2014年10月7日火曜日

戦国隠岐国人名事典

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【あ】

青清資【あおきよすけ(15??~15??)】

隠岐宗清家臣。1499年、寺本清真とともに田地寄進状に署名した。

青清次【あおきよつぐ(15??~15??)】

隠岐豊清家臣。通称新次郎。1544年、文書に署名した。

稲葉信重【いなばのぶしげ(15??~15??)】

隠岐豊清家臣。1568年、国府尾神社の修造の作事奉行となった。

隠岐宗清【おきむねきよ(15??~1544)】

隠岐郡国府尾城主。隠岐清秀の男。隠岐国守護代。別名隠岐清政。父隠岐清秀の病没後、隠岐家の家督を相続して尼子政久に仕えた。1512年、村上右京亮に所領を安堵した。1514年、宝定寺重尊、村上清景らを奉行として隠岐国分寺を再興した。1523年、国府尾城を築いて宮田城から居城を移した。1530年、水若酢神社の忌部衆との対立から隠岐国の諸豪族が反乱を起こした。1541年、尼子晴久勢の援軍を得て都万城主都万宗林を攻撃した。都万宗林は、反尼子晴久である出雲国神西城主神西久通に援軍を求めたが、暴風雨のため渡海できず都万宗林は討死した。隠岐宗清は、那具城主桃井清信、小路城主箕面十郎、中村城主河渡、前島の福瀬ら諸豪族を討取り、隠岐国内を統一した。

隠岐豊清【おきとよきよ(15??~15??)】

隠岐宗清の男。1544年、父隠岐宗清菩提のため寺領を出雲清安寺に寄進した。

隠岐為清【おきためきよ(15??~1569)】

隠岐豊清の男。官途は隠岐守。1560年、尼子晴久の支持で本城常光を支援するなど、尼子晴久に属して山陰各地を転戦した。毛利元就が出雲国を支配すると毛利元就に属した。1569年、尼子家再興を図って来島した尼子勝久、山中幸盛‎らを支援して出雲国千酌に上陸したが、後尼子勝久、山中幸盛から離反したが、隠岐国に追われ自刃した。

隠岐清家【おききよいえ【(15??~1582)】

隠岐豊清の次男。1569年、兄隠岐為清が尼子勝久によって自刃させられた後、尼子勝久の支援により隠岐家の家督を相続した。1574年、毛利輝元から隠岐国を安堵された。1582年、隠岐家の家督を甥隠岐経清に譲り、隠岐経清と共に惣社大明神の修造をおこなった。1582年「本能寺の変」後の去就を巡って羽柴秀吉を支持する甥隠岐経清と対立して謀殺された。

隠岐景房【おきかげふさ(15??~15??)】

隠岐豊清の三男。1568年、兄隠岐為清らと共に国府尾神社の修造を行った。尼子勝久に属して参陣するも討死した。

隠岐経清【おきつねきよ(15??~1582)】

隠岐為清の男(隠岐清家の養子)。1582年、養父隠岐清家を謀殺して隠岐家の家督を相続して、羽柴秀吉に通じようとしたが、吉川元春から攻撃を受け自刃した。

隠岐為政【おきためまさ(15??~15??)】

隠岐経清の次男。官途は隠岐守。

隠岐清泰【おききよやす(15??~15??)】

隠岐経清の三男。官途は大和守。

隠岐幸清【おきゆききよ(15??~15??)】

隠岐宗清家臣。通称左衛門尉。1544年、隠岐豊清が、父隠岐宗清の遺言により清安寺に六町六反余を寄進した際に寄進状副状に署名した。1563年、焼火社に尼子義久の戦勝を祈願した。

隠岐清慶【おききよやす(15??~15??)】

隠岐宗清家臣。通称右衛門尉。1544年、隠岐豊清が、父隠岐宗清の遺言により清安寺に六町六反余を寄進した際に寄進状副状に署名した。

飛鳥井雅賢【あすかいまさかた(1585~1626)】

飛鳥井雅庸の男。1608年、女官との密通事件により、隠岐国に流された。

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【か】

笠置宗右衛門【かさぎむねざえもん(15??~15??)】

三沢為清家臣。1484年、三沢為清から田二段の恩賞を得た。

笠置与三右衛門【かさぎよざえもん(15??~15??)】

笠置宗右衛門の男。1565年、「出雲白鹿の戦い」で、戦功を挙げ尼子義久より恩賞を受けた。

笠置宗右衛門【かさぎむねざえもん(15??~15??)】

笠置与三右衛門の男。1583年、簾吉政から所領を安堵された。1587年、簾吉章から隠岐道蓮名屋敷を安堵された。

笠置善左衛門【かさぎぜえもん(15??~15??)】

笠置宗右衛門の男。1590年、広島城主毛利輝元に謁見、美多荘公文職を安堵された。

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【さ】

斎藤重基【さいとうしげもと(15??~15??)】

高尾城主。官途は刑部少輔。

簾吉政【すだれよしまさ(15??~15??)】

隠岐宗清家臣。1583年、笠置宗右衛門に所領を安堵した。

簾忠昌【すだれただまさ(15??~15??)】

隠岐宗清家臣。1585年、隠岐焼火権現に社田を寄進した。

簾吉章【すだれよしあき(15??~15??)】

隠岐宗清家臣。1587年、笠置宗右衛門に隠岐道蓮名屋敷を安堵した。

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【た】

都万義秀【つまむらよしひで(15??~15??)】

都万城主。都万豊前守の男。通称弥次郎。別名都万宗林。1532年、隠岐宗清勢と戦い敗北した。1541年、尼子晴久勢の援軍を得て都万宗林を攻撃した。都万宗林は、反尼子晴久である出雲国神西城主神西久通に援軍を求めたが、暴風雨のため渡海できず都万宗林は討死した。

寺本清真【てらもときよさだ(15??~15??)】

隠岐宗清家臣。1499年、青清資とともに、隠岐総社八幡宮に神田を寄進した。

寺本歳昌【てらもととしまさ(15??~15??)】

隠岐宗清家臣。通称助右衛門尉。1544年、文書に署名した。

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【な】

調査中。

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【は】

宝定寺重尊【ほうじょうじ(15??~15??)】

隠岐宗清家臣。1514年、村上清景とともに奉行衆として隠岐国分寺を再興した。

宝定寺慶久【ほうじょうじよしひさ(15??~15??)】

宝定寺重尊の男。通称与三右衛門尉。1544年、家臣連署副状に署名した。隠岐宗清の功に記した。

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【ま】

身代又六左衛門【みのしろろくざえもん(15??~15??)】

村上右京亮家臣。1566年、但馬国、丹後国の海賊が、海士郡因屋城を襲撃したが、村上右京亮、村上次郎三郎、村上助右衛門尉、村上孫次郎、今藤承一、今藤与次郎、伊藤孫六、田中運助、田平勘四郎、吉田助右衛門、吉田忠兵衛尉らが因屋城で防戦して、敵を敗走させた。

隠岐村上右京亮【むらかみうきょうのじょう(15??~15??)】

海士郡因屋城。隠岐国海賊衆。1512年、隠岐守護代隠岐宗清、海士郡公文職の田畠、八幡田新屋の所領安堵を受けた。1566年、但馬国、丹後国の海賊が、海士郡因屋城を襲撃したが、村上右京亮、村上次郎三郎、村上助右衛門尉、村上孫次郎、今藤承一、今藤与次郎、伊藤孫六、田中運助、田平勘四郎、吉田助右衛門、吉田忠兵衛尉、身代又六左衛門らが因屋城で防戦して、敵を敗走させた。

隠岐村上清景【むらかみきよかげ(15??~15??)】

隠岐宗清家臣。隠岐国海賊衆。1514年、宝定寺重尊とともに奉行衆として隠岐国分寺を再興した。

桃井清信【ももいきよのぶ(15??~1541)】

那具城主。1541年、隠岐宗清勢の攻撃を受け討死した。

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【や】

吉田助右衛門【よしだすけさえもん(15??~15??)】

村上右京亮家臣。1566年、但馬国、丹後国の海賊が、海士郡因屋城を襲撃したが、村上右京亮、村上次郎三郎、村上助右衛門尉、村上孫次郎、今藤承一、今藤与次郎、伊藤孫六、田中運助、田平勘四郎、吉田忠兵衛尉、身代又六左衛門らが因屋城で防戦して、敵を敗走させた。

吉田忠兵衛尉【よしだちゅうべいのじょう(15??~15??)】

村上右京亮家臣。1566年、但馬国、丹後国の海賊が、海士郡因屋城を襲撃したが、村上右京亮、村上次郎三郎、村上助右衛門尉、村上孫次郎、今藤承一、今藤与次郎、伊藤孫六、田中運助、田平勘四郎、吉田助右衛門、身代又六左衛門らが因屋城で防戦して、敵を敗走させた。

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【資料Ⅰ】

隠岐国(4郡/12,000石)

知夫郡
海部郡(海士郡)
周吉郡
隠地郡(穏地郡)

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【資料Ⅱ】

調査中。

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【資料Ⅲ】

隠岐国【おきのくに】

調査中。

水若酢神社【みずわかすじんじゃ】

島根県隠岐郡五箇村に鎮座。水若酢命を主神とし中言神、鈴御前を配祀した。海から上陸してきた航海の神。社伝では崇神天皇のとき、伊後の海岸に水若酢命が上陸、捧羽山を経て現在地よりやや西北の地に移り、当地方を開発、のち奉斎されたが洪水にあい現社地に遷座した。

西郷【さいごう】

隠岐国の国府、守護所に直属する港湾として隠岐国の水運の中心を占めた隠岐国島後の湊街。

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戦国人名辞典は1530~1600年期間の国別戦国武将名辞典です。基本的に五十音順に並んでいます。本家と分家がある場合、混乱を避けるために、分家には頭に城の名前を入れています。

※印は出展図書からを示しています。歴史小説も含まれるため100%史実上の人物とは限りません。小説からの出展は注釈を入れます。

※あくまで個人的な趣味のサイトなので、誤字脱字、多少のミス等は許してください。

※大友宗麟は大友義鎮、黒田如水は黒田孝高、立花道雪は戸次鑑連、高橋紹雲は高橋鎮種、陶晴賢は陶隆房の名前で統一しました。

※参考文献:「戦国大名家臣団辞典(西国編)」新人物往来社、「戦国大名系譜人名辞典(西国編)」新人物往来社、「信長の野望【革新】マニアックス」株式会社コーエー、「戦国国取りガイド」新紀元社、「戦国人名辞典」新人物往来社、「戦国大名家臣団総覧(歴史と旅臨時増刊)」秋田書店、「クロニック戦国全史」講談社、「天下統一Ⅲ(完全攻略ガイド)」角川書店、「戦国時代人物総覧(別冊歴史読本)」新人物往来社、「歴史読本(戦国大名家370出自総覧)」新人物往来社、「戦国大名マニュアル」新紀元社、「戦国大名家総覧(歴史と旅臨時増刊)」秋田書店、「戦国武将ガイド」新紀元社、「九州戦国合戦記」海鳥社、「大宰府戦国史」海鳥社、「筑前戦国史」葦書房、「筑後戦国史」葦書房、「九州戦国史」葦書房。「筑後争乱記(蒲池一族の興亡)」海鳥社。フリー百科事典「ウィキペディア(Wikipedia)」。

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