2012年3月14日水曜日

戦国佐渡国人名辞典

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【あ】

藍原秀氏【あいはらひでうじ(15??~1589)】

河原田高統家臣。賀茂郡吉井館主。官途は大和守。別名藍原泰理。吉井本郷、青木、舟津、三瀬川、下横山、安養寺、横谷、上横山、潟端、立野、籠米、青龍寺、中島、畑屋、馬場、水渡田などで1,250石を領した。1589年、「河原田城の戦い」で本間高統を支援するため、本間信濃守、渋谷真住らとともに支援したが、樋口兼続勢の奇襲を受け討死した。参考文献:『戦国人名事典』by新人物往来社。

藍原宮内【あいはらくない(15??~15??)】

藍原秀氏家臣。水渡田館主。

赤塚直宗【あかつかなおむね(1512~1602)】

河原田高統家臣。出雲大社の神官から婿に入った。

秋田権右衛門【あきたごんうえもん(1599~1665)】

五十里山の山師。別名秋元権右衛門。羽後久保田城主佐竹義宣のもとで山師を務めた。1624年、佐渡国に渡り古口権兵衛に仕え、その病没後、その名跡を相続した。1644年、多聞寺を西野村に移し、吉祥寺と改称した。河内山屏風沢にあった小社を、金北山神社として吉祥寺境内に移祀した。1652年、仕出喜間歩で豊鉱脈を掘り当てた。

足立義任【あだちよしこれ(15??~15??)】

吉岡秀躰家臣。羽茂郡渋手城主。官途は兵庫。別名阿部兵庫。渋手城(渋手、滝脇、背合)200石余りを領した。1589年、「渋手城の戦い」で直江兼続勢の攻撃を受け落城した。

池田蔵人【いけだくらうど(15??~15??)】

石花将監家臣。雑太郡千本城主。

石花将監【いしはらごろうざえもん(15??~15??)】

雑太郡北片辺城主。通称五郎左衛門。別名本間五郎左衛門。藍原秀氏の家老職を務め北片辺城(小川、達者、北狄、戸地、戸中、片辺、後尾、石花、河内、立島、入川、千本、高下、田野浦、小野見、石名、小田、大倉、矢柄、五十里、岩谷口)を領した。1589年、「河原田城の戦い」では、河原田高統を支援したが到着前に落城した。後に出家した。

和泉豊季【いずみとよすえ(15??~15??)】

雑太郡和泉館主。通称左京亮。別名本間豊季。和泉館(和泉、下矢馳、上矢馳、牛込、長木)510石を領した。

磯田徳兵衛【いそだとくべい(15??~15??)】

河原田高統家臣。1589年、「河原田城の戦い」で河原田高統が討死すると、河原田高応を守って会津の芦名盛重のもとに落延びた。

井田尋直【いだひろなお(15??~15??)】

羽茂高貞家臣。通称治部左衛門。羽茂高貞の家老職を務めた。参考文献:「くらのすけ屋敷」byくらのすけ。

永野監物【えいのけんもつ(15??~15??)】

河原田高統家臣。賀茂郡永野城主。別名本間監物。

海老名弾正忠【えびなだんじょうちゅう(15??~15??)】

羽茂高貞家臣。西方城主。1589年、樋口兼続勢の攻撃を受けると、鉄炮衆20余りを含む50余りで、樋口兼続勢を待ち伏せた。樋口兼続勢14名を討ち取るも、羽茂高貞勢側も20名余りが討たれ、海老名弾正忠も負傷したため撤退した。

榎掃部介【えのきかもんのすえけ(15??~15??)】

河原田高統家臣。平清水城主。

榎坂将監【えのいたしょうげん(15??~15??)】

石花将監家臣。雑太郡北田野浦城主。

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【か】

笠井藤右衛門【かさいとうざえもん(15??~15??)】

羽茂高貞家臣。1589年、「河原田城の戦い」では、河原田高統を支援するが、樋口兼続勢の反撃を受け討死した。

潟上秀岑【かたがみひでれい(15??~1546)】

加茂郡潟上城主。官途は対馬守。別名本間高康。潟上、正明寺、田野沢、長畝、野浦、月布施、住吉、谷塚で800石余りを領した。1537年、「久知城の戦い」で本間有泰、河原田貞兼の支援を受け久知正泰を久知城から追い落とした。

潟上秀敏【かたかみひでとし(15??~1572)】

潟上秀岑の男。1552年、「久知城の戦い」で久知正泰勢の攻撃を受け久知城を奪われた。 
  
潟上秀高【かたがみひでたか(15??~1593)】

潟上秀敏の男。通称帰本斎。別名本間秀興。1578年、「御館の乱」では、長尾景勝と結んだ。1589年、「羽茂城の戦い」では、沢根高秀とともに長尾景勝勢の属して、その先導役を務めた。戦後、所領を越後国に転封された。

潟上秀光【かたがみひでみつ(15??~1618)】

潟上秀高の男。通称弥太郎。別名本間秀光。

河原田貞兼【かわはらださだかね(15??~15??)】

雑太郡河原田城主。官途は佐渡守。通称左馬允。別名本間貞兼。羽茂城主羽茂高季と対立、佐渡国を二分して佐渡南部(中原、石田、片貝、二宮、一谷、青野、窪田、山田、真光寺、沢崎、神田、永野)を支配下に置き1,600石を領した。長尾景虎が越後国を平定すると、佐渡国内の豪族衆と結び、長尾景虎と和議と対立を繰り返し独立を維持した。

河原田高統【かわはらだたかつぐ(1551~1589)】

河原田貞兼の男。官途は佐渡守。別名本間高統。1584年、「河原田城の戦い」で長尾景勝の家臣藤田信吉勢を撃退した。羽茂高季と争うが、長尾景勝の家臣後藤勝元の仲介で一旦は和議を結ぶが再び争った。1589年、「河原田城の戦い」では、樋口兼続、沢根高秀、潟上秀高勢らの攻撃を受け落城して自刃した。

河原田統之【かわはらだむねゆき(15??~1589)】

河原田高統の男。1589年、「河原田城の戦い」では、長尾景勝勢の攻撃を受け父河原田高統とともに抵抗するも城は落城し、河原田高統とともに自刃した。

河原田高応【かわはらだたかおう(15??~15??)】

河原田高統の次男。1589年、「河原田城の戦い」で父河原田高統と兄河原田統之が討死すると、家臣の磯田徳兵衛とともに会津の芦名盛重のもとに落延びた。

神田照山【かんだてるざん(15??~15??)】

河原田高統家臣。神田城主。官途は越中守。

北方満繁【きたかたみつしげ(15??~15??)】

加茂郡北方館主。通称十郎。別名本間満繁。北方館(北方、福島、岩首)を領した。1589年、「河原田城の戦い」後、北方城は廃城となり、越後国に転封になった。

久知正泰【くじじょうまさやす(15??~15??)】

加茂郡久知城主。官途は加賀守。別名本間正泰。高島、椎泊、両尾、城腰、下久知、久知河内、蚫、川崎、羽二生、大川、水津、片野尾、立間、強清水、多田、河内、丸山、松ヶ崎、赤玉を領した。1537年、「久知城の戦い」では、本間有泰、河原田貞兼らの支援を受けた潟上秀岑勢の攻撃を受け片野尾まで落延びた。1552年、「久知城の戦い」で潟上秀敏から久知城を奪回した。 

久知泰時【くじじょうやすとき(15??~1632)】

久知正泰の男。別名本間泰時。1589年、「河原田城の戦い」後、久知城は廃城となり、越後国に転封になった。

久知季泰【くじじょう(15??~15??)】

久知泰時の男。別名本間季泰。

熊谷将監【くまがいしょうげん(15??~15??)】

本間泰高家臣。畑野城主。

計良弾正忠【けいらだんじょうちゅう(15??~15??)】

本間泰高家臣。金丸城主。

五十里新左衛門【ごじゅうりしんざえもん(15??~15??)】

吉住秀躰家臣。北五十里城主。別名本間新左衛門。

小泊元道【ことばもとみち(15??~15??)】

羽茂高茂家臣。通称新七。参考文献:「くらのすけ屋敷」byくらのすけ。

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【さ】

沢根賢密【さわねはるみつ(15??~15??)】

雑太郡沢根城主。河原田宣家の次男。官途は摂津守。別名本間賢密。二見半島を領地として鶴子銀山、積出湊を領有して豊かな経済力を有して沢根城(二見、米郷、稲鯨、橘、高瀬、大浦、鹿伏、五十里、同本郷、田中、西五十里、東五十里)1,850石を領した。

沢根永州【さわねえいしゅう(15??~15??)】

沢根賢密の男。官途は摂津守。別名本間左馬助。1589年、「羽茂城の戦い」では、長尾景勝勢して羽茂高統勢と戦った。羽茂高統と羽茂高頼は捕縛され斬頸に処された。長尾景勝勢に属した本間左馬助、潟上城主潟上秀高、雑太城主本間憲泰、久和城主久和泰時らととも所領を没収され、越後国に転封させられた。

羽黒渋谷真経【しぶやまさつね(15??~15??)】

加茂郡羽黒城主。通称三郎左衛門。羽黒、五十里、鷲崎、願、鵜島、真更川、椿、小松、目黒、玉川を領して渋谷四家の中では最大勢力を誇った。
 
羽黒渋谷真住【しぶやまさずみ(15??~1589)】

渋谷真経の男。通称三郎左衛門。1589年、「箕山城の戦い」で長尾景勝勢の攻撃を受け自刃した。

加茂渋谷真清【しぶやさねきよ(15??~1589)】

加茂郡加茂城主。通称十郎左衛門。夷、湊、加茂を領した。1589年、「加茂城の戦い」で長尾景勝勢の攻撃を受け滅亡した。

歌代渋谷真正【しぶやさねまさ(15??~1589)】

加茂郡歌代城主。通称四郎左衛門。歌代を領した。1589年、「歌代城の戦い」で長尾景勝勢と戦い滅亡した。

梅津渋谷真茂【しぶやまさもり(15??~1561)】

加茂郡梅津城主。通称半右衛門。梅津、玉川、和木、小松、歌見、平松を領した。1561年、「梅津城の戦い」で久知泰時勢の攻撃を受け自刃した。

白井義延【しらいよしのぶ(15??~15??)】

羽茂高信家臣。通称勘兵衛。羽茂高信の家老職を務めた。参考文献:「くらのすけ屋敷」byくらのすけ。

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【た】

蓼沼右京亮【たでぬまうきょうのすけ(15??~1573)】

長尾景虎家臣。佐渡国の代官職と務めた。1573年、「佐渡一向一揆」では、北陸の一向一揆に呼応して、銀山や砂金山で働く浄土真宗の門徒衆が中心となり一揆を起こした。長尾景虎に一揆発生を知らせると、少ない手勢で一揆衆と戦い討死した。長尾景虎は家臣の甘糟景継を派遣して一揆勢を鎮圧した。

田中勘七【たなかかんしち(15??~15??)】

羽茂高茂家臣。参考文献:「くらのすけ屋敷」byくらのすけ。

谷塚高納【たにづかたかなお(15??~15??)】

加茂郡谷塚城主。通称十郎。別名本間高納。

多田但馬守【ただたじまかみ(15??~15??)】

羽茂高信家臣。多田城主。別名本間但馬守。

土屋照邦【つちやてるくに(15??~15??)】

加茂郡二方潟館主。官途は下総守。210石を領した。

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【な】

名古屋重令【なごやしげれい(15??~15??)】

藍原秀氏家臣。加茂郡長江館主。通称佐太郎。長江館(瓜生屋、長江、釜屋)を領した。1589年、「河原田城の戦い」で藍原秀氏とともに長尾景勝勢と戦ったが、直江兼続勢の攻撃を受け敗走した。

南条隆景【なんじょうたかかげ(15??~15??)】

羽茂高茂家臣。通称民部。参考文献:「くらのすけ屋敷」byくらのすけ。

新穂和泉守【にいぼいずみのかみ(15??~15??)】

加茂郡新穂館主。別名本間和泉守。新穂館(新穂、井内、善光寺、尾戸、北浦)を領した。

野沢藤右衛門【のざわとうざえもん(15??~15??)】

羽茂高信家臣。大崎館主。

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【は】

馬場政家【ばばまさいえ(15??~15??)】

本間有泰家臣。馬場館主。官途は越中守。別名本間政家。

羽生帯刀【はにゅうたてわき(15??~15??)】

羽茂高茂家臣。羽生館主。参考文献:「くらのすけ屋敷」byくらのすけ。

羽茂高季【はもちたかすえ(15??~15??)】

羽茂郡羽茂城主。官途は対馬守。別名本間高季。羽茂城(小木、強清水、深浦、大泊、西方、清士岡、村山、大石、野崎、赤岩、大杉、杉ノ浦、新保、柳沢、真浦、木浦、大崎、飯岡、瀧平、宿根木、草刈、上山田、羽茂本郷)1,920石を領した。1524年、藍原秀氏と結び本間有泰と争った。1527年、「宮浦城の戦い」では、情趣久知本間家との間で争いが起こった。

羽茂本間家は越後長尾為景の支援を受け、河原田本間家と対立した

羽茂高信【はもちたかのぶ(14??~15??)】

羽茂高季の男。室は長尾為景の姪。1509年、「永正の乱」後、長尾為景が越後上杉顕定に敗れて佐渡国に落延びるとこれを匿った。

羽茂高貞【はもちたかさだ(15??~1589)】

羽茂高信の男。官途は対馬守。別名本間高貞。1573年、河原田高統と争った。1589年、「羽茂城の戦い」では、長尾景勝勢の攻撃を受け出羽国に落延びようとしたが、長尾景勝勢に捕縛され弟の羽茂高頼とともに謀殺された。

羽茂高頼【はもちたかより(15??~1589)】

羽茂高信の次男。羽茂郡赤泊城主。官途は三河守。別名本間高頼。赤泊城(小立、大立、赤泊、徳和、腰細、山田、筵場、小泊、上川茂、下川茂、下黒山、亀脇、椿尾、高崎、大須、西三川、田切須、倉谷、木流、大浦、江積、井坪、堂釜)700石を領した。1589年、「羽茂城の戦い」では、兄羽茂高貞とともに籠城して長尾景勝勢と戦ったが、捕縛され謀殺された。

林勝憲【はやしかつのり(15??~15??)】

羽茂高茂家臣。通称主計。参考文献:「くらのすけ屋敷」byくらのすけ。

藤井勘解由【ふじいかげゆ(15??~15??)】

羽茂高茂家臣。参考文献:「くらのすけ屋敷」byくらのすけ。

舟代源助【ふなしろげんすけ(15??~15??)】

河原田高統家臣。舟代城主。別名本間源助。

坊ヶ浦主膳【ぼうがうらしゅぜん(15??~15??)】

本間有泰家臣。坊ヶ浦城主。別名本間主膳。

本間有泰【ほんまありやす(15??~1552)】

雑太郡雑太城主。佐渡国守護職。本間家惣領職。通称孫四郎。雑太城(竹田、八幡、長江、金丸、長石、杉崎、目黒、安国寺、大久保、河内、四日、畑方、鞭ヶ廻、大川、皆川、小倉、寺田、新保、貝塚、西方、上中興、藤津、八分一、大和田、下中興、本屋敷、坊ヶ浦)4,600石余りを領した。

本間泰高【ほんまやすたか(15??~1587)】

本間有泰の男。

本間憲泰【ほんまのりやす(15??~1623)】

本間泰高の男。官途は信濃守。別名本間高滋。1589年、「河原田城の戦い」後、長尾景勝が佐渡国を平定すると、越後国に転封された。

本間大炊介【ほんまおおいのすけ(15??~1589)】

本間憲泰の男。別名雑太大炊介。1589年、「河原田城の戦い」で河原田高統を支援したが、樋口兼続勢の反撃を受け討死した。

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【ま】

味方家重【みかたいえしげ(1563~1623)】

鉱山師。官途は但馬守。通称孫太夫。別名村井貞重。もと福島正則の家臣。浪人して佐渡国に渡り、金銀山の山師として活躍した。1619年、寸方樋などの排水設備を工夫し、金産出量を飛躍的に増大させた。

宮浦宗四郎【みやうらそうしろう(15??~15??)】

両尾城主。

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【や】

柳生則連【やぎゅうのりつら(15??~15??)】

羽茂高茂家臣。通称与右衛門。羽茂家六人衆。参考文献:「くらのすけ屋敷」byくらのすけ。

矢馳季暁【やばせとしあき(15??~1589)】

河原田高統家臣。矢馳城主。1575年、日蓮宗実相寺に寺領を寄進した。1589年、「河原田城の戦い」で河原田高統の支援したが、直江兼続勢の攻撃を受け討死した。

山口光行【やまぐちみつゆき(15??~15??)】

羽茂高茂家臣。通称式部。参考文献:「くらのすけ屋敷」byくらのすけ。

吉住維秀【よしずみこれひで(15??~15??)】

加茂郡吉住城主。潟上秀盛の次男。通称新六郎。1519年、吉住維秀が住吉城を築城(白瀬、北五十里、坊ヶ浦、馬首、松ヶ崎、小浦、見立、黒姫、舟代、虫崎)を領した。父潟上秀盛とともに、久知正泰と抗争を繰り返した。

吉住秀躰【よしずみひでもと(15??~15??)】

吉住維秀の男。通称源三郎。別名本間季躰。1573年、「吉住城の戦い」で久知泰時勢の攻撃を受け降伏した。

吉岡正方【ようしおかまさかた(15??~15??)】

羽茂高茂家臣。羽茂郡吉岡館主。官途は遠江守。別名本間正方。吉岡(外三宮、名古屋、馬場、北村、後山、宮浦)1,400石を領した。1589年、「羽茂城の戦い」では、若林帯刀、笠井藤右衛門らとともに兵150余りを率い、羽茂高茂を支援したが樋口兼続勢の攻撃を受け撃退された。

若林帯刀【わかばやしたてわき(15??~1589)】

羽茂高茂家臣。1589年、「河原田城の戦い」で河原田高統を支援したが、樋口兼続勢の反撃を受け討死した。

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【資料Ⅰ】

佐渡国(3郡/63,000石)

羽茂郡:羽茂城、度津神社。
雑太郡:雑太城。
賀茂郡:吉住城、吉井館。

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【資料Ⅱ】

本間家四天王【ほんまけしてんのう】

雑太本間有泰(本間惣領職)、河原田本間高統、久知本間正泰、羽茂本間高茂。

羽茂高茂六人衆【はもちたかしげろくにんしゅう】

白井義延、井田尋直、南条隆景、山口光行、小泊元道、柳生則連。

佐渡渋谷四家【さどしぶやよんけ】

羽黒渋谷真経、加茂渋谷真清、歌代渋谷真正、梅津渋谷真茂。

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【資料Ⅲ】

佐渡国【さどのくに】

佐渡国は古来、佐渡は伊豆や壱岐とともに遠流の島と定められ、都から政治犯が流された(順徳上皇、日蓮聖人、世阿弥など)。佐渡国を支配した佐渡本間家は、武蔵七党横山党海老名庶流であり、本間の名は相模国愛甲郡依知郷本間に由来。鎌倉時代初期、佐渡国守護となった大佛家(執権北条家の庶流)の守護代として佐渡国に入った本間能久より始まり、雑太城を本拠として勢力を伸ばした。戦国期、佐渡国には多くの本間一族が割拠して勢力を競い合っていたが、雑太の佐渡本間家、河原田本間家、久知本間家、羽茂本間家の四家で、これらは四天王として位置付けられる。その後、羽茂本間家、河原田本間家の勢力が惣領家(雑太城)をしのぐようになり、佐渡本間家は没落する。佐渡国には加茂郡、雑太郡、羽茂郡の三つの郡が存在していた。 羽茂地域は小佐渡の山中に開けた盆地で古くから開けた豊かな土地で、「羽茂太郎」と呼ばれる穀倉地帯であった。

度津神社【わたつじんじゃ】

佐渡国羽茂郡一宮。式内社佐渡一ノ宮は、五十猛命を祭神に陸上海上の守護神として信仰を集めています。『延喜式』神名帳(927年)に記載されている神社を式内社と言います。佐渡国には九社あり、その第一の宮として古来より一ノ宮と称し格式の高い神社でした。1470年、羽茂川の大洪水により社地、古文書等がことごとく流出したため、その由緒や縁起などは明らかではありません。

相川金山【あいかわきんざん】

佐渡国最大の金山。1601年、山師三人により開山された。1603年、松平元康の直轄領として佐渡奉行所が置かれ、小判の製造も行われた。

鶴子銀山【つるしぎんざん】

佐渡国最大の銀山。1542年、越後国の商人によって発見され、露頭から銀を採掘開始した。1595年、石見銀山の山師を招いて本格的な坑道を使った採掘が始まった。その後、採掘技術は山の反対側で見つかった相川金山の採掘に応用された。

佐渡海苔【さどのり】

佐渡国で採取、加工された甘海苔。佐渡国の物産として珍重された。海苔は特に精進料理の具材や茶の子などに需要が高かった。甘海苔は公家の食事の品目にもよくあがった。茶の湯や喫茶の流行とともにその需要を増した。佐渡と敦賀や小浜などの日本海沿岸諸港との間には多くの廻船が運航しており、佐渡海苔などの佐渡物産も海運を通じて運ばれた。

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戦国人名辞典は1500~1630年期間の国別戦国武将名辞典です。基本的に五十音順に並んでいます。本家と分家がある場合、混乱を避けるために、分家には頭に城の名前を入れています。

印は出展図書からを示しています。歴史小説も含まれるため100%史実上の人物とは限りません。小説からの出展は注釈を入れます。

あくまで個人的な趣味のサイトなので、誤字脱字、多少のミス等は許してください。

佐渡国はほとんど本間家になってしまうため、便宜上城砦の名を性としました。

上杉謙信は長尾景虎、上杉景勝は長尾景勝、上杉景虎は長尾三郎景虎、雑太有泰は本間有泰、雑太憲泰は本間憲泰、本間高統は河原田高統、本間高茂は羽茂高茂、本間高季は羽茂高季に統一。

参考文献:『戦国大名家臣団辞典(東国編)』by新人物往来社、参考文献:『戦国大名系譜人名辞典(東国編)』by新人物往来社、『戦国人名事典』by吉川弘文館、『信長の野望【革新】マニアックス』by株式会社コーエー、『戦国国取りガイド』by新紀元社、『戦国人名辞典』by新人物往来社、参考文献:『戦国大名家辞典』by東京堂出版、『戦国大名家臣団総覧(歴史と旅臨時増刊)』by秋田書店、『クロニック戦国全史』by講談社、『天下統一Ⅲ(完全攻略ガイド)』by角川書店、『戦国時代人物総覧(別冊歴史読本)』by新人物往来社、『歴史読本(戦国大名家370出自総覧)』by新人物往来社、『戦国大名マニュアル』by新紀元社、『戦国大名家総覧(歴史と旅臨時増刊)』by秋田書店、『戦国武将ガイド』by新紀元社。フリー百科事典「ウィキペディア(Wikipedia)」。

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