自刃した。

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【さ】

島田時儀【しまだときよし(15??~15??)】

栗原城主。官途は遠江守。淡路国十人衆のひとり。1528年、安宅秀益は三好元長に対して謀叛を起こしたが、島田時儀と蟇浦常利によって鎮圧された。

島田兵庫介【しまだひょうごのすけ(15??~15??)】

島田時儀の男。1581年、島田兵庫介は「淡路国討伐」で織田信長に降伏した。

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【た】

田村経春【たむらつねはる(15??~15??)】

津名郡郡家城主。淡路国十人衆のひとり。三好臣篠原家の枝連衆。 篠原長房との「上桜城の戦い」で淡路勢として参陣した。その後、武田勝頼との戦いに際し、織田信長は、作戦の上手い田村経春に先陣を任せようと考え使いを出したが田村経春は固辞したやめ織田信長は、田村経春に切腹を命じた。田村経春は妙京寺の庭で自刃した。

田村村春【たむらむらはる(15??~15??)】

田村経春の男。1585年、羽柴秀吉の「淡路国討伐」の際、羽柴秀吉に従わず落城して 田村家は滅亡した。

田村康広【たむらやすひろ(15??~15??)】

田村経春の次男。

淡路武田久忠【たけだひさただ(15??~15??)】

阿那賀城主。官途は山城守。淡路国十人衆のひとり。1534年、武田久忠は伊加利金山城主橋本永貞入道興斎を討取った。158)年、羽柴秀吉の「淡路討伐」の際、討死した。

都志九郎兵衛【つしくろうべい(15??~1532)】

都志城主。都志対馬守の男。1532年、都志九郎兵衛は討死、都志家は没落した。

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【な】

野口則守【のぐちのりもり(15??~15??)】

志知城主。官途は肥前守。淡路国十人衆のひとり。三好家に従って阿波国へ向かい、阿波細川家勢と戦った。

野口弘宗【のぐちひろむね(15??~15??)】

野口則守の男。官途は若狭守。通称万五郎。別名菅若狭守弘宗。

野口長宗【のぐちながむね(15??~15??)】

野口弘宗の男。通称孫五郎。別名菅長宗。1581年、長曾我部元親が阿波国へ侵攻すると、野口長宗は田村康広と共に十河存保方に加担して長曾我部勢と戦った。羽柴秀吉の攻撃を受けて志知城は開城した。野口長宗は阿波国へと転封にされた。

野崎内蔵介【のざきくらのすけ(15??~15??)】

岩屋城の城主。淡路島一帯の海賊衆。長宗我部元親麾下に属してり羽柴秀吉と対立した。長宗我部元親が羽柴秀吉に敗北した後に菅達長の家老職となった。「九州征伐」「小田原の役」「朝鮮の役」に参陣した。1600年「関ヶ原の役」では菅家が西軍についたのに対し東軍に参陣した。役後、藤堂高虎の船手頭として5,000石を領した。

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【は】

畔田重道【はんだしげみち(15??~15??)】

畔田城主。通称五郎。

畔田重照【はんだしげてる(15??~15??)】

畔田重道の男。官途は若狭守。別名塩田左馬介。1532年、畔田重照は三好元長に従い畿内を転戦した。三好元長が堺で討死した際、畔田重照も討死した。

畔田胤光【はんだたねみつ(15??~15??)】

畔田重照の男。官途は若狭守。別名塩田若狭守。1570年、三好家、石山本願寺に味方し、塩田若狭守は摂津福島城、野田城に入って織田信長と戦った。1585年、淡路国が仙石秀久の支配下となると、畔田胤光は仙石秀久に従った。

蟇浦常利【ひきのうらつねとし(15??~15??)】

蟇浦城主。三好元長家臣。通称藤次。淡路国十人衆のひとり。別名蟇浦経利。1528年、三好元長が京畿から四国へ帰還した際、炬口城主安宅秀益が離反したので、蟇浦経利は栗原城主島田時儀と共に三好元長の麾下の武将として安宅秀益を攻め、安宅秀益を討取った。

広田藤吾【ひろたとうご(15??~15??)】

広田城主。羽柴秀吉の「淡路攻め」の際は、仙石秀久の家臣団に加わり「洲本城の戦い」で戦功を挙げた。その後、脇坂安治、蜂須賀家など淡路国を治めた領主に仕えた。

福良長政【ふくよしながまさ(1487~1544)】 

鶴島城主。官途は出羽守。室は細川時隆の妹。1544年、福良長政は三好勢に鶴島城を攻められ討死した。

福良連経【ふくよしみちつね(15??~15??)】

福良長政の男。官途は出羽守。1544年、父福良長政の討死により福良家の家督を相続し棚野五ヶ村を支配した。1558年 山上渭山城を森高次、寺島城を福良出羽守吉武城代に任じた。1582年、阿波細川真之は、福良連経を頼り落延びが福良連経は細川真之を茅ヶ岡城に迎え共に三好家に備えるが、三好家臣江村次郎大夫 本木新左衛門 露口兵庫 江邑兵衛進らに茅ヶ岡城を攻められ細川真之は自刃した。

福良寛治【ふくよしひろはる(15??~1571)】

岡之城主。官途は式部。

船越景綸【ふなこしかげと(15??~15??)】

三原郡庄田城主。淡路細川家臣。淡路国十人衆のひとり。船越家は鎌倉時代より戦国時代まで三原郡倭文の庄田を中心に支配し、室町時代には阿波細川家の被官となって活動した。

船越景直【ふなこしけげなお(1540~1611)】

船越景綸の男。官途は左衛門尉。通称は五郎右衛門。船越景直は安宅冬康の海賊衆の麾下に属して戦った。三好家が滅ぶと織田信長の麾下に属した。1573年、毛利家より調略をうけるが、船越景直はこれを拒否した。1581年、羽柴秀吉の「淡路討伐」では本領安堵を受けた。1582年「本能寺の変」後も、羽柴秀吉に従って「賤ヶ岳の戦い」や「小牧、長久手の戦い」に参陣した。後に淡路国から播磨国明石郡へと転封され4,000石を領した。「小田原の役」や「文禄の役」にも参陣した。1595年「羽柴秀次事件」では、羽柴秀吉から勘気を蒙り、陸奥の南部信直に預けられた。羽柴秀吉の没後、松平元康から摂津国に所領をあてがわれて復し「関ヶ原の役」では東軍に加わった。その戦功から大和国宇智郡1,500石を加増された。船越景直の嫡男船越伊予守永景は茶人船越宗舟となった。

淡路細川尚春【ほそかわひさはる(14??~1519)】

津名郡養宜館主。細川成春の男。淡路守護職。1485年、父の死去により家督を継いで淡路守護となる。幕府管領の細川政元は幕政を主導し京兆家の全盛期を築くが、三人の養子を迎えたことで後に家督争いを引き起こすことになった。1505年、淡路細川尚春は政元の命に従い讃岐に侵攻して細川成之や三好之長らと戦うが敗れた。1507年「永正の錯乱」では、細川政元が養子の細川澄之を推す香西元長、薬師寺長忠らによって謀殺されると、他の細川政元の養子である細川高国や細川澄元らに味方して、細川澄之を敗死に追い込んだ。その後、京兆家の実権を握った高国とは対立する。1511年、三好之長が高国に対して和泉で挙兵「深井城の戦い」すると、それに呼応して淡路で挙兵し、摂津国に侵攻「芦屋河原の戦い」したが敗れて淡路に撤退する。情勢不利となった細川尚春は細川高国に降伏した。1517年、三好之長の淡路侵攻の際には敗れて和泉国堺に落延びた。1519年、淡路細川尚春は阿波国において三好之長によって謀殺された。

淡路細川勝忠【ほそかわかつただ(15??~1521)】

淡路細川尚春の男。1520年、三好之長は細川高国との合戦で敗れ、細川尚春の子細川勝忠が、細川高国に従い京都通玄寺曇華院で三好之長を討つ。1521年、阿波讃岐守護代の三好勢は「淡路細川家討伐」のため淡路国に攻め入る淡路細川勢、福良に集結待機したが三好勢は夜間阿那賀に渡り山越えで進攻した、養宜舘を攻め落した。細川勝忠は室とともに自刃した。

淡路細川忠若丸【ほそかわただわかまる(15??~1521)】

細川勝忠の男。細川忠若丸は養宜舘から落延びたが三好勢に追われ「鮎屋五之瀬の戦い」で討死した。

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【ま】

三木善兵衛【みきぜんべい(15??~15??)】

中島館主。詳細不明。

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【や】

柳沢直孝【やなぎさわなおたか(15??~15??)】

柳沢城主。通称隼人佐。淡路国十人衆のひとり。1532年、に柳沢直孝が柳沢と草香を領して三好長慶に麾下に属した。

柳沢直勝【やなぎさわなおかつ(15??~15??)】

柳沢直孝の男。

柳沢直盛【やなぎさわなおもり(15??~15??)】

柳沢直勝の男。官途は越前守。1581年、柳沢直盛のとき織田信長の命により淡路国に侵攻した羽柴秀吉らの軍勢に降伏した。

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【資料Ⅰ】

淡路国(2郡/62,000石)

津名郡:洲本城、岩屋城、由良城。

三原郡:志智城。

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【資料Ⅱ】

安宅八家衆【あたけはっけしゅう】

炬口城主:安宅秀興、湊里城主:安宅秀益、洲本城主:安宅冬康、白巣城主:安宅冬秀、猪鼻城主:安宅冬俊、由良城主:安宅清康、安乎城主:安宅隼人、岩屋城主:安宅宗景。

淡路国十人衆【あわじこくじゅうにんしゅう】

庄田城主:船越景直、湊里城主:安宅秀益、志知城主:野口則守、郡家城主:田村経春、蟇浦城主:蟇浦常利、柳沢城主:柳沢直孝、猪熊城主:菅達長、栗原城主:島田時儀、山添城主:加藤主殿、沼島城主:梶原秀景、鍛冶屋城主:賀集盛政、阿那賀城主:武田久忠。

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【資料Ⅲ】

淡路国【あわじのくに】

瀬戸内海東部に浮かぶ、南海道の国。北は明石海峡、東は紀淡海峡、西南は鳴門海峡によって本州と四国から隔てれているが、畿内、紀伊半島、中国、四国とは狭い海峡によって結ばれている。陸路より遥かに早くまた大量の物資を輸送できる海上交通の要所である。古代は天皇家に食料を献上する御食都(みつけ)国であったため、島国ではあるが、早くから開墾され、中世には多くの荘園が作られた。この海域を通る、商船を狙う、海賊衆や、それを警護する警固衆などの水軍も発達し、戦国期には安宅家海賊衆や淡路国十人衆などの淡路国海賊衆が大きな勢力を持つようになった。

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戦国人名辞典は1530~1600年期間の国別戦国武将名辞典です。基本的に五十音順に並んでいます。本家と分家がある場合、混乱を避けるために、分家には頭に城の名前を入れています。

※印は出展図書からを示しています。歴史小説も含まれるため100%史実上の人物とは限りません。小説からの出展は注釈を入れます。

※あくまで個人的な趣味のサイトなので、誤字脱字、多少のミス等は許してください。

※参考文献:「戦国大名家臣団辞典(西国編)」新人物往来社、「戦国大名系譜人名辞典(西国編)」新人物往来社、「信長の野望【革新】マニアックス」株式会社コーエー、「戦国国取りガイド」新紀元社、「戦国人名辞典」新人物往来社、「戦国大名家臣団総覧(歴史と旅臨時増刊)」秋田書店、「クロニック戦国全史」講談社、「天下統一Ⅲ(完全攻略ガイド)」角川書店、「戦国時代人物総覧(別冊歴史読本)」新人物往来社、「歴史読本(戦国大名家370出自総覧)」新人物往来社、「戦国大名マニュアル」新紀元社、「戦国大名家総覧(歴史と旅臨時増刊)」秋田書店、「戦国武将ガイド」新紀元社、「戦国関東名将列伝」隋想社、「(歴史と旅臨時増刊)戦国大名家臣団総覧」秋田書院。フリー百科事典「ウィキペディア(Wikipedia)」。

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