2015年8月16日日曜日

戦国壱岐国人名事典

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【あ】

有浦高【ありうらたか(15??~15??)】

波多盛家臣。官途は大和守。波多盛の継室の真芳姫の怒りを受けて所領を没収された。後に、鶴田越前守の尽力により旧領を回復した。1569年、真芳姫に属して龍造寺隆信の支援を受け、値賀伊勢守、青山采女正らとともに岸岳城を攻撃、日高喜は壱岐国に落延びた。1580年、「肥後国侵攻」では、龍造寺隆信勢と戦い戦功を挙げた。

有浦至【ありうらいたる(15??~1580)】

有浦高の男。1580年、「山鹿の戦い」で討死した。

有浦治【ありうらおさむ(15??~15??)】

有浦高の次男。1580年、「山鹿の戦い」で兄有浦至が討死したため、有浦家の家督を相続した。

有浦幸【ありうらさち(15??~15??)】

波多盛家臣。官途は中務丞。真芳姫が実権を握ると、日高資とともに真芳姫と対立した。日高資が謀殺されると、波多親のもとを出奔した。日高喜が、波多親を追放すると、日高喜勢に属したが、やがて対立して波多親の岸岳城への復帰を支援した。その後、龍造寺隆信勢に属して岸岳城を奪回した。

有浦鎮【ありうらちん(15??~15??)】

有浦幸の男。官途は中務少輔。日高喜勢の中尾主計と戦い討死した。

有馬真芳姫【ありままよひめ(15??~15??)】

波多盛の室。有馬義貞の娘。別名津保子。波多盛が継嗣をもうけず病没すると、日高資と内室(真芳姫)とが波多惣領家の家督を巡って争いを起こした。日高資は、波多盛の三人弟(波多隆、波多重、波多政)内のうちのだれかに家督を相続させようとした。真芳姫は、波多盛の娘と有馬義貞の間に生まれた次男波多親(藤堂丸)を養子に迎えて家督を相続させようとした。壱岐六人衆の牧山善右衛門、牧山舎人、下条将監、立石三河、下条掃部、松本左近らは、真芳姫勢に属して波多隆を謀殺した。波多親が波多家の家督を相続すると、残る波多重も謀殺した。以後、11年間、壱岐国は六人衆によって統治された。真芳姫が日高資、鶴田直を謀殺すると、日高喜が岸岳城を攻撃、真芳姫と波多親は有馬義貞のもとに落延びた。1565年、日高喜は家臣の横田秀定を壱岐国に兵を派遣して壱岐六人衆を討取り、波多政を亀尾城主に据えた。真芳姫と波多親は、龍造寺隆信の支援を受けると、日高喜は松浦隆信の支援を受けたが、松浦鎮信の援軍が間に合わず岸岳城は落城、日高喜は壱岐国に落延び、亀尾城主波多政を弟日高信助とともに攻撃して、これを討取った。

石志三九郎【(いしさんくろう15??~15??)】

比郎戸館主。

井関宗蓮【いぜきそうれん(15??~15??)】

松浦隆信家臣。1565年、壱岐国守護代職に任じられ、壱岐国に赴任した。1566年、波多重勢と戦い討死した。

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【か】

鴨打源永【かもうちげんえい(15??~15??)】

大屋城主。官途は三河守。

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【さ】

下条将監【しもじょうしょうげん(15??~1565)】

壱岐六人衆のひとり。1555年、牧山舎人、下条将監、立石三河守、牧山善右衛門、下条掃部、松本左近ら壱岐国六人衆が謀反を起こし亀尾城主波多隆を討取った。1556年、波多隆の弟波多重も討取った。六人衆に賛同しない壱岐国の国人衆によって波多親が擁立れた。1565年、日高喜が六人衆を滅ぼして波多政を擁立した。
 
下条掃部【しもじょうかもん(15??~1565)】

壱岐六人衆のひとり。1555年、牧山舎人、下条将監、立石三河守、牧山善右衛門、下条掃部、松本左近ら壱岐国六人衆が謀反を起こし亀尾城主波多隆を討取った。1556年、波多隆の弟波多重も討取った。六人衆に賛同しない壱岐国の国人衆によって波多親が擁立れた。1565年、日高喜が六人衆を滅ぼして波多政を擁立した。

下条伊賀守【しょもじょういがのかみ(15??~15??)】

大岸城主。

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【た】

立石三河守【たていしみかわのかみ(15??~1565)】

壱岐六人衆のひとり。1555年、牧山舎人、下条将監、立石三河守、牧山善右衛門、下条掃部、松本左近ら壱岐国六人衆が謀反を起こし亀尾城主波多隆を討取った。1556年、波多隆の弟波多重も討取った。六人衆に賛同しない壱岐国の国人衆によって波多親が擁立れた。1565年、日高喜が六人衆を滅ぼして波多政を擁立した。

立石図書【たていしずしょ(15??~15??)】

日高喜家臣。1571年、波多政は壱岐国を奪回しようと、対馬国の宗と結んだ。宗義調は立石図書に内応するように密書を送ったが、立石図書はこれを日高喜、日高信助に見せた。立石図書は内応したと見せかけて、宗氏を浦海に上陸させ、奇襲攻撃を行い撃退した。

立石重兼【たていししげかね(15??~15??)】

松浦隆信家臣。1566年、「六人衆の乱」で日高喜、波多政らとともに戦功を挙げ松浦隆信からに恩賞として刀、馬を与えられた。

鶴田直【つるたちょく(15??~1564)】

兵部大輔。岸岳城主。永禄六年、大友氏が龍造寺氏と争うと龍造寺家に加勢。永禄七年、波多氏に殺害される。
 
真芳は、反対派の中心は日高大和守資であろうとして、資を城中で毒殺した。ついで、重臣から人望を集める鶴田直を取り除くことを企て、永禄七年(1564)、直を岸岳城に招きその帰途を急襲して殺害してしまった。
 日高資・鶴田直が謀殺されたことで、日高・鶴田一族は武力で波多母子を岸岳城から追放するに至った。

鶴田前【つるたまえ(15??~15??)】

鶴田直の弟。通称兵庫介。1545年、上松浦党の協議の末、獅子ヶ城再建を命じられる。
 
鶴田賢【つるたけん(15??~15??)】

鶴田直家臣。

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【な】

呼子源義【なるこもとよし(15??~15??)】

白石城主。官途は壱岐守。

西常陸【にしひたち(15??~15??)】

松浦隆信家臣。1569年、日高軍は松浦鎮信の援兵を受け、安国寺を攻撃した。波多隆、波多重の兄弟はの家臣西常陸の手によって謀殺された。

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【は】

波多興【はたおき(15??~15??)】

石田郡亀尾城主。大内義隆と結び、島原の有馬義貞、潮見の渋江政光、平戸の松浦隆信 、相神浦の松浦丹後守ら近隣の豪族と婚姻などにより友好関係を保ち、勢力を拡大した。1534年、大内義隆が少弐資元を攻撃した際は、龍造寺家兼と結び大内義隆と少弐資元に和議を結ばせた。1544年、「立川の戦い」で松浦郡に侵攻した龍造寺盛家勢を撃退した。

波多盛【はたもり(15??~15??)】

波多興の男。官途は壱岐守。室は有馬義貞の娘(真芳姫)。

波多隆【はたたか(15??~1555)】

波多盛の男。1555年、六人衆の牧山舎人、下条将監、立石三河守、牧山善右衛門、下条掃部、松本左近らの攻撃を受け、有安鵜の部海岸で馬渡弥八右衛門とともに自刃した。
 
波多重【はたしげし(15??~1556)】

波多盛の次男。通称源七郎。1556年、筒城権現崎で壱岐六人衆に謀殺された。

波多政【はたまさ(15??~1569)】

波多盛の三男。1565年、日高喜が六人衆を滅ぼして波多政を擁立した。1569年、松浦隆信勢の支援を受けた日高喜に討取られた。

波多親【はたしん(15??~15??)】

有馬義貞の男(波多盛の養子)。官途は三河守。通称太郎次郎。別名波多信時。室は龍造寺隆信の養女(安子)。1562年、壱岐国分天満祠を再建した。1586年、「九州討伐」では、羽柴秀吉勢に属して松浦郡貴志岳城80,000石の所領を安堵された。1592年、「文禄の役」では、九州の諸将が羽柴秀吉を博多まで出迎えた際、遅れて行き、羽柴秀吉の心象を悪くした。鍋島直茂勢に属して半島に渡ったが、戦意が低く、羽柴秀吉から改易処分に処され、松平元康に預けられた。

日高資【ひだかたすく(15??~1564)】

波多隆家臣。官途は大和守。1564年、波多親の継室新芳に岸岳城中で謀殺された。

日高喜【ひだかこのむ(15??~1592)】

波多隆家臣。官途は甲斐守。1555年、牧山舎人、下条将監、立石三河守、牧山善右衛門、下条掃部、松本左近ら壱岐国六人衆が謀反を起こし亀尾城主波多隆を討取った。1556年、波多隆の弟波多重も討取った。六人衆に賛同しない壱岐国の国人衆によって波多親が擁立れた。1565年、日高喜が六人衆を滅ぼして波多政を擁立した。1571年、松浦隆信に属して誓紙と人質をへ送り、松浦隆信は人質の女を次男松浦信実の室とし城代とした。日高喜は松浦隆信から援軍を受け宗義調の侵攻を撃退した。1592年、「文禄の役」に参陣して平安道松山城で討死した。

日高信喜【ひだかのぶよし(15??~1613)】

日高喜の男。官途は玄蕃。通称源三郎。室は松浦鎮信の娘。1592年、日高喜の討死後、日高家を相続した。

日高安芸守【ひだかあきのかみ(15??~15??)】

浦山城主。

日高源助【ひだかげんすけ(15??~15??)】

帯田城主。

日高信助【ひだかのぶすけ(15??~15??)】

日高喜家臣。

深見助左衛門【ふかみすけざえもん(15??~15??)】

日高喜家臣。

本岡修理大夫【もとおかしゅりだいふ(15??~15??)】

百二郎館主。

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【ま】

牧山舎人【まきやまとねり(15??~1565)】

壱岐六人衆のひとり。1555年、牧山舎人、下条将監、立石三河守、牧山善右衛門、下条掃部、松本左近ら壱岐国六人衆が謀反を起こし亀尾城主波多隆を討取った。1556年、波多隆の弟波多重も討取った。六人衆に賛同しない壱岐国の国人衆によって波多親が擁立れた。1565年、日高喜が六人衆を滅ぼして波多政を擁立した。

牧山善右衛門【まきやまぜんざえもん(15??~1565)】

壱岐六人衆のひとり。1555年、牧山舎人、下条将監、立石三河守、牧山善右衛門、下条掃部、松本左近ら壱岐国六人衆が謀反を起こし亀尾城主波多隆を討取った。1556年、波多隆の弟波多重も討取った。六人衆に賛同しない壱岐国の国人衆によって波多親が擁立れた。1565年、日高喜が六人衆を滅ぼして波多政を擁立した。

松本左近【まつもとさこん(15??~1565)】

壱岐六人衆のひとり。1555年、牧山舎人、下条将監、立石三河守、牧山善右衛門、下条掃部、松本左近ら壱岐国六人衆が謀反を起こし亀尾城主波多隆を討取った。1556年、波多隆の弟波多重も討取った。六人衆に賛同しない壱岐国の国人衆によって波多親が擁立れた。1565年、日高喜が六人衆を滅ぼして波多政を擁立した。
 
元岡修理【もとおかしゅり(15??~15??)】

日高喜家臣。

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【や】

横田秀定【よこたひでさだ(15??~15??)】

日高喜家臣。1565年、日高喜は意向を受け兵を率いて壱岐国に渡り、壱岐六人衆を討取った。

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【資料Ⅰ】

壱岐国(2郡/18,000石)

壱岐郡:勝本城、船匿城(10,000石)。

石田郡:(8,000石)

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【資料Ⅱ】

壱岐六人衆【いきろくにんしゅう】

牧山善右衛門、牧山舎人、下条将監、立石三河、下条掃部、松本左近。

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【資料Ⅲ】

壱岐国【いきのくに】

玄界灘に浮かぶ西海道の島国。北は対馬海峡東水道の彼方に対馬国を、南は壱岐水道越しに肥前国を臨む。肥前国東松浦半島の北方玄界灘上の壱岐島と若干の小島からなる小国である。島国であるため漁業が盛んだが、島内には平野部が多いため米、麦、大豆などの農業も広く行われ、島の面積は対馬の3分の1だが、対馬よりも広い耕作面積を持ち、人口も3倍を数える。国の規模は小さいが比較的大きい経済力を有している。また、海賊衆の根拠地として機能し、肥前国松浦党の海賊衆が根拠地として進出して、志佐、佐志、呼子、鴨打、塩津留ら松浦党の五家が分割統治した。文明年間に上松浦の波多家が侵攻。松浦党を滅ぼし、国人衆を支配下に置いた。

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戦国人名辞典は1530~1600年期間の国別戦国武将名辞典です。基本的に五十音順に並んでいます。本家と分家がある場合、混乱を避けるために、分家には頭に城の名前を入れています。

※印は出展図書からを示しています。歴史小説も含まれるため100%史実上の人物とは限りません。小説からの出展は注釈を入れます。

※あくまで個人的な趣味のサイトなので、誤字脱字、多少のミス等は許してください。

※大友宗麟は大友義鎮、黒田如水は黒田孝高、豊臣秀吉は羽柴秀吉、徳川家康は松平元康の名前で統一しました。

※参考文献:『戦国大名家臣団辞典(西国編)』by新人物往来社、『戦国大名系譜人名辞典(西国編)』by新人物往来社、『信長の野望【革新】マニアックス』by株式会社コーエー、『戦国国取りガイド』by新紀元社、『戦国人名辞典』by新人物往来社、『戦国人名事典』by吉川弘文館、『戦国大名家臣団総覧(歴史と旅臨時増刊)』by秋田書店、『クロニック戦国全史』by講談社、『天下統一Ⅲ(完全攻略ガイド)』by角川書店、『戦国時代人物総覧(別冊歴史読本)』by新人物往来社、『歴史読本(戦国大名家370出自総覧)』by新人物往来社、『戦国大名マニュアル』by新紀元社、『戦国大名家総覧(歴史と旅臨時増刊)』by秋田書店、『戦国武将ガイド』by新紀元社。フリー百科事典「ウィキペディア(Wikipedia)」。

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